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小学六年生の彼

また一人、自分の道を歩き始める。
合気道道場の六年生の彼、来年の中学受験を目指している。
小学二年で稽古を始めた。弟は幼稚園児だった。自分の父親より年上のオッサンばかりの私の道場に何が楽しいのか分からないが毎週末にやって来た。必ずお父さんかお母さんがついて来てくれた。本人以上にご両親も大変だったと思う。

中学受験はどうも親の押し付けじゃない。込み入ったことに首を突っ込まないから聞いたことはなかったが、どうも本人の自発らしい。合気道の稽古も続けたいと言っていたようだが、毎晩遅くまでの塾もあり、体調を考え泣く泣く休会するとお父さまから聞いた。それがもう半年も前のことだったろうか。
その頃受けさせた初段の免状をタイミングをみて渡そうと思っていた。それが先週末の稽古日だった。久しぶりの彼ははにかみ以前のようにやって来た。少年部の初段ではあるが、初段は初段、黒帯は道場名とフルネーム(通常は苗字だけだが、弟が控えているから)で刺繍し私からのプレゼントとした。この初段がこの人生の大変な時期を乗り越えるための小さな支えになってくれればいい。黒帯を夜中に見て励みにするのもいいし、鉢巻きにして頑張ってくれるのもいい。そう言って彼に渡した。

長い人生に何度あるか分からないが、やらねばならぬ時がある。そのタイミングを彼は自分で感じたのであろう。私は彼の年齢でそんなことを考えるような環境にはいなかった。時代も違い、そんな彼らを羨ましく思うか、可愛そうと思うかは関係ない。
自身でやる気を持って進みだした彼は男らしい顔になっていた。身長も私と変わらなくなっていた。うまい餞の言葉も見つからず「いつでも息抜きに来いよ。」と言って別れた。
合気道がすべてじゃない、生きることすべてが合気道なのである。

「畳の上の合気道がすべてではない」とおっしゃった故市橋紀彦師範の言葉がなお腑に落ちた最後の秋の時間だった。

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