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山までの無意識ドライブ

「同じ山を何度も登るということは、何度も山へ向かう道を往復しているということだ。」なんて当たり前のことを思いながら今日も登山口の駐車場へ向かう道をドライブしていた。

僕は長いペーパードライバー時代を経て、結婚前後で初めて車を買いそれから いわゆるサンデードライバー暦11年ほど。
僕にとって車の運転は好きってわけではないけど苦でも嫌でもないって感じ。

昔はイニシャルDの影響で車(スポーツカー)が好きで、将来スポーツカーに乗ることを疑うことはなかったけど、時を経るとその熱は冷め、今では"移動手段としての車"以上の感情はない。

とはいえ、ドライブしていて何も感じないかというとそんなことはなく、空いた高速道路を走っているときとか、よく登る山に向かうまでの山道を走っていると「あー気持ちいいなー」と感じる。

今回はドライブが山へ向かうドライブが気持ちいいという話ではなく、何十回と同じ道を往復していると、ほぼ家に帰るのと同じ感覚、つまり無意識下で運転しているな、と感じたことを書きたかった。

僕はどちらかというと方向音痴なので、どこ行くにもカーナビをセットして運転する。車の運転中はPodcastを聞いているのでナビ案内音声が入ることでPodcastが一旦聞こえなくなるのが結構ストレスなんだけど、やむなしと思っている。
(今の車はナビ案内音声を出さない設定もあるので、慣れた場所など行き先によっては画像のみのナビ案内にしている)

ただ、よく行く山に関しては上記のとおり、ナビに頼ることなく無意識に運転していてもたどり着く。
普段だと少しでも混んだり、変な運転をしている車が周りにいると結構ストレスになるのだけど、無意識だとそういった感情も湧いてきていない気がする。無意識だから認知していないだけかもしれない。
その分Podcastに集中できるのでよいインプットの時間になっている。
今日もそんな感じで1時間のドライブの末、登山口の駐車場にたどり着く。

無意識で何かができるようになるまでどれくらいの回数をこなしたらいいのだろう。今回のケースでいえば10回では足りないけど50回未満ではありそう。

今回は何のまとまりもないnoteになってしまった。
何の問題もないと思うけど。

それでは

ここからカメラ、レンズが変わっています。

中央にいるのがミソサザイ

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