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ふと よみがえった記憶

記憶というのか なんというのか。
蓋をしていた部分なのかもしれない。
でも 確かにその私もいた。

本を読んでいると 時に過去の記憶が蘇る時がある。 
何かの暗号となる言葉を唱えたかのように。

鏡に向かっている自分 と 鏡の中から見ている自分  

そういう視点の違いを意識する 本の中からのメッセージに 昔の 子どもの頃の私が見えてきた。
まさしく 私は鏡の中から当時の私を見ているような感覚で……

私には6つ年の離れた姉がいる。
私には なんでもできる人に見えていた。

お洋服なんかでも いつも新しいモノを買ってもらえていて それを大切にしまっていた。
少しでも触れば バレてしまうほどキッチリと整理整頓された姉の洋服箪笥。
私には宝箱のように見えて 
羨ましくて覗きたかった。
エレクトーンを始めたときも 
エレクトーンが姉の部屋に届いた。
小さな私は 両親と同じ部屋
姉と兄は 各自の個別の部屋がある。
赤いダブルカセットデッキで 好きな音楽を聴き
好きなモノで部屋を埋め尽くす。
お姉ちゃんがいない時に こっそり覗いたりもしていた。 
入っては行けないと思うから 
扉から少し覗く🫣くらい。

姉が中学生のころ 
オーディションをチャレンジしたいと言い 
福岡まで行った。
そして 吹奏楽部に所属していた姉は 
部活で使う キラキラのフルートやピッコロを買ってもらい 練習したり磨いたりしている姿に憧れていた。 なんでもキラキラに見えて。
赤いカマキリの自転車も可愛くて
高校卒業後 服飾の勉強をすると東京へ行った。

なんでも思い通りに生きる人に見えた。

私は そんな姉からのお下がりが楽しみで 
姉が出て行った後に 姉の使っていた部屋が
私の部屋となり 
当然 部屋のものは姉のお下がり。
しかし そういうモノなのだと思っていた。

私が高校生に上がるまでに 
我が家にはいろんな事があった 
最大の出来事は 
兄の生死にかかわる 交通事故だった。
大きな事故で 両親はそちらにかかりつけ状態。
商売をしていたので その事態は家計にも大きな打撃でもあったと思う。

兄も後遺症は残しつつも 生還した。
退院した時には 同級生とは学年が離れ
後輩たちとの環境に変わっていた。

そんなこんなの時を乗り越え 
姉は東京へ そして兄も社会人となり
両親と私だけの生活が始まる矢先に 
時代の変化に追いつけず 
うちの商売はたたむことになった。
そして 両親の離婚。

高校進学が決まっていたこともあり 
私は母と母の実家でもある 
親戚の家に とりあえず住まわせてもらった。

父は 年齢もあり 
田舎では仕事はなく東京へ行った。

子どもながらに 自分の望みは言ってはいけないと封印したように思う。
姉は 東京で服飾を学び 
夢に向かってどんどんと輝いていく姿を 
私とは別世界の映画でも観ている感覚で切り離していたのだと思う。
姉だから できるんだ

私とは違う世界の人なんだと

ある時 母がお酒に酔った時に
『あんたがおらんかったら 今ごろ私は自由になれたのに……』
と言われた。 
今思うと母も必死だったのだろうし
辛かったのだとわかるのだけど、
当時の私にはショックでしかなかった。そして何故かそれを受け入れ納得したように思う。

自分の夢を描くことをやめた。
進学をするとか 姉のように新しい世界を求める事とか できるとかできないではなく 
そんな事は私の人生には存在しないのだろうというくらいに考えなかった。
地元の企業に就職が決まり 地元で生きるのだろうと。

そんな私に転機が訪れたのが 
結婚だったと思う。
結婚を機に すべての事から解放されるかのごとく 地元からも飛び出し そして 母の望む私がいない人生を実現させてあげれると。
希望に満ちていた。

しかし 新しい生活でも 
同じような悩みにぶつかる。 
なんとかしたくて 頑張った。
まずは 嫁ぎ先の家族に認められなくてはと
良い妻、良い嫁にならなければと 必死だった。
しかし 空回り。
子供を立派に育てなくては…
女性として美しくしていなくては……
なんでも完璧でなければ と たくさん抱え込んで 毎日が目まぐるしく忙しかった。
忙しいという字の如く

心を亡くす

そんな感じでした。 
そして 心身共に壊してしまった。

突発性難聴を引き起こした時にお薬をもらいに行った薬局で 不思議な事を言われたんです。

『薬剤師の立場でこんな事を言ってはいけないのだけど……
もし あなたが僕の奥さんだったとしたら
僕は病院に行く時間があるなら 家で休んでほしいとつたえる。 あなたの状況見てると この先薬が増えていくだけだから……』

今となっては どこの薬局でどんな方に言われたかもわからないのだけど 言葉だけが鮮明に覚えていて 休むことを決めた時でもありました。

今の私があるのは この言葉によって救われたから。

お酒が好きということもあり 
お酒の量もどんどんと増えていました。
若い頃は良いのだけど 40代も半ばくらいから 悪酔いするようになり ふと あの頃の母に重ねてしまう時もありました。

嫌だなと思う自分になるのをやめよう。
お酒を少しずつやめました。
飲んだとしても 楽しい私で。

私には何もないと 心のどこかで諦めてた。
しかし 何もない私を受け入れるキッカケになったのは この休むことの許可とお酒を断つというシフトからだったとおもいます。

のちにわかったことに
あんなに人生を謳歌してるように見えた姉も
兄が事故にあい 一番多感だった時代に両親との関係性が薄くさみしさの記憶として残っている。と話した

こんな事を ふと思い出した。
涙が自然と溢れた。
蓋をしていたモノに 今ようやく目を向けた。

この年になって 母の人生を 
一人の女性が生きた記憶として 冷静に見ることもできた。

こういう事を 赦しというのだろうか。

そして 今朝 地震の夢を見た。
夢にはメッセージがあると聞いたことがある。
地震の夢は 変容の時の知らせなのだとか。

なんだか 過去の経験に「ありがとう」と言えた蘇りだった。

YUKIKO

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