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当事者の声をきく

(約1000字)
ある場所で、障がい者のかたのお話を聞いた。

子どものときに脳性麻痺と診断され、体を動かすことや、話すために口を動かすことがうまくできなかった。「おはよう」というのも相当長い時間がかかっていたが、家を離れ施設でリハビリを受けたことで、ほぼ普通の速さで話ができ、電動車椅子も使えるようになったそうだ。

今日のお話は、ご本人が少しずつ録音したカセットテープを再生したものだった。おそらく、疲れるので一度には話せないのだろう。なつかしいカセットデッキの「ガチャッ」という停止ボタンの音でつなげられた15分ほどの音声だった。

別の施設に移ったあと、そこで虐待事件があったので、また移ったりしたそうだ。

家に新興宗教の人が頻繁にたずねて来たり、施設の職員が勧めたりして、なんども嫌な思いをされたという。弱みにつけこんで集中的に布教してくるのだろうか。施設で出会った人のなかには、統一○会からなんとか逃げて来た人もいたらしい。25~30年前のことだ。

その後、カルトではない普通のキリスト教会に出会って、今は落ち着いて生活をされている。

やや聞き取りにくいところや分かりづらいところもあったが、懸命な話しぶりと、伝わってくるまっすぐな気持ちに胸を打たれた。

いわゆる健常者と障がい者とは、行動範囲も考え方も大きく違ってしまうので、ずっと一緒に時間を過ごすのはお互いに難しいと思う。でも、普段は別々の場所でそれぞれ生活していても、時々このように話を聞くことは、健常者側の心に良い変化をもたらすように感じた。

もしかすると、あれこれ出来てしまうがゆえに抱えてしまう健常者の苦悩みたいなものも、障がい者のかたが聞くことで違う見方や解決策が出てきたりしないだろうか。

「子どもの頃は家で祖父母に甘やかされて我がままになっていた」とも話しておられた。今の話しぶりには、我がままな感じは残っていなかった。

誰も望まないのに生まれつき背負わされた不利な条件を、健常者のスタート地点にまで持っていくだけで膨大な時間がかかったはずだ。

今は発達障がい者と診断されたりHSPを自認するかたも多くいらっしゃるし、いわゆる健常者だってすべて完璧なわけではない。そう思うと、出会う人には全員に優しくできるのが一番いいと思えてきた。
まずは自分に優しくしないと。こわばっていると優しくなれない。





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