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直感を頼りにたどり着いたのは、中米・エルサルバドル/自己紹介

こんにちは。
はじめまして or 改めまして、Miaと申します。

自己紹介あったほうがいいかな、どうしようかなと悩みながら書いた初投稿からはや4ヶ月。自分について発信するのはあまり得意ではないのですが、あれから他の記事を書こうとするたび、やっぱりあった方がいいんじゃないかと思うようになり… 本記事の執筆に至りました。

途中、推敲を怠っているのか?と野次を投げたくなる(かも知れない)部分がありますが、それも「自己紹介」の一部と受け取って、温かく見守っていただけるとうれしいです。

私はいつの頃からか、「ここぞというときは直感で選ぶんだ」みたいな変な掟に従って生きてきました。

いちばん記憶に残っているのは、大学受験のときです。直感で、あ、私はこっちに行ったほうがいいな、と感じた米大学への進学を選びました。今でも、自分の直感を信じてよかったなと感じます。(もちろん、親を説得するうえで後から言語化だったり考えるという作業はしましたが。)

キャンパスの敷地内にあった草原。
お気に入りだった場所のひとつです。

とは言うものの、直感で選ばなかったら間違い、という訳でもないと思います。そもそもいろんなしがらみのある人生、常にそうする訳にはいかないですし。それに、後から「ああ、あの時直感に従っていれば…」ってなっても、遅いことはないと思うんです。

「じゃあ、この選択をしたからこそ成しえることをしよう。できれば全力で」みたいに方針転換すれば、意外とどうにかなるのではと思うのです。考えすぎで頭でっかちな私が試行錯誤を繰り返して出した、私なりの結論です。

今書きながら振り返って思います。たぶん私のこの「掟」は、いつも考えすぎて、二の足を踏んで、チャンスを逃してきた悔しさの副産物なのだろうと。そしてまた思います。あれ、自己紹介のはずが、よくわからない持論展開系記事になっているではないか。

そうなんです。お気づきの通り、私は思考があっちこっちに行くタイプです。でも、自由気ままに、思考の向かうままに筆をすすめるのは、本当に、この上なく楽しいと思うのです。ということで、本題に戻ります。

直感に従っていたら、エルサルバドルに辿り着きました。

大学を卒業したのは数年前。そうです、大学時代の半分以上をコロナとともに過ごし、もどかしい思いをした代です(みんな、それぞれにもどかしい思いをしたんじゃないでしょうか…)。進路に悩んでいた当時、私の脳裏にはコロナのためにキャンセルとなった1学期間のインド留学への苦い思いがずっとありました。そしてコロナを通して、私は「いつか」なんて無いのかもしれない。とひしひしと感じていました。

少しでも興味があるなら、やってみたいなら、今やるしかないんじゃないか。そう、直感的に思いました。そして、いろいろ経てエルサルバドル行きを決意しました。

ということで長くなりましたが、現在私は中米・エルサルバドルの片田舎で暮らしています。

私の住む、エルサルバドル・チャラテナンゴ県ラパルマ
中心部をはずれると、道路の舗装されていない田舎の風景が広がっています。
こんな風景も。

テーマは、出会いと、創作と、誰かのきっかけ

それではなぜ、そして何を note で発信したいか。

それは、創作と発信を通して新たなものに出会いたいから。そして、私の出会いの物語が誰かのきっかけになれば、という思いがあるためです。

私にとって、誰かの「物語」との出会いは様々なきっかけとなってきたように思います。出来事の経緯、それに対する感情、そこから派生する新たな気づき、思考や行動の変化、周りの反応、そしてそれに対する自身の反応… あげるとキリがないですが、共感する・しないは置いておいて、とにかく「物語」知るのは単純に楽しいです。そして、自分についても顧み、内向き・外向きに自分を変化させていくきかっけになると考えています。

私は幼い頃から伝記マンガやドキュメンタリー番組がとにかく好きで、大学では歴史学と哲学を学んでいました。初めのうちは、いろんな人のいろんな生き方・考え方を知りたい、という好奇心が原動力でした。つまり、単なる自己満足というか、個人的な趣味のような感覚でした。

しかし大学受験でエッセイを書くにあたり、私はこの「自己満足」が社会にとって何になるか、私はこれから社会にどう貢献できるか(したいか)という問題にぶち当たりました。(別にそんな壮大に考えずに、自分の好きなことすればいいんじゃないかなとも思いますが笑)そしていろいろ経て、今では自分なりにこう結論づけています。

「出会い」は、自分や周りの人、あるいはまだ見ぬ誰かについて思いを巡らし、時には行動するきっかけになる。(かもしれない…)

だから私は、何かとの出会いや出会っていく自分自身について発信し、誰かにとっての新たな出会い、そしてきっかけになることを夢見るのです。

そして私にとっても、「創作」は新しいものとの出会いを促してくれるように思います。たとえば、自分のこれまで、いま、これからを言語化なりビジュアル化することによって、自分の新たな一面を知ったり新たな気づきをもたらしてくれると考えます。

カメラを通してはじめて見える景色もあったり。

とりあえず型は決めず、気の向くままに、いろんな発信のかたちを試していきたい今日この頃、といった感じです。文章のみならず、写真だったり、音だったり、詩だったり、いろいろです。そんな感じで今後も、エルサルバドルでのさまざまなものとの「出会い」をいろいろとシェアしていきたいと思います。大学時代の話なんかも書けたら。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

エルサルバドルとの出会いのを綴ったエッセイ(全二編)


編集後記

こんなふうに「直感に従うタイプです私!」みたいに書いてきたのですが、普段はめちゃくちゃ優柔不断です。いろんなケースを想定して、何かあると脳内会議が始まってしまいます。(なので、いざという時に自分の直感を見逃さないためにも、日頃から自分を「観察する」(いわゆるメタ認知ってやつです)癖をつけています。)でも、優柔不断さがあってもいいなと思う時もあります。やはりバランスなのだなと。

話が変わりますが、今回 note の記事としては初めて「です・ます調」にしてみたのですが、不思議な感覚でした。「だ・である調」で書いている時よりも、脳が柔らかくなり、言葉がサラサラとこぼれ出てくるような感覚なのです。なんだか、脳が心が軽くなったような。

いつもの記事だとマジメな話をしてしまうので、脳内が少しピリついた感覚のなか書いています。たまにはこんなふうに、自分のことについてざっくばらんに共有してみる、みたいなこともやっていこうかなと思います。特にさっき挙げた「メタ認知」は、この概念を知ってから個人的にかなり生きるのが楽になったので、考えすぎて生きづらいみたいな悩みを持った方にぜひ共有したいなと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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