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ご無沙汰しています。

妹を看取り、あっという間に月日は過ぎ、7ヶ月が過ぎてしまいました。

亡くなってから3ヶ月目までは、絶対にやらなくてはならない残務処理で、毎週ばたばたしていましたが、それがおおかた終わると、少しホッとしてしまい、逆に色々やらないといけないな…と思うのに、気持ちが途切れ途切れになってしまい、手が付けられていないまんま…となってしまっています。

市役所や年金、税金、金融機関関連の手続きもようやく終わり、妹から母への名義変更手続きなどもなんとか終わる事が出来ました。
世帯主がいなくなるということは、こんなにも大変なんだなと、改めて実感しました💦

また、ひとり残された母と猫たちの生活の確保を第一に、色々とルール作りなども決めてゆきました。

母は相変わらず、妹を思い出してはしくしく毎日泣いてますが、47年間、一緒に暮らしてきた家族を亡くしたのですから、それも仕方ないかなと。

「泣くのも供養だから泣いたらいいよ」と伝えています。76歳から始まった一人暮らし。なんとか頑張ってくれています。

猫たちの終生を見届けることが、妹との約束になっているので、猫たちを看取るまで頑張ると言ってくれています。それが済めば、母も実姉と一緒に介護付きの高齢者施設に入所する予定になっています。

猫たちも半年が過ぎてようやく「主さんは帰ってこないんだ」ということを理解したようです。

妹が亡くなるまでは、母の部屋で2匹とも寝ていたのに、妹の姿が見えなくなると、ずっと妹の部屋で寝るようになりました。
しかし、それもようやく納得したのか、最近はまた、母の部屋で寝るようになったそうです。

皆さんからお送り頂いた動画の妹の声を、母が時々猫たちに聴かせているそうです。
不思議そうな顔をして、聞いているそうです。

まめちゃん
ももちゃん

妹の部屋の荷物を整理していた母ですが、なんとか一部屋に収まるくらいまでの荷物量まで整理しました。仕事用の部屋と寝室とふた部屋を占領していた妹💦

体調がよくない期間が長かったこともあり、かなりの荷物が溢れかえっていました。趣味も多くて、少し前までは洋裁、体調が悪くなってきてからは、手軽に出来る手芸にはまっていました。それらの道具や材料だけでも、押し入れ一間分ほどありました。

たぶん何かに没頭していれば、つらい薬の副作用も忘れることが出来たんだろうと思います。
洋裁にはまっていたときは、食事もそこそこに、寝る時間を削ってでもミシンをかけていたそうです。体中のあちこちの痛み、それを抑えるために飲む薬の副作用、思わしくない胃腸の不調や、手足の痺れなど、万全ではない日々が続く中、一生懸命に作っていたんだろうなと。

体が元気であれば作りたかっただろう服地も、何着分も出てきました。しかし、どれも型紙から写しかけたものや、いくつか裁断までしたものなど、手をつけたままのものもたくさんありました。もっともっと作りたかったんだろうな。

お菓子作りも好きで、気に入ったものは自分で作るという凝り性な面もありました。
皆さんからよくお声かけ頂いたのが、台湾銘菓のパイナップルケーキです。
台湾好きだった妹、何度も台湾に行くたびに、色々パイナップルケーキを買っていましたが、そのうち自分で作るようになりました。

私も何度かご馳走になるうちに、買ってくるものより、妹が作った方が美味しいと思うように😅
しかし、それもそのはず(笑)妹のスマホには、改良改良を重ねたパイナップルケーキのレシピがver.5までありました💦

自分で作る用のメモなので、ちゃんとしたレシピではありませんが、一緒に買い物に行った際には、台湾パイナップルを見ては、これはまだ食べ頃じゃないなぁ〜など、言っていたのを思い出します。

よく作っていたパイナップルケーキ

その他には、水餃子をよく作ってくれました。これも凝り性で、熱が出てしんどいときでも、私の子どもたちが遊びにくるから食べさせてあげたいと、皮まで前日から仕込んで、手作りでたくさん作ってくれたこともありました。
本当に私の子どもたちを自分の子どものように可愛がってくれていました。

餃子のレシピもどこかに残してくれているように思うので(妹の性格上、たぶん何処かにメモしているかと)またゆっくり探してみたいと思います。

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