『岩田さん』という本に、帯を書くなら。
わたしには、自分でもなんのためにやっているのか、
さっぱりわからないけれど続けている、“ひとり遊び”がある。
頼まれもしないのに、勝手に「本の帯」を書いているのだ。
あまりの勝手さに呆れてしまうけれど、
間を開けながら、ゆっくりとなんとなく1年半ほど続けている。
勝手に買って、勝手に読んで、勝手に書いて、眺めている。
ずいぶん勝手なことだらけだけれど、
一応そこにも、わたしなりの、誠実さとルールはあって、
・本当に人に薦めたいものしか書かない
・書き直しはしない
と、このふたつを勝手に心で決めている。
もちろん前者は、
「帯とはそういうものだろう」と思うからであるし、
後者は、
「頼まれたわけでもないのに、そんなに一生懸命書くのは、なんだか、おかしいから」だ。
『岩田さん』を読んだ。
2019年も、帯を書きたくなるほど好きになった本がたくさんあった。
その中の一冊は、
任天堂の元代表取締役社長・岩田さんのことばを集めた、
その名も『岩田さん』。
ほぼ日さんが編集したものだ。
読んだ当初は、こんなふうに書いた。
たくさんの、ブレない言葉が
輪郭みたいに見えてきて、
会えない人に、
会えた気がした。
ずいぶん不思議な本だと思った。
岩田さんと言えば、言わずと知れた天才経営者であり、
「ゲーム機」のない家庭に育ったわたしでさえ、
ゲーム好きに囲まれて過ごしてきたせいか、
日本だけでなく、ゲームを愛する全世界の人に愛されていたような人物であったことは知っている。
書店では「ビジネス書」のところに並んでいたし、「偉人の名言集」のような感覚で手にとった。
無論、学ぶことはたくさんあった。
わたし自身、ゲームではないものの、かれこれ10年ほどエンタメやサービスをつくるような仕事に携わってきていることもあって、
コミュニケーションも含めた「仕事の考え方」として、取り入れたくなるようなエッセンスは、たくさんたくさん詰まっていた。
詰まっていたけれど、この本を「ビジネス書」と呼ぶのは、
なぜだかよくわからないけれど、「変だし嫌だなあ」と思った。
もちろんビジネス書が嫌いなんじゃない。
なんだかもっと「別のこと」を教えてもらった気がしたのだ。
なにより、会ったことのないひとなのに、知らないはずの声や、その話す具合までが、ちゃんと聞こえる気がする。
まるでラジオみたいな本だと思った。
そして、ページをめくるごとに
「ああ、岩田さんらしい言い回しだなあ」
だなんて一丁前に思ったりするものだから、
とにもかくにも不思議な本だった。
これは、いったい、なんなのだろう……?
外出中、ライターの古賀さんのツイートを見て、
歩道にしゃがみ込み、その場ですぐに電話で予約した。
この「不思議」をもっと体感したい。
そして、
「もっと岩田さんの話を聞くことができるんだ!
それも、(この本をまとめた)ほぼ日の永田さんの口から」
と思うと、なんだか嬉しさが込み上げた。
書いた自作の帯は、一旦、ガラス戸の中に閉まっておいた。
「書き直すかもしれない…」
自分が決めたルールに背いてしまうかもしれないなと、
わたしはそのとき、はじめて思った。
「岩田さん」を聞いた。
仕事から抜け出せず、10分ほど遅刻して会場に入ると、
イベントスペースには、ぎゅっと人が集まっていて、
「ふふふ」「うふふ」
と皆が肩を揺らして笑いながら、おふたりの話を聞いていた。
どの顔も、とてもしあわせそうだ。
古賀:
これ発売いつでしたっけ?
永田:
7月30日…?
古賀:
いま、反響はどういうものが多いですか? 読者の声、っていうのは。
永田:
なんでしょうね、「この部分が、役立つ」というよりは、やっぱり、岩田さんの人柄みたいなところを、うれしく思ってる感想が多いような気がしますね。ぼくも、そんなふうになるといいなとは思ってたので。
<中略>
古賀:
Twitterとかで検索していると、「岩田さんの声が聞こえるような気がする」みたいな感想がとても多くって。
永田:
そうですね、それは言われますね。
観客もみな、うんうんと頷く。
「やっぱり、みんなそうだったんだ」と思った。
そして、読み手が「岩田さんらしさ」「人柄」をここまで鮮明に感じることができた理由も、おふたりの話を聞けば、さらによくわかった。
この本は、長く数年間の間に行った取材や対談の素材を集め、
永田さんが丁寧に一冊にまとめている。
古賀:
で、この本は、もともとの素材自体はバラバラのものじゃないですか。
永田:
はい。
古賀:
「じゃ、今日は、“社長になるまで”について語ってください」というように取材したものでは全然なくって。ブロック分けには苦労しましたか?自然でした?
永田:
割と、自然にできましたね。そこが、やっぱり岩田さんという人のすごさだと思うんですけれども、一貫してるんですね。話した時期や場所が違っていても、そのテーマのことについては、やっぱり同じようにおっしゃるので。たとえば、「働くこと」とか「リーダーシップ」について語るにしても、一貫している。それは、どこの分野であっても整ってるんですね。だから、「継ぎ目が上手くいかない」ってことが、あんまりなくて。
ちなみに、わたしが自作の帯に書いた「ブレない」というのは、そういう意味ではなかった。
正確には、そこまで正しく理解して書いたのではなかった。
「ポリシーがしっかりしているから、印象がブレないんだなあ」
というぐらいの抽象度で捉えていたのだ。
だけれど、そう聞いてよくよく読み返すと、
この本の中でも岩田さんは、斬り口は違えど
「同じような意味合いのこと」
を繰り返し話している。
尋ねられていること(=テーマ)は違うのに、
結局「同じような意味合いになる」「繋がる」のは、
大切にしたいことや絶対にしたくないことをベースに、
頭の中で物事が、ぐるりと一周を回っても矛盾がないよう整理されていて、論理がねじれたり破綻することがない。
そして常から「考えること」を尽くしているから、
意見が簡単に変わったりはしないのだろう。
だからこそ、バラバラの素材がつなぎ合わされているのに、違和感なく心地よく読むことができた。
繰り返すことで刷り込まれ、本を読んでいるうちに、
まるで何度も一緒に話しているような気になる。
そして、どこを切り取っても「こういう考えの人なんだ」ということが、とてもよく伝わった。
またもうひとつ、永田さんが「助かった」と語ったのは、
寄せ集めたその素材たちの、ある共通点だった。
永田:
今回ぼくが、いちばん編集的に楽をしているのは、どれも「常に、糸井に向かって喋ってる言葉だから」なんです。この本に書かれている岩田さんの「わたしはね」って、すべて糸井に言ってるんですよ。だから、そのテンションって一定だし、会話上の距離とか信頼関係が変わらないんです。
古賀:
ああ、なるほど、なるほど。
永田:
どの時代、どの論理をつなげても、「馴染む」というか。足かけでいうと、何年間みたいな対談をまとめてあるんですけれども、あまりそこも感じさせない。
古賀:
たしかに。
そこでようやく気づく。この本で、
わたしたちは、糸井さんになって、岩田さんの話を聞いているのだ。
糸井さんが話す「岩田さん」
イベントのラストでは、実はこっそり客席の後方で話を聞いていた糸井さんが、おふたりのトークショーに加わる形となった。
古賀さん・永田さん・糸井さん、そして岩田さんの揃い踏みだ。
糸井さんは、それまでのおふたりの会話をたのしく聞かれていて、
糸井さんだけが知っている事実も含めて
「それは、そういうことではなかったかもね」
というような“本当のところ”の話もしてくれた。
そして、わたしには、
「なんだかたまらないなあ」という想いで聞いている箇所があった。
糸井:
ぼく、聞かれたんだよ。「(任天堂の社長を引き受けることについて)どう思いますかね?」って。家族で京都へ引っ越すことの心配を岩田さんが話したんで、「まったくそうだね」って。「奥さんが嫌だっつったら、やめようよ」って。つまり、お城を守る話でも何でもないわけでさ、ひとりの人間の人生だからさ。
永田:
うん。
糸井:
そこが、ぼくが岩田さんを好きなところで。「妻が嫌がってるけど、やります」とは言わないんだよ、やっぱり。
古賀:
そうですね、うん。
糸井:
それで、ぼくは「お父さんに聞きに行けば?」つったの。
古賀:
はい(笑)。
糸井:
それはね、すごく単純なことで、岩田さんのお父さんは室蘭の市長をやってた人なんですよ。当時、誰がやっても憎まれるような仕事だったと思うんだけど、お父さんもまたいい人で、市長をやったんだよ。
古賀:
へえ。
糸井:
ぼくがまだ東麻布にいるときで。あそこは3階建ての建物だったんだけど、靴履く場所で、靴履かずにずーっとそこでしゃべってた(笑)。
古賀:
はははは(笑)。
永田:
玄関先で、そんな大事な話を(笑)。
糸井:
「いつ、どう言うか」みたいなのが、岩田さんにもあったんだろうね。そこで、お父さんの話を思いついたのは、自分としてはちょっと自慢でさ。「これはいい考えだ」と思って伝えたら、「そうですね。行ってきます」って言って、岩田さん本当にお父さんのところに行ったんだよ。
古賀:
すごいなあ。
このとき、本を読んでいるときはあんなに近くに感じた岩田さんが、
「ああ、もうこの世にはいない人なんだなあ」ということを、
なぜかとてもしっかりと感じだ。
「3階建ての建物の、靴履く場所で、靴履かずに話し込んだ」
という糸井さんの表現から、頭の中であまりにも鮮明に情景が浮かぶ。
そのときの岩田さんはきっと、最後にニュースで見たあの岩田さんよりも、もっともっと若くて、すこしきっと膨よかで。
それでも、あまり声は張らずに話したろうな、と想像してしまう。
そして、それを懐かしそうに思い出しながら話す糸井さんのことばが、
「忘れもしない、大事な場面」
として、栞でも挟んでいるように思えて、
そうか。これは全部、もういない人の話なんだ。
ということを改めて思い知るような気分になった。
そして、そんなさみしさと一緒に押し寄せてきたのは、
「これはすごく、うらやましいなあ」
という感情だった。
ふたりの関係
岩田さんは、当時42歳という若さで「任天堂」という、
名高いブランドを背負う、取締役社長を引き受けている。
(※任天堂に入社されたのは、40歳のとき)
当然、正式に決まるまで、
誰それ構わず話せるような話題ではなかったろう。
わたしなら。
ずいぶんと厚かましいけれど、わたしならそんな大事なことは誰に話すんだろうか、と思った。
「どう思います?」
と靴を脱ぎながら、誰に話すんだろう。
後々、誰が「忘れもしない」と語ってくれるだろうか。
古賀:
なんていうんですかね、これ読んでいただくと分かると思うんですけど、岩田さんって、きっと「おしゃべりする」のが好きな方ですよね。
永田:
ああ、そうですね。特に糸井とのおしゃべりが本当に大好きでしたね。
厚かましいついでに、「わたし」のことを、とても優秀な誰かが一冊の本にまとめてくれるとして。
わたしは誰になら、自分の頭の中にあるものを、心を許して、こんなにたのしげに、だけどこんなに真剣に濃密に、話しているだろうか。
岩田さんと糸井さんは、かつて対談のなかでこんな話もされている。
岩田:
やっぱり、糸井さんがしゃべってくださるのは、自分が絶対にしない発想や、自分が絶対に使わない視点なんです。だから自分が予想もしないような球がいつも来るんだけど…… でも、ちゃんと、こちらが受け止められる球を投げてくれるんですよ。
糸井:
一応は、とれる球を投げているんですね。
岩田:
とれないことは一度もないんです。だけど受けとったこともない球が来るので、それがおもしろくてしょうがないんです。
糸井:
ぼくはぼくで、岩田さんと遊ぶときだからしゃべれるというのがありまして……「ぼくはこんなことをおぼえたんですけど」というと、おもしろがってくれるじゃないですか。「自分の側からすると、それはこういうことですかね」って。そんなことでしばらく会話のラリーがつづいて、それによって最初に投げた球筋が見えてくるみたいなことができて。
ー『岩田さんと糸井のことば。』より
「その人にしか話せない話がある」という関係の相手を持っていることのうれしさ、「自分にしか話せなかろう」と胸の内で思えるしあわせを、ふたりはずっと、失う前から互いにしっかりと認識して、積み重ねてきたことがよくわかる。
わたしは、そんなおふたりの関係性が、岩田さんが、糸井さんが、うらやましくてたまらないと思った。
それは、
「人よりも、あまりにも秀でたふたりだから」
ということだけではないように思う。
もちろん、だからこその孤独や共鳴もあったろうけれど、
お互いの違いが心地よくて、根底でいちばん大切にしていること(=人を喜ばせたい、ということ)だけが、とてもよく似ている。
その相性の良さに、互いがすっかり惚れ込んでいるのだ。
そんな相手に自分のことを「わたしはね、」とずっと話している。
『岩田さん』とはそういう本なのだ。
だから読んでいて、
うれしくって、たまらない気分になる。
話し声まで聞こえてしまう。
「そりゃあ、そうか」
と、ようやくなんだか“ひとかけら”掴んだような気持ちになった。
最後に、糸井さんは吐露するようにこんな話もしてくれた。
糸井:
いや、後ろにいて聞いててさ、ちょっと寂しくなったね。つまりさ、岩田さんもぼくもそうだけど、「さあ、右かな、左かな」っていうところで、嘘でもいいから「いいんじゃない」って言われたいってことがあるわけよ。いつも「岩田さん、これどう思う?」って言うとさ、「ひとつはあれですよね」とか言いながら、3つぐらい話してくれる。で、「今の話、じゃあ全部大丈夫ってことじゃない?」って言えば「そうですよ」って返してくれる、みたいな(笑)。あれで、ぼくはだいぶ助かったんですよ。それが今はなくてさ。
古賀:
たしかに……。
糸井:
だって、別に岩田さんが助けてくれるわけじゃないんだけど、「それはいいですね」って岩田さんに言われるだけで助かるんだ、やっぱり。それがね、特に師走にはいつもあるよ。
古賀:
ああ、そうですよね。
糸井:
師走は、「どうしよう、来年」みたいなさ。ひとりになったときに、やっぱり。
永田:
休日は特に、いろいろね。
糸井:
そうそうそう、休みの日はね、悩むのよ。来てよかったよ、今日(笑)。
さびしいけれど、そんな「せめてもの」場にひっそりと立ち会えたことを、とてもうれしく思った。
すごくすごくいい夜だった。
『岩田さん』と出会えて
「最近、こんなことを考えてて」と話したくなる相手がいることのしあわせについて、考えてみる。
わたしももっと自分を話したいし、
誰かにとって、そんな相手になれたら、と思った。
なって、「それはいいですね」と
誰かの背中をわたしもそっと押してあげたい。
ビジネス書であり、伝記であり、やさしい名言集であり。
そして、(ことばにするとどうにも安っぽいけれど、)これはきっと、友情の本でもある。
勝手ながら、帯は、こう書き換えることにした。
***
『岩田さん』の冒頭、「はじめに」にはこんな記載がある。
この本に掲載している岩田さんのことばのほとんどは、ウェブサイトにいまも散在しており、丁寧に対談記事などを読み込んでいけば、巡り合うことができます。けれども、ウェブサイトのテキストというのは、宿命的にたくさんの新しいことばに埋もれていくものですし、いつの間にか二度と探せなくなったりもします。
ー『岩田さん』“はじめに” 本文 より
そうならなくて本当によかった。
掬って集め、「本」という形にしてもらえて本当によかった。
偉大なふたりの関係性に触れたあとでさえ、
「本だって、ときどきは、友人のように背中を押してくれることがあるかもしれない」そんなふうに思わせてくれる一冊だったから。
たくさんのことを教えてくた岩田さん、
そして纏め伝えてくれた永田さん、
どうもありがとうございました。
わたしにとっても、きっとまた、何度も何度も読み返すものになるのだと思う。
<おしまい>
※ イベント内の写真とテープは、ほぼ日さんにご協力いただき執筆しました。快くご了承いただきありがとうございました。
エッセイ執筆の糧になるような、活動に使わせていただきます◎