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冬の雨を降らせていた

まだ明けきらぬ雨の朝、一人街を歩み行く。
街路灯は濡れた歩道を照らし、物音は雨粒の独り言のみである。
人のおらぬ街を歩み、降る雨に生を感じさせられる。
冷たくない冬の雨、もうすぐクリスマスがやって来るというのに冷たくない雨に頬をやる。
遠い遠いその昔、まだ私が空気中のチリだった頃、冬の雨は神様が降らしていた。
冬の雨の神様は人間たちにゆっくり休む時間を与えていた。
春まく種は陽を浴びた肥沃な大地で芽吹き、強い夏の雨はその芽を厳しく強く育てた。
花が咲き実を結び心地よい乾いた秋風が田畑を抜けていく。
そして人々は一息ついて祭りで豊饒を祝い、歌い踊り酒を飲んだ。
そのあと冬の雨の神様は私の出番だと、きめの細やかなジョウロで雨を降らせた。
「しばらく仕事は休みなさい、これからしばらく心の畑を耕しなさい」そう言い冷たい雨を降らし人々と大地を労わったのである。
しかし文明という足音が人々の時間の使い方を変えてしまった。
24時間仕事は続き、四季も必要のない世界へと変わっていった。
冬の雨の神様はそこでバトンをタッチした。
「私はもう必要ない」と若い神様に引き継いでしまった。
若い神は天邪鬼の遠縁だった。
「心無くして生きていけるものならば、冷たい冬の雨は必要なかろう」
若い雨の神様は少しずつ、ほんの少しずつ冬の雨を温めていった。
若い神様のいたずらに気付くことなく人々はますます違う方向に走って行った。
でも今になって何かが違ってしまったと感じるようになってきた。
でももう遅いのである。
若かった神様はもう若くはなかった。
頑なさを緩める力を齢とともに失ってしまい、冬の雨を冷たく戻すことは出来なくなっていた。
頑固な雨の神様のもとに若い神々たちは誰一人として近づこうとはしない。
今の雨の神様が死ぬその日まで誰にもどうしようもないのである。
あるとすればその昔、私たちのご先祖様がやって来たように四季とともに暮らし四季とともに生きて秋には皆で豊年満作を祝い、歌い踊り酒を飲み、そんな幸せな姿を老いた神様に見せてその昔を思い出させてやるしかないのである。
しかし四季に動かす心を失った人々にはもう考える力は無く、心で考える力を失った人々はなすすべもなくぬるい冬の雨に打たれるしかないのである。


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