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不正警官に松葉杖を投げつけ叫んだ祖母



シベリア鉄道に乗ってロシアを周り、いろいろな人の個人的な物語を集めるプロジェクトМесто47。今年最後のエピソードは、自動車事故に巻き込まれて生死の境をさまよった挙句、警察から嘘の証言を強要されるなどで、心に深い傷を負った女性の話です。2000年代初頭ロシアはプーチン大統領が就任し、経済がどん底から回復していく初期段階にありました。しかしソ連の崩壊の影響による混沌とした状況は、依然として市民生活の至るところに顔を出していました。

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それは2002年の12月25日、つまりカトリックのクリスマスの日でした。うちの家庭では毎年カトリックと正教のクリスマスの両方をお祝いするんです。カトリックのクリスマスにはアップルパイを焼くのが伝統で。その日の夜、調子の悪かった実家の犬を獣医に見せに行って、モスクワに急いで戻っていくところでした。お祝いの準備をしなくてはいけなかったので。

虫の知らせって言うんでしょうか。父は「泊っていけばいいじゃないか。何もこんな夜中に帰ることはない」と言っていました。犬も何かを感じていたのかもしれないです。私たちの周りを走り回ったり、くんくんと鳴いたり、あらゆる方法を使って、長い間私たちが出ていくのを引き留めていました。

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モスクワに向けて出発した時には、外はもう暗くなっていました。大きなカーブに差し掛かって、その後はもう映画みたいな感じです。光の中で目を覚ますとそこは病院の一室でした。真っ白で清潔な壁に囲まれた部屋のベッドの上で私は横たわっていました。気づくと胸の上に一匹の猫がちょこんと座って、わたしを見つめています。この子が私を揺り起こしたのかもしれません。それは大きなシベリア猫でした。その猫は入院患者の病棟に住みついて、全ての入院患者を把握して医者に付いて一緒に回診に回っていました。ひとりの患者と一緒にやってきて、主人が亡くなった後も病院に残ったんだとある看護婦が教えてくれました。

私のケガはひどいもので、ベッドで絶対安静を指示されていました。意識が回復してから徐々に事故の状況を理解し始めました。事故は自動車同士の正面衝突で、公道での警察車両を使ったカーレースが原因のようでした。

すぐに事故の調査依頼を取り下げるように圧力がかかり始めました。相手側が責任を問われずに済むには、運転手がアルコールや薬物の影響下にあったと主張すればいいわけです。事故の目撃者は私一人でした。彼らは私のところに来て、車を運転していた夫について嘘の証言をするように強要したんです。

その当時は事故後に迅速な検査が行われず、血液検査も長い時間がかかっていました。仮に目撃者が運転者はアルコールもしくは薬物の影響下にあったと証言すれば、検査自体が行われませんでした。

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ロシア人は本当はとても思いやりがあるんです。私の祖母はそんな人です。事故の件で私の周りに付きまとっていたノヴィルスキー(編注:「新しいロシア人」ソ連崩後の混乱期に不正な方法で莫大な財産を築いた人々。)を追い払ってくれました。彼らに松葉杖を投げつけ、大騒ぎし「私はスターリン時代を覚えてるんだ!不正は二度と許さないよ!」と怒鳴りつけていました。

しばらくして警察から連絡が来て病室で取り調べが行われることになりました。脅迫してきた相手のことを捜査官から聞かれたので、その人物の様子を説明していました。すると、私と話していた捜査官の隣にいた男が私の方へ振り返りました。それはまさしく私を脅した男でした。彼も警察の人間だったんです。

結局事故の責任が誰にあるのかは明らかにされませんでした。裁判は長期間におよび、審理は遅々として進まず、何年も前に棄却扱いになってしまいました。

今でも運転するのが恐いんです。運転免許試験は15回目でようやく受かりました。免許を受け取って、一度モスクワから自宅へ運転してみました。でも、それ以降は一度もハンドルは握っていません。今でもあの場所を通るとパニック発作に襲われます。

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公式サイト(英語・ロシア語・一部日本語)ではシベリア鉄道の車内の様子を収めたフォトアルバムやnote未公開の記事もご覧いただけます。また英語でのポッドキャストも展開していますのでぜひチェックしてみてください!

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