彼の名前はキム・ソクジン ⑨ 最終回



  どうすればいいか。
  僕に一つ提案があります。

手を下ろし、太ももの上に置き、姿勢を正すソクジン。
真っ直ぐに私を見つめる。

  ヌナ、僕と結婚しましょう。

きっと私は、鳩が豆鉄砲を食ったような、を絵に描いたような顔をしている。
もしくは、口をあんぐりを表現させたら右に出るものはいない顔をしているはずだ。

  私はあなたより7つも年上なのよ?
  ありえない話はやめてちょうだい。

そう、7つの歳の差。
ソクジンは28歳。私は35歳。
これが逆なら理想的だっただろうに。

  たった7歳です。
  
ソクジンは不敵な笑みを浮かべて言う。

  あなたにとってはそうかもしれないけど
  私から見れば、"たった"ではないの。

私は、吐き捨てるように言った。

  数字って大事ですか?
  数字を見れば安心するから?
  物事はハートで見なくちゃいけないんです。

ソクジンの言葉。

  星の王子さま…。

つい数時間前に頭に浮かんだ言葉が、再び口をついて出た。

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  あ、やっぱりわかりました?
  完全に星の王子さまの受け売りです。

  覚えていますか?
  初めて会った日のこと。


あぁ、そうだ。
ソクジンと初めて会ったのは、私の星の王子さまの本を拾ってくれた日だ。


  同じ本を読んだら
  ヌナに近づけるかなって。

  あ、あのバラ
  星にあるバラみたいだなって思って
  選んだんです。


頭が、心が、どうしようも無く凝り固まった時、星の王子さまは、私を癒してくれる。私の心の糧。

本当にずるい。
どうしてこうも真っ直ぐに私の心に向かってくるんだろう。

  ねぇ、ヌナ?
  答えは急ぎません。
  あくまでも提案です。
  でも、その同じ方向を見て
  一緒に歩いてみるのって
  楽しそうじゃないですか?

年齢、立場、違いすぎる環境に、頭の中はNOと言っている。
だが、この瞳から逃れられる気がしなかった。
抗う心に蓋をする瞳。

  たしかに楽しそうね


久しぶりに、心から楽しそうと思えた。
知らず、笑みが溢れる。

窓から見える夜景は、来た時と変わらず煌めいていた。


  さ、明日も忙しくなるし
  そろそろ帰りましょう。
  明日も目一杯働いてもらうからね


はいっと、子供のように答えるソクジン。
二人で声を出して笑った。

これから何が起きるのか、皆目検討もつかないけれど。
この笑顔を見られるのなら、なんでも乗り越えられるような気がした。


席を立つ。
さすがに飲み過ぎたのか、足がふらつく。


  ヌナ?


駆け寄るソクジン。
次の瞬間、私はソクジンの腕の中にいた。


  ヌナ
  笑ってください
  たくさん、たくさん
  僕が笑わせますから


鼻腔に抜ける甘い声が、耳元で聞こえる。


今夜の涙の訳が。

少し、わかったような気がした。
  


一人の部屋。
キャンドルを灯し、電気を消す。
今夜の出来事は、きっとお伽話。

明日になったら。

明日になったら。
どうなっているだろう。

テーブルにあの赤い薔薇を置く。
私は酔いの覚めてきた頭で、本棚からそっと星の王子さまの本を取り出した。

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-- ソクジン 現在 --

彼女を無事タクシーに乗り込ませ、ホテルの一室に入る。

ソクジンが居住している一室。

いつの日か、自分が後を継いだとして、彼女が母のようにならないとは限らない。
もしもそうなるのなら、自分はこの地位なんかいらない。必要ない。

ヌナの笑顔を守るためなら。
ヌナは笑ってくれるだろうか。

彼女とのこれからを考えながら、ソクジンは眼下に見える夜景を見つめた。

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