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ちゃんと自分と相談すること

夜行バスのひとり旅

去年の12月28日。
仕事納めのあと、突然なにかに駆られるようにキャンセル狙いをあたって、
自分でも「なんだろう!」と思いながら、関西方面行きの夜行バスに飛び乗った。
ゆっくり自宅で過ごしてもよかったけれど、そうすればきっとわたしは、録り溜めた録画やYouTubeで、SMAPやダイアンや金属バットばかり見てしまう。
それはそれでもちろんしあわせなのだけど、それだけじゃだめだなあ、とこのところ考えていて、だけど、2018年のこの日には、まだその気持ちが「なんだったのか」はわかっていなかった。
ようやくわかったのは、年が明けて3日経ったあとの話。

ただこのときは「なんだろうなあ」と思いながらバスで移動して、ちょっとだけいいホテルを予約して、おいしいものを食べたり、いろんな展示を見て回ったり、お笑いを見に行ったりした。
漏れなくすべて「ひとり」だった。

帰る実家はなくても、“おかえり”と言ってくれる友人は大阪にいくらかいるんだけれど、今回は「そうじゃないなあ」となんとなく思っていて、移動も、数駅なら「歩く」ことを選んだ。
極寒の中「なんだろうなあ」と思いながら、そんな時間を使って、2018年をゆっくり振り返るようなことをしていた。

わたしの2018年

2018年は、我ながらおもしろい仕事がたくさんできたと思う。
新しいメディアを立ち上げや、キットの制作や渋谷TSUTAYAのジャック、
どれもずいぶんとおもしろかった。
たくさんのことに関わったのだけれど、
「書いたものを、読んでもらえることがやっぱりわたしのいちばんの喜びなんだなあ」
と改めて気づくことができた1年だったので、
特に印象的で、そのあとの暮らしや考え方を変えてもらったような執筆の中から、ほんの3つだけ。

森本千絵さんのインタビュー

“自分が企画したことすら忘れてしまうくらいに、目の前の景色に感動する瞬間があって。それは撮影中であっても、「わあ、これかっこいい」「素敵だ」って素直に思える瞬間はたまらないものがありますよ。まわりのひとのおかげですから。”

minneとものづくりと」というメディアを立ち上げて、(minne mag.からリニューアルして)1発目はどうしても森本さんにお話を伺いたかった。
Mr.Childrenのファンであることも手伝って、森本さんのものづくりには魅了されてきたし、著書の「アイデアが生まれる、一歩手前のだいじな話」は、ごくごく飲むように読んで、恐ろしく恐れ多いながらも「いっしょだなあ」「おなじ想いだなあ」と思った。「ものづくりメディア」をはじめるにあたって、森本さんに「ものづくり」について、まず聞いておきたい、そういう思いを果たしたインタビューだった。

ちなみに、森本さんが手がけられた『HAPPY NEWS』という新聞協会のコンテストが、わたしの「ものを書いて、はじめてお金(このときは賞金)をいただいた」体験だったりもする。やっぱりすべては「続きもの」なんだなあ、と改めて感じることになった。

【連載】つくるしごと vol.1 ー 森本千絵「ものづくりのはじまりは、いつも“誰か”と。」
https://mag.minne.com/2018/11/30/chiemorimoto/

お花の記事

“わたしの自宅の郵便受けには、週末ごとに「花」が届くようになりました。お気に入りの花器に季節ごとの花々を活ける、それがなによりのたのしみになっています。忙しい暮らしの中でようやく見つけた、わたしの「花と暮らす方法」です。”

実際に愛用しているサービスの広告記事を書くことになって、自宅で撮影をして、思ったことを思ったままに書かせてもらった。「こんなことでいいのかしら」というぐらいに素直に書いたけれど、記事はたくさんのひとに読んでもらって、さらには読んでくれたひとのうち4分の1のひとが、そのサービスのサイトに訪れていた。こういうことなら、「広告」をやりたいなあと思った。そんなはじまりの記事。

週末、郵便受けに届く「花」との暮らし。
https://mag.minne.com/2018/07/25/special_bloomeelife/

父について書いてみたエッセイ

“「中前さん、なにか書いてみたら?」と、うれしいお誘いをいただきました。「なにか」と聞いて思い浮かべたのは、いちばん近くて、いちばん遠い、父のこと。”

特に不仲ではないけれど、「なんだかなあ」と思っている唯一の家族「父」について、ほぼ日刊イトイ新聞でエッセイを書かせてもらった。身に余るような感想メールやシェアをたくさんしてもらって、うれしくてうれしくて。
ただ、また調子に乗るといけないから父にはずっと内緒にしていた。なのに先月、だれかが父に送ってしまったようで、いまでは父がマンション中、親戚中に記事を拡散していて、鼻高々。言わんこっちゃない。

父はマンションのヒーロー
https://www.1101.com/mansion_hero/2018-06-17.html

2018年は、その他 109記事ほど書かせてもらっていた。
こんなに気持ちいいなら、2019年はもっともっと「書く年」にしたいなあ、と思う。

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くたくたになったけれど、
急なひとり旅から帰ったあとは心がすごくすごく満たされていて、
だけどそれは「オールザッツ漫才をリアルタイムで見れたこと」「北極星のオムライスを食べたこと」
だけが原因ではない気がする。
それでその答えは、久々に会ったひとにおしえてもらった。

「自分」について考えること

そのひとは、ずいぶん前、新卒で入社した会社でお世話になっていたひとで、「このひとが言うならそうなんだろうなあ」とズルをして判断を委ねてしまうぐらい、信用できる先輩だった。
おいしいごはんを食べながら、そのひとが何度も繰り返していたのが、
「自分について考える時間はあまりないからね」
「自分について、ひとはあんまり考えないから」
「自分のことを掘り下げて考えることは、普段できていないはず」

という話で、そのときは
「たしかに、目の前のことでいっぱいになっちゃいますね」
と、半分は納得して、半分は目の前のお肉のことでいっぱいだった。

だけど帰り道に、「ああそうか」と気づいて腑に落ちる。
「自分について考える時間が、あまりにも少なかったんやな」
というのが答えだった。
目が回るほどなんだかいろいろさせてもらっていて、実際にちょっと目が回ったりしている1年だった。
すこしでも時間が空くと、ドラマやお笑いを見て一生懸命に感想を友人と話していた。
9月に母方の祖母が亡くなったけれど、
そのときはしっかりと悲しめずに、戻ってきてから、1週間ほど誰にも言えず塞ぎ込んでしまった。
だけどいつものように働きながら、
「それは、どんな気持ちなのか?」も考えることなく、普段のわたしに戻っていった。
「自分」について、考える時間が足りていなかった。

ひょんなことからバスに乗って旅する機会を得て、
(:エッセイ「ペットボトルキャップとわたし。」)
ああ、わたしはひとりでバスに乗ってると自分のことを考えられるんやなあ、ということに気づいたのかもしれない。
だからわたしはバスに揺られて、
小さいころよく家族で食べたお店をめぐったりしたのか。

内緒だけど、この先輩はエスパーかもしれない。

やさしく問い詰める

なにかからヒントを得て自分と結びつけたり、
事象や作品について一生懸命考えることはあっても、生身の「自分」だとか「自分が本当の本当はどう思ってるのか」、自分を自分でやさしく問い詰めるようなことは、実はあまり誰もやれていないのかもしれない、と思った。
自分が本当に欲しいもの、自分がやりたいこと、自分はなにが好きなのか、だれが好きなのか。日ごろ「自分について」考える時間は本当に少ないのかも。
わたしは全然足りていなかった。

アイデアのひとつは、週に1日は午前中をまるまるそういったことに費やす。
場所はバスか、自宅とオフィスの間の気になるコーヒーの飲めるお店を順番にめぐるのもいい。

みんなが「自分の気持ち」をたいせつにできるといいなあ、と思うし、
わたしももっと「自分」と真剣に付き合いたいなあと思った。
未だに年末の掃除のつづきをやっているような怠惰なところが多いけれど、まあまあ根は真面目なんだよなあ、嫌いじゃないよなあ、
なんて、オムライスを食べながらちょっと思ったりもしたから。

今年はいっぱい読んで、いっぱい書いて、
日本中のいろんなところに話を聞きに行きたい。
京都と長野の作り手の方には会いに行く。
これは、自分と相談したので、もう絶対に「やる」って決めている。
わからなくなったら、またバスに乗ればいい。
そんな連載をやってもおもしろいかもしれない。

2019年もひとつひとつがんばります。
いい年にしよう。これも自分と決めてしまう。
どうぞよろしくお願いします。


エッセイ執筆の糧になるような、活動に使わせていただきます◎