九州の西側に、盆踊りでよく聞こえた「炭坑節」がある。 その歌詞の一節に「香春岳(かわらだけ)」という単語が出てくる。 石灰岩の山で、セメントの原料がそこから採掘されるが、 採掘によってその姿を変え、いまでは、思い出だけの山の姿に。 幼少の頃は、その町で、のんびり育った。 そんな環境の職人さんの働く場が、私はスキだった。 下校の途中、たとえば鍛冶屋さんを見ると立ち止まり、じっと見入って飽きずに時をすごす。働く大人は、カッコよかった。 「ぼんぼん、はよう帰らんと、母ちゃんが心配
❞しあわせ❞(三) どんぐり会、はじめての朝である。 早朝には起床し、だれからともなく外に飛びだしていた。 夜明けの白い空にはじまり、そしてまもなく、圧倒されるような眩しい日射しを浴びることになった。 その光とともに、島の全方位から、射し込む爽やかな気が、からだに飛びこんでくる。 それは衝撃的であった。 「わあっ、生きてるって感じ。すごいエネルギーだ!」 と、ひとりが叫ぶと、 「これが、ルビンさんのいう気だねえ。わあー、なん
❞しあわせ❞(二) この島の人たちは、助け合ってこそ生きられる、という。 手が空いていればとなりの畑仕事を手伝う。おかずができれば、当たり前のように必ずおすそ分けをする。 困っている人をみれば、なんのためらいもなく、当たり前のように手をさしのべる。人の家のまえをとおれば、それも習慣でちょっと立ち寄ってみる。たとえ声がしなくても、念のために家の様子を伺うことも通常で、戻ってくれば御機嫌を伺い、お茶をいただき話をして帰っていく。 お互い
❞しあわせ❞(一) どんぐり会、Gメイト、そして村の三つがひとつになった。 そんな島をかこむ大自然の青い色、いのちをまもる大自然の緑の色、生きようとする情熱の色、それら三才がひとつになった。 しあわせを与え合おう、分かち合おうとする人たちどうしは、おのずとひとつになるものである。分かち合いがなくて社会の秩序がゆるむことは、太古からのことわりである。 ルビンは、空まわりする社会を想起していた。 居場所を失った人たちが さ迷い
❞どんぐり会❞(六) すると、ひとりの子が、 「ルビンさん。ここの学校はどんな学校なの?」 と聞いてきた。 ルビンはそれを聞かれてうれしかった。 「ここは学校というより、こころにいいことを見つけるところです。名前は『ノアザミ大自然学園』っていうのよ。かんたんにノアザミ学園ってよぼうか、こころの大学ってよんでもいいかなあ」 というと、ほかのひとりが、 「え、大学? ノアザミって何?」 と質問してきた。 ルビンは、きれいなノア
❞どんぐり会❞(五) 食事がすむと、 「ごちそうさまでした」 と、声がそろっていた。 ルビンには連想していることがあった。それは人類が狩りを覚えたころのほら穴生活である。 こわい思いをしてとらえた獲物を、なかまのみんなで分けあって、美味しいおいしい、と食べながら談笑する。至福のだんらんである。 食生活の原風景はそこにあるのだ。 いのちというものを、みんなといっしょに食べるのだ。空腹だから食べる、いっぽうで、食べているものは、他
❞どんぐり会❞(四) きょうだけは馬車にのることができる子どもたちである。 波止場からは、白い花の咲くクローバーの原っぱをとおって、コミュニティハウスに向かう。 「あ、いてて。わおわお、ガタゴトゆれるねえ」 と笑いころげる子、しっかりつかまっている子、はしゃいで楽しんでいる子、なかには、季節の花が咲き乱れる馬車道のわきに目をうばわれる子。と、ひとりのこらず、きてよかったといわんばかりの子どもたちである。 馬車の両側もうし
❞どんぐり会❞(三) 客船が見えてきた。 波止場には、島の明るさを知ってもらおうと、はずむアルプス民謡のヨーデルが流れている。これはルビンが望んだ企画である。 ヨーデルなら、好感度は高からず低からずであろうし、少なくとも、耳ざわりとて悪くはないだろうというのである。 意外に島の雰囲気と合致して、新鮮で好印象であろう、と、そう考えたわけである。 みんなは、どんぐり会である。 どんぐりは、生(な)った木の種類によっても、顔だちにそれほどちが
❞どんぐり会❞(二) するとアイラは、 「この島に流行りのモノなんかないわよね。それでも子どもたちが、ゆっくり自然を楽しんでくれるならいいわね」 という。 ルビンは、ここにくる子どもたちの、いろいろな事情をあげて話つづけた。 いろいろある、といえるほど、いろいろあるのだ。 「とにかく、大自然につつまれて、重い部分を洗い流してもらうしかないんですね」 といいながら、ルビンの思いやりを感じていた。 だがルビンの、深刻で複雑な話もとま
❞どんぐり会❞(一) きょうは、どんぐり会の子どもたちがやってくる。 Gメイトが島にきて一か月のあいだに、村の人たちの指導と協力のもと、何よりいちばんはやく、コミュニティハウスを仕上げることができた。 新しい保健室もつくった。サイクリングコースや、それに沿った島の自然観察記録コース、畑や田んぼの農業に参加できるコース、趣味を生かした作品を展示できるコースなども準備できた。 子どもたちの手でおもしろくして、島の人たちに楽しんでもらったり
❞元気な社会❞(五) ルビンが、いのちのセマンと出会い、セマンの翼のうえで夢路の旅にいざなわれて得たものは、物でもなく、欲でもなかった。 それよりはるかに大きく、はるかに澄んだものであった。 きれいな空気をつくる緑であり、その空気や精気をかかえる青い大気であり、人を理解できるマリンブルーの大海であった。 その後ルビンは、寛容で厳格な家庭に育った。 しかし、幼年期をすぎ、中学校時代にさしかかるにつれ、人の物欲が、いやでも目にはいる社会をみ
❞元気な社会❞(四) ロバートはつづけた。 「で、もうひとつは、都会から休養でくる若年労働者や青少年の、こころの病に寄り添いたいのです。もちろん、この島で生まれてすごしてきた人たちなら、そんなこともないのでしょう。でも、都会の職場、学校、家庭では、何かとテクノストレスや情報過多からくる生活の連続で、こころが負担を負ってしまうのです」 島のみんなは、口々に分からない反応で語り合っている。 ロバートは、 「都会で起こした病気は都会では治せな
❞元気な社会❞(三) ナザリーはちょっぴり照れながら、話をつづけた。 「ここで、骨を埋めるつもりでいます。仲良くしてください。どんぐり会の子どもたちは、来月この島にやってきます」 と、子どもたちとの過ごし方について説明をつづけた。 話し終わると、賛同の拍手が鳴りひびいた。 するとルビンがすこし話をつけくわえて、Gメイト十二人全員の立場や関係も説明しておいた。 つぎに、ロバートもひとこと挨拶することにした。 「わたしは、いまの村の診
❞元気な社会❞(二) それを聞いた村人たちは、Gメイトの輝きを見て、全面的に信頼した。 けっして似非ごとであったり、秩序を乱したり、あるいは、いつか中途半端な形跡だけを残して島を去って行ったり…と、そういうあしき心配のないものも、じゅうぶん感じていた。 アイラが感想をのべた。 「何もいうことないわ。そこまでしっかり考え、将来のかたちを約束してくれたり、念入りに五か条のご誓文まで用意できているなんて、わたしたちも力が湧いてきました。ねえ、みな
❞元気な社会❞(一) この日、夜にはいると、民宿に村人が集まって歓迎会をもよおしてくれた。 海のさち、山のさち、村人のめいめいがもち寄ってくれた家庭料理、と盛りだくさんのご馳走で、Gメイトたちの胃袋はおどろきどおしであった。 宴もたけなわのころ、ルビンは、あらためて村の人たちに挨拶をした。 それは、島に住み着くことにした背景や、これからの活動についての話になった。 ――どんな思いでいるかについては、ある島を救ったジェームズの話や
❞ふたつの再会❞(五) そこでルビンは、泊まった宿舎「きよら」の伝説を話しはじめた。ロバートは、じっとルビンの目をみつめ、うなずいて聴きいっていた。 ついに、ルビンは自分の夢を語りはじめた。 「わたしは、いますべてが順調なんです。夢があるんです。ジェームズのなしたことには、とても共感できるのです。そんなに大きなことはできないけれど、小さな村の小さなしあわせほどでいいから、救うべき子どもたちを迎えて、その村を子どもたち中心の、豊かでしあわせな社会にしたいんで