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昼下がりの下品な婦人

伸ばせなかった

おやつの時間くらいに、モノレールに乗っていた。
モノレール、移動手段として使うにはゆったり運転すぎてなにもかも持て余してしまう。別に見る景色もないし。

ビジホの内側からの景色

モノレールが到着して、まだ降車している人々の隙間を縫って乗車し、空席を狙う婦人がいた。指先を揃えて文庫本のページをめくったりしていたが、隙間縫い乗車のせいで全部下品に見えるなーと思った。

100センチくらいの観葉植物を鉢ごと抱えて大切そうにしている坊主の若者もいた。車内で、その植物をいろんな角度から嬉しそうに眺めていて、よかったねと思った。

なんだか見覚えのあるアクセサリーブランドの紙袋を持ったカップルもいた。運動部が持つような大きいリュックを抱えたボーイッシュで化粧っ気のない、でも凄く可愛い女の子がその袋を持っていて、右手の薬指につけた指輪をずっと西日に照らしながら眺めていた。ペアリング嬉しいんだろうな。かわいい〜〜〜〜〜〜〜

車内左から、隙間縫い婦人、植物愛で坊主、初々しカップル、と並んでいた土曜午後のモノレール、ひとりで「なんかいいなあ」と思うにはあまりに濃かったので、ここに記録。

この「なんかいいなあ」に巡り合うことが多い。
中途半端な田舎に住んでいるから、中途半端に新しかったり古かったり、栄えていたり廃れていたり、その狭間の景色とか言葉とかが街にありふれている。

川にサギが普通〜にいたと思えば外国人が自撮り始めちゃうような規模のイルミネーションがあったり、おしゃれカフェのある道の一本向こうはやっているのかいないのかわからない商店街だったりする。

最新のサギ

毎週いろんな道で散歩してるのだけど、毎週デカい公園を発見する。おじいちゃんがラジオ体操していたり、おじいちゃんがワンカップを飲んでいたりする。

こんな面白いのがあったよ〜、を伝えられる人・伝えてくれる人がいると幸せだなと思うけど、そういう相手が居なくなってしまった時のあの喪失感、二度と味わいたくない神様お願い、と、公園(とおじいちゃん)を発見するたびに思う。ひしひし。

デカい公園を発見するに伴って、「ジョギングロード」みたいなのに遭遇(?)することがあるんだけど、そこに突入した途端ピチピチ蛍光色ユニフォームを着たランニング人間が急増する。(当たり前)

「ここにいる人たちは家を出た瞬間からこのピチピチ蛍光色ユニフォームを着てこの速度で走っているのだろうか」「あのランニング人間がみんな背負っている小さすぎるリュックには何が入っているのだろうか」とかを、たくさんの人に抜かされながら考えてしまう。

寒いし、ルーが半分残っていたし、ニュー鍋を買ったので夜はシチューにした。
ルーをしまっている戸棚を開けたら微妙に残ったウイスキーがあったので、飲み、酔った。

酔ったまま作り始めたので色々なタイミングをしくじり、シャバシャバになってしまった。このままでは白い煮汁に浸った野菜の集合になってしまう。
とろみといえば片栗粉なので、適当にまぜ、みせかけのとろみとした。

めんどくさいので鍋用に冷凍していた野菜たちを具にした。ネギなどシチューには居なそうな具もあったけど、食べるのは自分だけなので大丈夫。

これはちゃんと鍋にしたとき

「食べるのが自分だけってなると、『いためたもの』『煮たもの』とか、名もなき料理を“自炊”とするよね」みたいな話を昨日異国のビールを飲みながらした。

大好きな友達との居酒屋話をnoteに残すと自分がうれしい、ということに気づいたので明日にでも書こうかな

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