見出し画像

何にもなれなかった私

高校3年生の時、空欄の進路希望調査票を前にして思った。

今後4、50年の人生を今決めろというのか。
たった17歳の若造に。

今思えば、17歳に決めた決断が一生を確定してしまうほどではないということは分かるのだが。
それでも17歳ながらに、大きな決断を迫られていることを感じた。

名前もすでに朧げだが、当時の担任教師は進路希望調査票を配りながらこう言った。
「君たちは、これからなんにでもなれる」

希望を持たせるためだったのか、鼓舞するためだったのか、教師の気持ちは計り知れないが、
すでにそこそこ偏屈だった私は「そんなわけないじゃん」と机の木目を眺めながら思った。

既に文理選択はしてしまっている。
これから数学者になりたいと言っても、先生は止めるだろう。

自分の運動能力は分かっている。
これからオリンピックを目指すと言っても、みんなが現実を見ろと言うだろう。

家庭の財力は薄々把握している。
4年間海外の大学に行きたいと言っても、親は無理だと説得を試みるだろう。

先生の言う「なんにでも」は、
結局、自分ができる範囲の努力、もしくは自分が持ち得る才能、現実内で用意されている環境、
そう言った範囲内での「なんにでも」でしかないのだ。

そんな陳腐な「なにか」かになるために、金を払い有象無象のなかの一つの大学へ行き、
ただお金を稼ぐためだけの「なにか」になるのだ。
17歳の若造なりに人生を嘆いた。

結局、進路希望調査に書いたそこそこの大学に入り、
サークルやバイト、講義を人並みにこなして、
普通に就活をして、結婚して、東京で仕事をしている。

高校の進路希望調査に始まり、
就職活動、引越し、結婚、転職等々、
いくつになっても、いまだに「ここで人生を決めろと言うのか」と思う。
そして、なんて名前の付かない、格好のつかない「なに」かになっていると自嘲してしまうのだ。

隣の芝生は青いとよく言ったもので、
あの大学に入っていれば、
あの勉強をしていれば、
他の人と付き合っていれば、
内定をもらった他の会社に行けば、
転職の時期を変えていれば、
そんな後悔とは違うけれども、今とは違う「なにか」になっていたかもしれないという「もしも」を考えてしまう。

かつてそんな話を幼なじみたちに話したとき、
彼女らは「すごいじゃん」と言ってくれたのだ。

奨学金で大学へ行って、ちゃんと4年で卒業して、
ちゃんと都内の企業に就職して、働いて、
転職もして、
長く付き合っていた彼氏とちゃんと結婚して、生活してるんだから、
「ちゃんと」自分で選んで「ちゃんと」真っ当に人生を歩めるってすごいことじゃん、と。

(実際は、私を溺愛するが如くもっとベタ褒めしてくれた。ありがとう。)

目から鱗と涙が出た。
自分の選んだことたちが集まって、ちゃんと「私」になっているのだと。
それを認めてくれている人がいる。
そんな私を好きだと言ってくれる人がいる。

結局、自分はなんにもなりたくないと努力や決断の労力を渋って、駄々をこねながら、
なにかである自分を、好きな人たちに認めて欲しいだけなのだ。

きっとこれからの決断もまた渋るだろう。
数ミリ変わって、認めてもらって、次の決断でまた渋る。
人生なんてそんなものなのかもしれない。
そう思えただけでも、17歳の頃の自分に教えてあげたい。

なににもなりたくなかった。
なにかになりたかった。
なにかになってしまった。
でも、それが私。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?