0428 日記

年々、大型連休などの『必ず混雑が予想される日』に外を出歩くのが億劫になってきている。
ただでさえ東京はどこもかしこもごみごみとしているのに、こと飛び石の祝日を一つに束ねた時ゴールデンウィークなんぞと名前がつけばとにかく人々はよく出歩く。

人混みがきらい、もしくは苦手な人はいれども、雑踏を好み、そのためだけに向かっていくような人はいないだろう。つまり、皆一貫して何かしらの目的を持って街へと繰り出すわけだが、私はなんだか最近、目的を後回しにしてでも極力混雑を避けて歩きたい。他人が関係せず一人で済ませられる予定ならば、なるだけ別の休日にずらしたりと工夫をするし、友人や同僚との遊びについても敢えて大型連休に被せたり、狙って声を掛けたりといったことはしない。

そのため、前半の三連休はこれといった予定がない。去年も確かそのような過ごし方をした気がするので、カメラロールを辿ったところ、4/30は近所のラーメン屋に行き、5/3、5/5はそれぞれ別の友人と飲み歩き、5/6にインドテルグ映画のorengeの自主上映会に参加したあと、大学時代の友人と生牡蠣を食べに行っていた。実に憶えというのはあいまいである。せいぜい一年前のゴールデンウィークといえば自主上映会で飲んだチャイがスパイシーだったとか、ティーンの制服を逞しい胸板に貼り付けながらもフェイスラインに青髭が浮いている若かりし頃のRam Charanとか、ヒロイン役を務めるGenelia Deshmukhは小鳥の囀りよろしく甲高くって愛らしい声質をしているのだとか、そのようなことくらい。

自由が与えられると、なるだけ有意義な過ごし方をしなくてはと感じるのは人間の性なのではないだろうか。よく大型連休を利用して旅行に行く人がいるが、体裁的には翅を休めるためであっても自宅を離れ何処かへ行くという移動の苦労がまず挟まる。無論旅行や遠出が悪いというわけではない、一歩踏み出した先でしか見ることのできない景色や食事、関わりがあるわけで。しかし、何かをしなくちゃと感じる時、敢えて何もせずに過ごすことも有意義と言えるのではないだろうか?
こう考えていたのは金曜の夜、日を跨いで何の気なしにインターネットをしていた時、かねてより行きたかった展示会のレポートを見た。初日はかなりの盛況だったようで、物販は会計まで3〜4時間程度の待ちが発生していたようだ。出歩くことを極力避けたいと感じていた筈なのに、妙な焦燥感に駆られーーー結果として明日の時間指定券を購入していた。

伊藤潤二展に行ってきた。サマーニットがもう汗ばむ気温、日傘を忘れたのは失敗だったと言える。目論見通り電車はカジュアルな私服姿の人々で溢れかえっており、頭上を毛深い腕が通過し、吊り輪のベルト部分に掛かる。突然の揺れにより、隣に佇んでいた男性のスマホ画面と不意打ちで目が合う。かもめのような眉毛が特徴的な警察官は一人しかいない、こち亀の電子書籍を読んでいるらしい。新宿駅の東改札を抜け、化粧箱のような工事用バリケードで舗装された京王線までの道すがらはそれなりに長いときている。数年前まで、京王線はよく利用していた。コロナ禍前まで多摩センター駅が最寄りのサンリオピューロランドの年間パスポートを所持していたこともあり、京王線沿いに大学時代の友人が住んでいるためでもある。その友人とは去年の九月から会っていない。友人は一つの職場に留まるのが難しいきらいのようで、傍目からみた時、現在地を追うってことが今ひとつ難しい人だった。いつも金に困窮していて、趣味のライブに身銭を注ぎ込むと後はすかんぴん、財布を厚くするのはレシートばかりである。つまびらかな経緯はすっぱ抜くとして、私は友人に総額十万以上を貸している状態が数年続いた。金の切れ目が縁の切れ目、そういうことだった。

いつか返すから、それが友人の口癖であったけれど、借金は一度負うと踏み倒すことは原則不可能に近い。返済を先送りにすれば雪だるま式に利子が発生し、それは友人間であれども不信感として日々胸中にしんしんと積もっていく。一度貸した金は返ってこないと思え、全くもってその通りである。ただ単に私が甘かった。困っているならばと財布の紐を緩めてしまったことは事実でしかなく、そんな調子であるから友人もだめになっていったのだと思う。過ぎた親切心は関係を根腐れさせる、当たり前のことに気づいた時、私は彼女と会うことを辞めたのでそれきり京王線とは疎遠な位置関係にあった。

明大前と一鳴きされれば、人々が蜘蛛の子を散らすよう、または筐体からパチンコ球を吐く時みたく人々は降車していった。芦花公園が世田谷文化館の最寄り駅だというので、私も程なくしてホームに降り立つ。ひらけた一本道を歩く、まばらに会場へ向かうような人もおり、ひるなかの街に黒が際立っていた。

会場は噂通りの混雑具合で、若く、世界観の確立されたファッションに身を包む人もいればカジュアルな半袖姿に豪奢なタトゥーが浮かぶ外国人、揃って伊藤潤二先生の作品を愛しているらしき家族連れなど、てんでばらばらな客層が先生の長きに渡る作家人生で、恐ろしくもうつくしい表現を持ってして、様々な人の心を掴んできたことを知って胸があたたかくなる。

展示構成は大きく括って四章に別れており、伊藤潤二作品の集大成と先生ご本人の愛らしい人柄と製作のエッセンスがふんだんに明かされた内容となっている。会期が長い展示でもあるので、是非詳しくは足を運んで体験していただきたいものだが、展示スタイルへのこだわりやそれぞれの個性豊かなキャラクターに対する愛が感じられる素晴らしい展示会であったと思う。ありとあらゆる場所に目がほしく、近年催されていたようなポップアップストアや東京タワーコラボとはまた違う、伊藤潤二という作家自体に肉薄する内容となっていて、楽しみ方もまた少し異なる気がした。個人的に嬉しかったのは双一の勝手な呪いシリーズに出てくる、ホラーな目に遭わせてやるでお馴染みの辻井双一くんが直筆でしたためた履歴書を拝見できたこと、そして中々日の当たりにくいよん&むーなどのエッセイ漫画の原稿などを拝見できたことである。しかし、一際つよく衝撃を受けたのは2010年発行の絵噺集「怪、刺す」の挿絵、雪の降った日のイラストだ。お恥ずかしながら私は此方の作品に関しては未着手であるのだが、表題に反したイラストの凄惨さと絶望感ときたらない。一体どうしたらそのようなことに至ってしまうのか、挿絵から展開を予想するというのもまた面白い。是非近日中に手に取ってみたいと感じている。

昨年、楳図かずお先生が森ビルで大規模な展示を行った際にも足を運んだのだが、ホラー漫画の巨匠である楳図かずお先生を慕う伊藤潤二先生もいつかこのような大規模の展示会を開いて下さらないだろうかと感じていたのでとても嬉しかった。また再訪したいものである。混雑の懸念以上の価値があり、結果としてとても有意義な一日となった。
しかしまた、来年の今頃には同じようなことを日記にしたためるのだ。混雑を避けて歩きたい、目的を先送りにしてでも楽を取りたい、そう文句を連ねながらも、また気の赴くまま何処かへ繰り出すと決まっている。だからこそ過去を記録しておく、そして思い返したい時に備え、さっと取り出しやすい場所に保管しておく。
というわけで創作活動とは一切関係のない日記を不定期で始めてみました、忘れたくないことだけを記したいと思います。京王線に纏わるほろ苦い思い出や、好きなコンテンツに感性を刺激されたこと、帰り際に食した醤油ラーメンの品がよい味わいだとか、そんなものだけ。

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