見出し画像

パリ24時間(4)若さ或いは無自覚な凡庸

 地鳴りのような震えがコートのポケットから伝わってくる。10回以上は繰り返されている。3600マイルの彼方で、リリアナが苛立っているのがわかる。アルディティからジャン・フランソワが勝手に出ていったと聞いて、矢もたてもたまらなくなっているのだ。
 せっかくお膳立てしてやったのに!と喚き立てる男のような声が聞こえる。アルディティに気に入られたら、フランス国営テレビ、プライムタイム、人気番組に出ることもできたのに、ああ、全部壊してくれて!リリアナが怒っているのは自分のためじゃない。アルディティごときに彼女の立場は揺るがない。この世は露出ありきなのよ、露出していれば地位も名誉もついてくる、それが原則だって何度言えばわかるのよ!男だからって、無名からいきなりデビューが許されるわけじゃない、あんたもそろそろ賞味期限になりつつあるって、わかってるわよね。地位と名誉があったら同じ情報に数千倍の価値をつけられる。10年前にあんた一人でやった調査なんて、どんなに簡単に無視されたか、思い出しなさいよ。あたしから言わせると、あれこそピューリッツァーだった。でもあんたにネームバリューがない上に、誰にも頭を下げようとしなかった。世に出ない優れた仕事なんてないも同じよ。デレク・ボーマンをみなさいよ。全く逆をやって成功したじゃないの。どんなに馬鹿にしたって、あんたはデレクに負けてるのよ。20年前の「シベリアの森林の1年」で大手出版社のプロモーションを獲得した。あんなくだらない本に「エコ文学」なんて帯がついたおかげで売れたのよ。次はテレビ。LAローカルの誰も知らないキャスターの番組から教育番組からなんでも出て、テレビを使いまくった。デレクは一度も疑ったことはない。100万のリツィートは10分のテレビ出演にかなわないという真実を。その結果、どう?今じゃ気候変動のちょっとした権威になってる(TODAYで重々しくコメントしてる様子ったら)。おかしいさ、もちろんおかしいよ。でも大衆は信じたいことを信じるものなんだ。あんたはその間何してた?調査、ファクト、声なき声、真実?何様のつもり?そんなもの誰も欲しがらないんだよ… 
 リリアナの叱責は壊れたトラックだ。何度聞いたことか。細く筋張った手首にはたくさんのアクセサリーが巻き付いている。黒いネイルと大粒のエメラルドで飾った節くれ立った指が、脅かすように右左に揺れる。ジャラジャラという音が鳴る。口でなんと言おうと、パトロンヌは俺が誰と消えたか知りたいんだ。

 午前2時。バスチーユ界隈には昼間の熱気がまだ残っていた。半分以上のカフェやバーが開いていた。しかしよく見ると、そうした店の大半はもう閉店の準備に入っており、テラスの一部を除いて、残っている客は少なかった。椅子やテーブルが徐々に積み上げられていた。デモ隊の残りは街路に流れていた。多くが地方や郊外から来ているような若者たちで、始発を待って、疲れ果てた頭で政治談義を続けていた。元気な者たちは片手に紙袋を持って、それを時々仰いでいた。瓶のラベルが見えないように飲んでいるのだ。深夜の公衆の面前でのアルコール摂取は法律で禁止されているから。マリファナの匂いが立ち込めていた。よれよれのジョイントが手から手へ渡っているのが見えた。ジャン・フランソワはふと、10年以上吸っていない煙草の匂いが嗅ぎたくなった。なぜだろう。リリアナの説教口調を思い出したせいか。あるいは、パリと紫煙は思い出の中で切っても切れない関係だからだろうか。
 オンネ・ル・プープル!広場の隅から凱歌が上がっている。我らこそ民衆だ!上辺だけの政治談義で反抗的な気分を互いに掻き立て、アドレナリンを自家分泌しつつ、沈鬱な底辺公僕の未来を忘れようとしているニュー・プアの子供たち。金を羨み、金を憎み、金を隠すフランス。25年前、彼がパリで数年の放浪生活を送っていた頃とすべてが同じだ。25歳の服装が変わっただけで。吸ったら終わりだぞ、何年禁煙していようと、一度吸ったらまた逆戻りだ、と友人たちが叱責する声が聞こえる。しかし、脳内分泌学が何を証明しようと、自分自身には何かに依存するような本能はすでに枯渇している、と信じる気持ちがあった。

 「マルボロの赤」

 セーズ、と答えたバーテンダーは、商品を手に持ったまま、無表情にこちらを見ていた。16ユーロ。ジャン・フランソワは20紙幣をもう一枚ポケットから引き出し、丁寧にしわを伸ばして、相手に渡した。「メルシー」と言った先から、2枚の2ユーロコインが転がってきた。コインをそのままレジの横にあった寄付金箱に入れつつ、ジャン・フランソワは感慨深く、25年前の同じ煙草の値段を思い返した。忘れていないのが不思議だった。12フラン。ユーロが始まる前々年のこと。2ドル弱だ。TABACと表札の出ている店で買えば12そこそこだろうが、それでも6,7倍の値段になったわけだ。ジャン・フランソワが禁止事項のもう一つに手を染めようとしているのを感じたかのように、ポケットのiPhoneが再びうなり始めた。取り出そうと突っ込んだ手に堅いものが触れた。取り出してみると、薄茶色の、油染みのある、まるでパン屋がクロワッサンを入れて渡した後の油紙のような紙切れが出てきた。もうろうとした字でこうあった。

   This is my phone number. I shall be glad if you call 06 *********

 メモが残された紙の裏にはほとんど消えかかった鉛筆の字で「Chloé」と、ご丁寧にも名前まで書き添えている。この無知な、世間ずれしていない、しかし何か手垢のついた日常を感じさせる差出人は誰だろうと考えて、ジャン・フランソワは迷うことなくテーブルの端に座っていた40がらみの大柄な女を特定した。50を過ぎても60を過ぎてもノースリーブを着て、ジムで鍛え上げ、日焼けサロンで焼いた上腕筋を見せびらかしているパリ社交界の女たちと違って、彼女の広い背中と肩には白い脂肪がふんわりとついていた。雪が積もるように、静かに。中途半端な赤毛に染めたセミロングの軽そうな髪が中途半端にカールして、二重になりかけた顎と下がり始めた豊かな頬を包んでいた。その頬を、テーブルに肘を乗せた腕が物憂げに支えていた。全体的に幼児的な印象を与える顔は、いつ見ても生ぬるく微笑んでいた。しかし、その重く垂れたまぶたの奥の目は笑っていなかった。冷たい光が潜んでいた。
 要するに、典型的な中年の主婦だ。退屈し、醒めていて、悪意に満ちている。真性の殺人者。彼女の隣にいた夫とおぼしき白髪の「元最高裁判事」を思い出し、ジャン・フランソワは紙切れを握りつぶした。やたらと大声で正義正義と喚き立てる男だった。なのに、妻が乾き切っていることは気がついてもいない。まったく似合いの二人だよ。隣町まで自分の家のゴミを捨てにいく種類の人間だ。尻拭いを他人に押し付けて生きてきたんだ。
 コートには、別の書き付けも滑り込んでいた。その真っ白な上質のメモ用紙にきちんと書かれて、四つに折られたその紙切れを、ジャン・フランソワはヴィラを出る前にすでに見つけていた。メッセージはなく、小さな四角い文字と数字が整然と並んでいた。
 
    Claude 06******** 
 
 クロードは男の名前でもあるし、女の名前でもある。これはどっちだろう?几帳面な字体を見れば、男であることは明白だった。同時に、大叔母クロードの顔も浮かんだ。郷里ケベックのサグネーの湖畔で生涯独身を貫いて死んだ。一生、ヘビースモーカーで毒舌だった。
 老女の顔と並んで、アルディティの邸宅の重い玄関ドアを開けた使用人の顔が現れた。来客にクロードはいなかったし、唯一ゲイらしい(本人は隠しているにせよ)アルディティの名前はピエールだ。大叔母クロードと寡黙な使用人のクロードには奇妙は相似点があった。小さくて、干からびたように痩せていて、蒼白だ。
 この「クロード」はまさに18世紀的な従者(ヴァレ)に見えた。ドン・ジュアンのスガナレル。ジャック。スカパン。主人が陽なら陰、陰なら陽を演じる。主人のネガであり、その隠された欲望を実現させる。そしてフィガロ。革命の火付け役。18世紀的関係を離脱して、一人遠い世界を目指した男。ジャン・フランソワは再びメモを丸めて灰皿に捨てた。
 30分前に後にしたサロンの記憶が鮮明に蘇った。
 ヴィラの奥の薄暗い階段の突き当たり、大きな扉の向こうに現れた真紅のビロード張りの小部屋。アンシャンレジームの貴族の妾宅を模した空間。脚付き燭台や女性用レターデスクなど、実用をなさないが繊細極まりない紫檀工芸の数々。高い天井の下の壁は見渡す限り一面の書棚になっており、古書がずらりと並んでいた。その前で、ブリーチした髪を小麦色の肩と背中に滑らせ、おそらく彼女自身の価値よりも高いダイヤのネックレスを喉に光らせたアジア系の新人女優が、無邪気な笑い声をあげていた。その様子は、フランスの文化政策の完璧なミニチュアと言ってよかった。重厚とチープ。フランスの自称特権階級は、DNAに組み込まれた文化的プライドの重さで窒息しそうになっている。年老いた文化人の中には欲望が渦巻き、時代ごとに形を変えて現れる。その形はいつも卑小で凡庸だ。それがなんだろう。欲望を失ったら彼らは死んでしまう。そこで生まれるブルジョワジーの秘かな楽しみ、それは「若さの蹂躙」に尽きる。若さと言っても、身内の若さではない。公共の消費物にしていいのはエキゾチックな若さだけだ。
  クロード大叔母は、フランス人を罵る言葉として、よく「フザンデ」と言っていた。「フザンデ faisandé」とは、「フザン faisan(雉)が腐ったような匂い」という意味の古いフランス語だ。17世紀の静物画によく見られるように、アンシャンレジーム貴族の邸宅のあちこちに放置されていた狩猟の獲物、そしてゲームミートと食べる人間の体臭が生み出した匂いのことだ。雉ならむしろいい方で、ヴェニソン(鹿)の匂いから蝿が大量発生するという民間信仰もあった。さもありなん。1930年代のフランスは、北米の牧師の娘にはさぞかし享楽的で、退嬰的に見えただろう。

 ただ、とジャン・フランソワは思った。2023年のフランスは、もうさしてアンモラルな場所じゃない。いや全然。アルディティの家がいくらあちこちから奇妙な匂いを放っていたとしても(東洋の香木を焚いてオリエンタルな雰囲気を出している上に、シガーの甘ったるい匂いが混じっていた)、あれが果たして「フザンデ」と言える匂いなのか?アンモラルになろうとするなら、権力も金もまさに18世紀貴族並みに必要だ。唸るほどに。国家を傾けるほどに。21世紀のリベルタンにはそんなものはない。あそこにいた高齢の色男たちの何人かは、月曜になれば、小学生の末っ子を幼稚園に送るために早起きしているはずだ。不倫の末にくっついた30歳年下の配偶者はまだキャリアの真っ最中だから。(それに、離婚で身ぐるみ剥がれた男には、若妻を一生養えるほどの財力はない。)彼はどんな顔をして子供の同級生の父兄と話すのだろう。想像するだけでも気の毒じゃないか。

 いやいや、ブルジョワジーの秘かな楽しみにもいいところはある。
 例えば食い物。死にかけたフランスの老人に10万ドル与えてみればいい。もう自前の歯など一本も残っていないくせに、数ヶ月でその半分をレストラン巡りに使い果たすだろう。
 腹の底から芳しい息吹のような満足感が上ってきた。四つ星シェフの噂は本当だったな。食事は全てフレッシュで洗練されたものばかり。最高級「ワギュウ」のカルパチオ、黒海キャビアとエシレバター、混ぜ物のないタラマ、焼いたばかりのブリニス、自家製スモーク・サーモン、シチリアのレモン、野菜の形を崩さない、揚げたばかりのテンプラ、プイイーフュメの栓が次から次へと抜かれた。ラムベースのカクテルの見事だったこと。ジャン・フランソワはテラスの周辺に集う若者をじっと見ながらこう思った。食い物に関しては、25年前は俺も確かに「こっち側」にいた。こんな土曜日の夜の食事は、せいぜいケバブか、「パリ・パ・シェール」に載っていた12ドル以下のビストロだったはずだ…

 実のところ、これらの思念は、煙草を買ってから最初の一服の煙を吐き出すまでのほんの十数秒の間に頭に浮かんでは消えていったものだった。
 気がつくと、彼の周りには、十人余りの若者グループが集まっていた。前景の女たちは身を乗り出さんばかりにして彼をまじまじと見つめ、その後ろにいる若い男たちは無関心あるいは軽い不信の気持ちを滲ませて、距離をとっていた。
 最初に煙草をくれと言ってきた娘は、聞かれもしないのに、あたしはコリンヌと名乗り、隣のほっそりした金髪を、これはイザベル、と紹介した。ジャン・フランソワのフォトグラファーとしての目は、一般的には美人とされるイザベルよりも、平凡なコリンヌの方がはるかにフォトジェニックであることを見抜いていた。笑い返したジャン・フランソワの賞賛の眼差しを感じたのか、気をよくしたコリンヌは続けた。

 「ねえ、さっきバーテンに何か見せてたでしょ、あれ何?」

ここから先は

12,642字 / 2画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?