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目黒川の桜を観に行って来ました
4月初旬、次男の高校受験の合格祝いに、東京に1泊で観光に行ってきました。
日程の都合で足早の観光でしたが、次男も初の新幹線、初の東京と、大喜びでした。
妹が亡くなって早1年半。
次男の中学入学の際、制服姿を見た妹は、
「高校生の奏たんも見たいな」と言っていたのを思い出します。
無事に高校生になれたよ。
ちび姉(妹)にも見てもらいたかったね。
中学はブレザーでしたが、高校では詰襟の学ランになり
ついつい買い過ぎてしまう話
(1月過ぎに下書きしていたものを投稿しています)
妹のいない2度目のお正月を終えて、急に寒くなりました。いよいよ冬が来たんだなーと。
母が体調を崩し、年明けからちょくちょく実家を訪問していました。
「来る途中に新しい和菓子屋さんが出来てたよ!美和ちゃんが好きそうなものばかり!」と、みたらしやおはぎや苺大福と、食べきれない程買い込んでしまいました。
妹が病気治療をしていた時、食べたくても食べ
新年あけましておめでとうございます
ご無沙汰しております。
妹が亡くなり、2回目のお正月がきました。
昨年11月23日の1周忌の際には、皆様からのたくさんのお花やお供えをお送りいただきまして、本当にありがとうございました。
この場をお借りいたしまして、御礼申し上げます。
妹が居なくなってからの1年間。離れて暮らしていた私にとっては本当に早かったと感じますが、一緒に暮らしていた母には、長い長い1年であったのではないかなと思います。
ももちゃんも元気です
早いもので11月になりました。
23日の命日には親族で一周忌の法要を行います。
「去年の今日はまだ元気やったんよねー」と
思う日も本当に多くて。
昨年の9月、一旦の治療を止めて、副作用で弱った体を休めることにしました。
しかし、10月に再開出来るようなお薬はなく、体の状態もどんどん悪くなっていました。
一旦やめるとなった治療は、本当は体を休めるためではなく、もう治療に使えるお薬がなくなっていたの
初盆無事済ませました
お寺さんの都合と私たち家族みんなが揃う日を調整して、8月6日の日曜日に初盆の法要を済ませました。
御供え等お送り頂きました皆様には、深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
法要は自宅で行い、母と私の家族と、ももちゃんとまめちゃん、みんなでお迎えしました。母は「帰ってきたから盆が済むまで出掛けずに家に居てるわ」と言っておりました😅
法要の後に近くのお店でお食事会をしました。個室でしたの
WONKが心の支えでした
少し前の話になりますが、先日の6月9日に、WONKの大阪でのライブがありました。残念ながら夜の遅い時間に高齢者の母を連れて行くのは難しく、観覧は断念しました。
写真はその半年ほど前になる、昨年22年の10月の、大阪でのライブの際の写真かと思われます。
妹が生で聞いた人生最後のWONKのライブでした。
写真は全て古いものになりますが、妹はいつも大阪ビルボードでのライブを楽しみにしていました。また、
ご無沙汰しています。
妹を看取り、あっという間に月日は過ぎ、7ヶ月が過ぎてしまいました。
亡くなってから3ヶ月目までは、絶対にやらなくてはならない残務処理で、毎週ばたばたしていましたが、それがおおかた終わると、少しホッとしてしまい、逆に色々やらないといけないな…と思うのに、気持ちが途切れ途切れになってしまい、手が付けられていないまんま…となってしまっています。
市役所や年金、税金、金融機関関連の手続きもようやく終わ
たくさんの親友に囲まれて
一昨日の2月23日で、妹が旅立ってから3ヶ月が経ちました。本当にあっという間の3ヶ月でした。
私は母とは離れて暮らしているので、妹がいた頃と変わりない生活ですが、1番辛いのはやはり母かなと。
大きな存在を失った悲しみは、たぶん一生消えることのないものだと思います。
それでも母は猫たちのお世話をしながら、何とか前向きに生きていかなくてはと、頑張ってくれています。
猫たちも、母ひとりになったこと
WONK最後のライブ
妹の机周りの荷物の整理をしていると、2022年と2023年のスケジュール帳が出てきました。
2022年のスケジュール帳は、4月くらいまでは数カ所に予定を書いていましたが、5月以降はほとんど白紙に違い状態でした。
多分、4月くらいから、体調が急激に悪くなり始めた頃かと思われます。
それからは手帳は使わずに、リビングに飾ってある母が使っているカレンダーに、母と一緒に簡単に予定を書き込んでいたようで
残された時間を大切にしていました
妹は亡くなる1年ほど前から、自分に残された時間はそう長くはないことを自覚していました。
今から2年ほど前の時点で、既に乳がん治療に使える抗がん剤を全て使用し、いよいよ転移を抑制する効果の高い治療薬が無くなってしまいました。
藁にもすがる思いでもあったのでしょう。遺伝子検査を受けて、もしもタイプが合えば使える薬がある、というものを調べたりもしましたが、残念ながら不適応でした。
その後はもしタイ
静かな新年を迎えています
写真は昨年、妹が母と一緒に食べようと、中書島のレストラン「大進亭」さんで頼んだ、お一人様用のおせち料理です。母とそれぞれひとつずつ頼んで、すごく美味しかった!と話してくれました。
大進亭さんは職場の方々ともよく一緒に利用していたそうで、こちらの料理は何を食べても美味しいねん!と、母を連れて2人で食べに行ったこともあるそうです。
特に冬になると牡蠣フライを食べるのを楽しみにしていて、毎年「大進亭
皆様に感謝の気持ちを込めて
妹が旅立った後、母は妹の荷物探しをしています。
大事なものを聞いておく前に、急なお別れとなってしまったため、探し物もたくさんあり、妹の部屋でひとつひとつ、確かめながら整理をしています。
その中で見つけたのは、皆さまからの妹宛てに頂いたメッセージカードやお手紙、年賀状などでした。妹は皆様から頂いたお手紙やカードを捨てずに何年分も持っていたようです。
頂いた皆さまには大変申し訳ございませんが、どう
皆様にお願いしたいこと
妹が常々言っていた、皆さんへのお願いで、お伝えしたいことがあります。
妹が皆さんにお願いしたいことは
【がん検診を受けてください】
です。
妹は経過観察期間を含めて、18年もの間、がん治療を行なってきました。
最初のしこりを見つけたのは29歳の時。当時勤めていた会社の健診で、乳がん検診を受けたことがきっかけでした。
がんが見つかったこと、がんにかかってしまったことは不幸でしたが、がんを早くに
妹の携帯に入っていた写真と曲
通夜と葬儀の会場には、妹の携帯に入っていた写真アルバムから、いくつかの写真を印刷し、祭壇横に飾らせていただきました。
昏睡に近い状態が続いていたままでの、突然のお別れとなってしまったで、本人がこのような形のお式を望んでいたのかどうかはわかりませんが、家族で話し合い、来ていただける皆様に
こんなに楽しい時間を一緒に過ごしてくださり
【ありがとうございます】
の気持ちで選ばせていただきました。