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餃子を口にして考えたこと 

母ハルヱは92歳で他界した。
末期のガンだと言われて医者の指示に従わず自然死を迎えさせてもらう事を希望して、そのまま3年間命を永らえた。手術をしていたらもっと早くこの世からいなくなっていただろう。

母は三人姉妹、母の郷里山形にいた長姉が三年ほど前にたくさんの家族に見守られて幸せのなか他界した。

真ん中の姉は東京で一人暮らす。その伯母の娘、私の従姉は四年前に伯母を残し先に逝くという親不孝をした。
思えば大学時代、まあまあ近くにいながらお宅に行ったのは一度切り、練馬の江古田からあきる野市は遠かった。入学式の数日前に伯父さんが脳梗塞で倒れ、上京したばかりの私に母から「すぐ行け!」と指示が飛んできた。何も出来たわけではないのだがまだ二十代だった従姉が深夜に泣きながら伯父の下の世話をしていたのを憶えている。そして、伯父さんが安定し、自宅に戻り晩飯に用意してくれたのが餃子だった。私が好きなことを知っていて作ってくれたのである。野菜の多い餃子は家庭の餃子だった。栄養士だった従姉も洋裁が得意な伯母も料理が上手だった。そんな時には美味いものを食うに限ると考えていたのであろう。東京都の学校給食の管理栄養士だった従姉はいつも子ども達の心まで思い献立を考えていたに違いない。その時の餃子の味を時々思い出すのである。

この伯母と従姉には言葉で言い表せないほど世話になり、私の母、兄を気遣ってもらった。
伯母からは「世の中には順番があるのよ。だから、もう少し頑張りなさい」と母の介護が長引き、兄の終の棲家探しが重なった時に言われた。
人生の先輩の言う言葉に重みを感じた。
しかし、片側では違う現実があることを私は知っていた。
優しい伯母を見ていて心配したのは歳を取った時の独居のしんどさだった。
口喧嘩の相手であり、支えでもあった娘の死が与える寂しさは如何ばかりのものであろう。
でも、それは本人が感じ、決めることである。
私の知る伯母はそういう種類の人間でないと思うのだがどうであろう。
すぐそばに家族が必ずいなければならない事もないのかも知れない。
独居が必ずしも不幸ではないだろうから。
仮に人の手を借りて生きるようになったとしても、その手助けは肉親でないほうがいいのかも知れない。

私は独りで過ごす時間が好きであり、そんな時間を苦と思ったことは無い。独りで過ごす時間には何かがあればいいと思う。
テレビで再放送の時代劇を観て涙したり、毎日来る新聞に待ち遠しい連載小説があったり、昨日と違う夕陽を見て綺麗だと思ったりとそんな何かでいいと思う。

それに歳とともにいろんな事がわかり過ぎて家族と言えども人との付き合いがしんどい事もあるであろう。
赤の他人の手助けで生きる方が楽でいい場合もあるであろう。
所詮、この世に出て来た瞬間に人は独りきりなのである。

伯母は独りにしんどさを覚える人でないと思いたい。
伯母には独りを感じ楽しむ力がいつまでもあると思いたい。
読書家の伯母にはいつまでも本を読んで独りを感じ楽しんで欲しいと思った。
伯母の退屈しない葉書きを今年もセッセと書き続けようと餃子を口に運びながら考えた。

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