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『紙の動物園』 ケン・リュウ(著) 古沢嘉通(編・訳) 感想

 20世紀中盤、文化大革命が起こる少し前に、中国には日本と同じような折り紙文化が存在したのか。主人公の「母さん」は河北省の貧しい農村に生まれたが、ここには折り紙に命を吹き込む魔法が伝えられていた。バッタを追い払うために鳥を、ネズミよけに虎を折った子ども時代の母さんたち。そして新年のお祝いには爆竹を乗せた赤いドラゴンを空いっぱいに飛ばす。壮観な眺めだったであろう。
 折り紙に器用さが必要だ。角と角を対角線に合わせて一回でぴしっと折らないと、羽やくちばしがすっと伸びた端正な鶴の姿にはならない。命を吹き込むのであれば、なおのことそうだろう。アルミホイルの鮫が金魚を追いまわすためには、クリスマス用包装紙の老虎(ラオフー)がアクション・フィギュアのオビ=ワン・ケノービをテーブルから叩き落とすためには、息を吹き込む前、魔法にかけるまえの「紙」の動物は、鋭角の連続で折られていなければならないはずだ。
 そう思って本書の表紙、老虎(ラオフー)のイラストを見た。ものすごく強そうではないが、男の子の遊び相手になってくれそうな、ちょっと優しそうな虎である。
 こうなるともっと難しい。ぴしーっと角を合わせる技術を持った人が、その折り線を紙に刻む前に、ほんらいシャープになるなずの角っこを予め垂直方向に折り曲げておき、そこを長い対角線に沿って鋭角になるように折る(「鶴」で最後に嘴を折るところと同じである)。言い方を変えると、シャープそのものの耳を折ることができる人が、あえて「攻撃色」を弱めるために予め角の数を増やしておいて、そのあとはもう、鋭角オンリーの世界で折っていく。そういう技術が必要なはずである。鶴を折ったことがあればわかるだろう。
 そうやって作られた老虎は、「息を吹き込んでくれた」母さんが亡くなった後、つまりもう魔法で動かなくなった後、なぜかある日カサカサと動き出す。それが清明節、すなわち中国のお盆の日だった。
 母子の情愛ものはわたしは苦手、というより拒絶したいジャンルだ。それなのに、なぜか読み終えてしまった。そして、読後に悲しさだけが残るわけではなく、読んだ後に後悔もない。これがケン・リュウの才能、そして翻訳者、古沢嘉通の力量であろうか。話題になっていたときにはまったく知らなかった本だけに、いま読めたことがただありがたい。

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