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椿のいさぎよさ

先々週、愛知県田原市まで兄貴をたずねて行ってきました。
大阪から新幹線です。
今の流行り病は関係なく、こだまに乗れば新大阪から豊橋までほぼ貸切り状態の車両に揺られて毎回私の自由時間はスタートします。
見慣れた車窓からの風景はいつも私の慰めでもありました。
JRから表彰を受けてもおかしくないくらい新幹線を利用しています。
いつも車中では実家の両親兄貴の看病や介護を考え、時には心が潰れるような決め事も流れる景色を見ながらしてきました。
サラリーマン時代にはこれもややこしいやり取りを電話とメールで続けながら、豊橋を目の前にして仕方なしに名古屋から大阪に引き返したこともあります。

そんなことの無くなった先々週は、子どもの頃の遠足気分で新幹線に乗り込めました。
そして豊橋で豊橋鉄道渥美線に乗り換えます。
高校の頃、日本一高い乗車賃と噂されていたのですが、実際にどうなんだか私にはわかりません。
先頭車両の広いスペースに自転車を乗り入れさせることも出来るローカルな鉄道です。
鉄道ファンには気になる路線なのではないでしょうか。

そして着いた終着駅三河田原で貸自転車(駅でやってるフリーサービス)に乗り換えて渡辺崋山の田原城址を横目で見ながら、兄のいる障害者支援施設に到着です。

今回が初めてかも知れません、気持ちにゆとりを持って走ったのは。
今まで気づかなかった景色をずいぶん目にしたように思います。

早咲きの椿を見つけました。
白い椿です。
強い北風に耐える白い寒椿は、その花言葉の「気取らない優美さ」そのものに思えました。

この note にやって来たばかりの頃、大学合気道部の先輩に誘われて俳句を勉強していたのですが、十七音に込める言葉の世界は私には難し過ぎて、客観によってあまりにも変わり過ぎるとらえ方が理解できず、やめてしまいました。
俳句を始めると『俳句脳』は私のすべての時間を食ってしまいます。

先輩は動けぬ体でベッドの上から、極寒の富山で今も俳句を詠み続けています。

以下はその頃の記事の一部です。
花などまったく興味のない子ども時代にこの寒椿は私には特別なものでした。
そんな頃の思い出です。

昔、うっかりどこかのお宅の庭に迷い込んだことがある。
もちろん私が子どもの頃の話である。
今はもう見かけることのなくなった縁側のある木造の平屋のお宅だった。
サザエさんの舞台になる磯野家の庭のようなお宅、縁側に座布団が一枚あっ
た。
それまで誰かが、お婆ちゃんかお爺ちゃんが日向ぼっこをしていたような、そんな雰囲気を子どもの私でも感じることの出来るそんな空気の残っている庭だった。
私の理想の世界がそこにあったのだ。
その時、濃いピンクの椿がボトッと音をたてずに私の頭の上に落ちてきた。
音はしないのに音がした。
ただそれだけで子供の私の頭の中はくるくる巡った。
そこに座っていた人がどんな生活を送ってきたのか、やはりここにも現実し
かないのではないか、と思い至る。
そっとその庭から抜け出した。
寒椿が音をたてずに落ちてきたように。
寒椿は残酷な花のような気がした。
ただ私の勝手な理想の世界を打ち崩しただけなのに寒椿は一瞬で人の人生を
変えてしまう、そんな花のような気がした。
それも音も立てないで。
あまりに温かな風景と対照的な音の無い寒椿の落花音であった。

この流行り病が大きく制限を与え、一年ぶりに見た兄貴の顔でした。
そこには何も変わらない元気でマイペースな兄貴がいました。
この流行り病は家族の分断をもたらすものか、私のような離れた家族をこれまで義務感のみで繋げていた偽りの気持ちを正すために神が与えた試練なのかは分かりません。
でも、間違いなくこれまで分からなかったことが分かったのです。

帰りの新幹線ひかりは早い時間にもかかわらず私の席だけ臨時居酒屋と化します、利用客のほとんどいない車内サービスを独占し、女性の販売員の方にはいたく喜んでいただけました。
こんなことが日常となり、もう15年も続いています。

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