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禅とお日様 我逢人

禅はお日様のようにそのときそのときで表情が違います。禅の教えもお日様もそこにあって、でもそこにいる人にとっての響き方、感じ方はコロコロ変わります。私にとって禅は自分の状態に気づかせてくれるものです。禅語に触れ、その言葉からいろいろ考えることで自分がどう感じるか、心が晴れる日も心が曇る日もあります。

「我逢人」

すべては人との出会いから始まるという意味の禅語です。好きな人との出会い、苦手な人との出会い、出会いも様々だからこそ、始まりもいろいろあります。すべてに言えることは、その人と会ったから始まったこと、その人と会わなかったら始まらなかったかもしれないことです。いろいろな出会い、そして始まりについて書いてみます。

尊敬する人との出会い

今まで生きてきた中で尊敬している人はたくさんいます。東北で起業している先輩たち、仕事でご一緒したプロの方、職場の先輩、コミュニティの先輩。皆さんに共通していることは仕事や人生への取り組む姿勢です。仕事や人生を通しての社会との関わり方がとても素敵で、いつか私もこういう関わり方をしたいと思っています。

例えば、私の禅の師匠、島津さん。初めて会った日、人見知りの私はとても緊張していて殻に閉じこもっていました。でも帰りがけに声をかけてくださり、怖さが和らぎました。そして、その後も講座の度に声をかけてくださり、ほっとしたのを覚えています。禅語で言うと「挨拶」。私に声をかけることで私の状態を知るというのを体現されていました。

私が島津さんから学んだこと、それは、島津さんの背中を見て、禅と一緒にいる感覚を知りました。そして、今も一緒に学び続けています。自分らしさを体現されている師匠のもとで自分らしさを体現されている仲間と過ごす時間は、私にとって宝物のような貴重で大切で大好きな時間です。こんなご縁に感謝しています。島津さんとの出会いは私にとっての自分らしさを大切にする始まりでした。

苦手な人との出会い

私は苦手な人がたくさんいます。声の大きい人、自分の考えを押し付けてくる人、意見を聞かない人、立場を振りかざす人、とにかく圧力を感じると萎縮してしまいます。

苦手な人は避けることができれば楽です。でも、避けられない時ってありますよね。職場とか、異動とか、自分の意ではないときに限って出会ってしまいます。

仕事をご一緒した先輩でこのようなタイプの方がいました。自分の考えは全て正しく、言う通りに動く人を近くに置いて、言う通りに動かない人は情報共有をしなかったり、プロジェクトから外したりしていました。そのとき、私は担当していたプロジェクトから外れ、違うプロジェクトを任されました。

この経験から、一緒に働く人とは気持ちよく働きたいと強く思うようになりました。嫌な思いを抱いたままだとそれぞれのパフォーマンスにも影響します。その先輩を反面教師に、私の働くときに大切にするスタイルとして、一緒に働く人が気分良く動けることが始まりました。

憧れの人との出会い

私の憧れの人は映画の中の人、学生時代の先輩、起業している先輩、様々です。その人たちの活躍に加えて、行動力や熱意に憧れ、そう在りたいと思わされます。憧れの人は会えない、手が届かない感じがあります。でも、その人たちを知ったことがその人たちとの出会いであり、その出会いから新たな考え方や捉え方ができるようになりました。

例えば、「美女と野獣」のベルです。ベルは変わり者と言われながらも、それを気にしながらも、自分が信じる人やことを信じ、大切にしています。魔法にかけられたお城の住人たちともコミュニケーションを取り、野獣のことも信じられるからこそ安心してお城で過ごせていたんだと思います。信じることのステキさを教えてくれて、信じることが安心につながるということに気付かされました。

自分が変わり者と言われてしまうと、自分のことを知ってもらいたい、変わり者じゃないと主張してしまうことがあります。ベルのように、まずは自分を信じること、そして自分の信じることを信じることが何よりも自分を安心させてくれることに繋がります。できているかは別として……

安心できる人との出会い

何を言っても受け止めてくれる人、違うときは違うと言ってくれる人、安心の感じ方も人それぞれだと思います。安心できると思って話すと、陰でいろいろ言われて私が傷付くこともあったので、人を疑うようになってしまいました。私にとって安全安心を感じさせてくれる人は多くありません。

プレッシャーを感じて不安になりやすい私は、怖さを感じると言い方がきつくなるそうです。自分が気付かないうちに自己防衛で言い方がきつくなっているのではと言ってくれた先輩がいます。その先輩はいつも私の話を聞いてくれて、どうやったら前に進むかを一緒に考えてくれる、背中を押してくれる人でした。先輩が気付いて教えてくれたから、私はきつい言い方をしているときは何かしらのプレッシャーを感じているときと気付けるようになりました。

この経験から自分を客観視する実践が始まりました。禅語で言うと「離見の見」。自分の視点に加えて、相手の視点、両者を外から見た第三者の視点で自分を見る意識を持ちましょうと言う意味です。なかなか難しいからこそ自分のスイッチを知れたことで意識して実践できるようになりました。

我逢人からの始まり

何かが始まるとき、始まったとき、そこには出会いがあります。出会いがあったから始まったこともあります。その時には気付かなくても、何かが始まっていたらそこに出会いがあったからだと思います。毎日どんな出会いがあるか楽しみになりますね。

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