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【短編】destiny

あれは、そう、秋だった。

歩道を歩く私の足元を、カサカサと音を立てながら枯れ葉が追い抜いてゆく。
すぐそばに、ひっそりと冬が寄り添っていた。

その頃、私は学生だった。
そして、私はまだ幼かった。
恋をするには、まだ幼すぎた。

学校からの帰り道、ふと横に目をやると、小さな喫茶店があった。
惹かれるようにドアを開ける。

1人で飲食店に入ったのは、生まれて初めてだった。
なぜ入ろうとしたのか。
今考えても、思い出せない。

店内は、半分が喫茶で半分が雑貨屋になっている。

アンティークなものから、女の子が喜びそうなものまで、棚には雑多な商品が並ぶ。
店内の灯り、香り。
一瞬で、あ、好き、と思った。

何をしていいかわからない私は、とりあえず喫茶のコーナーに行き、立てかけてあるメニューを眺める。

まずは、冷たくなり始めた風に、冷えた手を温める飲み物が欲しかった。

店員のお姉さんが、気さくに、そして優しく話しかける。

「あっちもよかったら見ていってね」

そうだ。思い出した。
私はそこで、生まれて初めての香水を買ったんだった。
オーデコロンとは違う、重みのある香水の香り。
そう、ムスクのにおい。
あれからずっと、私のつける香水はムスクだ。

物だけではない。
あの店では、いろいろな出会いがあった。

ゲイバーのお姉さん。
やたらと私を夜の世界に誘ってたっけ。
あなたなら、絶対成功するわよ!って。
結局、縁のない世界だったけど。

パンクファッションに身を包んだ、髪の毛が逆立った派手なお兄さんたち。
話してみると意外にも好青年で、人は見た目だけで判断してはいけない事を学んだ。

普段の生活の中では出会うことのない人たちが、そこにいた。

そして、彼も、そこにいた。

何度目かの来店。
テーブルの上に置かれた、開かれたままの本に目を落とす。

譜面だった。
あの頃、私が好きだったバンドのバンドスコア。

音符なんて読めないのに、そのバンドのものと言うだけで凝視してしまっていた。

「好きなの?そのバンド」

いきなり声をかけられて、盗み見していたことをとても恥ずかしく思った事を、今も覚えている。

雑貨のスペースにいたのだろう。
不意に現れたその人は、優しい笑顔をしていた。

一つ年上。
笑うと八重歯が覗く可愛い顔。
身長も、私とさほど変わらない。

ボーイッシュな私と、女の子みたいな彼。

そこから、仲良くなるまで、ほぼ時間はかからなかった。
まるで昔からの知り合いのように。

私たちは、待ち合わせするわけでもなく店で会い、そこからいろんなところに遊びに行った。
私たちは本当に気が合った。

いつだったか、歩いている私たちを足早に追い越し、振り返ったおばさんに

「最近の若い子は、どっちが男か女かわからないねぇ」

と、言われた時は、道の真ん中で顔を見合わせて大笑いしたっけ。
何をしても楽しくて、いつも笑い合っていた。

あの子を連れてくるまでは。

「ねぇ、最近どこ行ってるの?早く帰るけど」

放課後。
クラスメイトの彼女の、その一言に素直に答えた私。

自慢がしたかったのかもしれない。
私だけが見つけた、私の素敵な居場所。
隠しておけばよかったと、今なら思う。

彼女は可愛い。
男まさりで、見た目もボーイッシュな私より、よほど変な趣味がない限り、世間一般では彼女を可愛いと思うだろう。

「わぁ〜、一回ここ来てみたかったのぉ」

一つ品物を手に取っては、可愛い〜と言う彼女。
やっぱり、女の子はこう言うふうでなくちゃダメなんだろうな。

そんなふうに思いながら、私は横で頷くだけだった。

それからは、3人で行動することが多くなった。

彼の学校の学園祭に誘われた時も、彼女と2人で行った。
やはり、目を惹くのは彼女の方。
私は横に並ばないように、ひっそりと歩いた。

卑屈になっていく自分が、途方もなく嫌だった。

ある日、彼女が私に聞いた。

彼のことが好きなの。
私のこと応援してくれない?

私は、自然と店から足が遠のいた。

そして、最近こないけどどうしたの?と、彼から電話が来たのは当然だろう。

ごまかしながら話してはいたものの、嘘の下手な私は、あの子があなたを好きだからと、最終的には言ってしまっていた。
ズルいやり方。

2人で、明け方まで話した。
2人で、泣いた夜。

漫画の中の世界に、入り込んだのかと思った。
少女漫画より、少年漫画を好んで読んでいた私でも、こんな王道でベタな展開くらいは知っている。
ただ、私が主人公ではないだけ。

私自身が、彼を本当に好きな気持ちに気がつくのと同時に、その想いに蓋をした。

あの子は、すぐに他の彼氏を作ったけれど。

でももう、私たちはそれ以上の関係になることはなかった。

彼が高校を卒業し地元を離れた後も、付かず離れず、忘れた頃に連絡をしあうような、そんな関係。

彼のところにも泊まりで遊びに行ったこともある。
それでも、それ以上の関係になることはなかった。

最後に会ったのは、私の結婚が決まった事を彼に伝えた時。
何も言わず走り去る彼の背中と、雨上がりの公園の葉の濡れた緑が、妙に美しかった。

出会ってから、7年が経っていた。

いつの日か、また会えたら。
どこかで偶然出会えたら。

ずっと好きだったのよ、7年の間ずっと。

忙しく過ごす毎日の中で、たまの妄想を楽しむ。
バーカウンターで。
偶然すれ違う道で。
カフェで。
告白する場所の設定は無限に膨らむ。

その時、私の頭の中にはユーミンのあの歌が流れている。

その日は、突然やってきた。

営業の仕事で車を走らせる。
狭い路地の真ん中に、車が一台。
運転手の姿は見えない。
クラクションを鳴らすが、誰も出てこない。
痺れを切らした私は、車から降りる。
横の家から、スーツ姿の男性がすみませんと叫びながら玄関ポーチの階段を降りてくる。

彼だ。
彼だった。

あれ?もしかして、と私の名前を呼ぶ。

ユーミンのあの歌の前奏が聞こえた気がした。
ドコドン、と言うドラムの音が。

私の車の後ろから、もう一台の車が来てクラクションを鳴らす。

「わ〜、お前太ったなぁ。じゃあ。」

慌てて車に乗り込み走り去っていった。
私は後続車に会釈をし、車に乗り込む。

あの歌は前奏だけで終わった。

出会ってから12年。
私はすっかり母になり、体型もあの頃とは変わってしまっていた。

は?
お前?
久しぶりの会話がこれ?
こんなデリカシーのない人だったっけ?

思い出は美化される。

頭の中の引き出しは、しょっちゅう思い出すところはスムーズに開き、思い出さないところは錆びついて引っかかって開かれぬまま朽ちてしまう。そして忘れ去られる。

よく開かれる引き出しは何度も何度も開かれるうちに、削ぎ落とされ洗練され、美しい思い出だけが残っていく。

そう、思い出は美化される。

次に偶然出会う時は、40年後くらいがいい。

彼の頭の毛がなくなって、禿げたね〜って言ってやろう。
もし髪がまだあったら。
うん、その時はまたその時考えよう。

美化された思い出は、そのまま、美しいままに。

もう、脳内にあの歌は鳴らない。

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