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パリ24時間(3)荒野行動或いは左翼的恋愛

 ニコラはコリンヌを見ている。コリンヌはトマを見ている。トマの目は、シャルロットとレミの上を通り過ぎ、時々イザベルの金髪に、時々アンヌ・ソフィーの栗色の髪に落ちる。シャルロットはトマとレミの両方から顔を背け、宙を見つめている。レミが立ち上がる。シャルロットを詰問している。彼女の膝に泣き崩れる。イザベルはクリストフに目配せする。クリストフは眉を顰め、首をかしげる。イザベルは首を振る。クリストフは背中を捻って後ろの席のコリンヌに尋ねる。
 またしてもイザベルの目は、テラスの向こう、舗道のパブロへと向かっている。仕方がないわ、ここにいるどうしようもない男たちの中でパブロは一番面白そうだもの。
 パブロは30代半ばのCGT(労働総同盟)若手幹部だ。今はセシルと話し込んでいる。微動だにしない静かな微笑みは、見ようによってはミステリアスで、インドの賢者を思わせると一部の女たちに評判だ。最近、メディアによく取り上げられる。わざわざ予定を組んでインタビューに来る記者もいる。まだ若いのにすでに白髪が多い長い巻き毛を一つにまとめ、うなじで止めている。擦り切れたTシャツとジーンズを一年中使い回している。最近はいつ見ても、生後数ヶ月の娘を胸の抱き袋に入れて抱えている。「フェミニスト」パブロはシッターを雇わない。働いて稼ぐのは、誰も見たことがない赤ちゃんの母親。
 イザベルは、彼がきれいにヒゲを剃っていることに気がついた。そういえば、今日は全体的にスッキリしている。日は市内の企業の営業マンと言ってもおかしくないくらい。そうか、白いワイシャツを着ているんだ。テレビ局にでも寄ってきたのかもしれない。何よりも赤ん坊がいない。男の人は子供を連れていないだけでこんなにセクシーに見える。
 パブロを陰からじっと見ているのはイザベルだけじゃない。テラスに、弟とその彼女の間に挟まれて大人しく座っているアンヌ・ソフィーも同じだ。彼女は失望している。今日のデモにも、これまで3ヶ月の全てのデモにも、彼女はパブロと一目でも交わしたくてやって来たのだ。でもパブロは彼女を見ようとしない。テラスの方さえ見ない。頑固に。
 サンテティエンヌ出身のアンヌ・ソフィーは、地方の保守系家庭にしか生まれない上品な美人だ。おつむは良くないが、その自然な優美さと従順な性質が評価されて、マドレーヌのフォション本社に社長秘書として勤めている。とても内気で、街角で通りすがりの男から口笛を吹かれたり、「綺麗だね、お姉さん」と言われたりするたび、顔が真っ赤になる。高級住宅街の17区、モンソー公園付近に両親が所有しているマンションに、弟のニコラと二人で暮らしている。今年初め、パブロに出会い、一夜を一緒に過ごした。パブロはすっかり忘れたようだけど、アンヌ・ソフィーは忘れていない。パブロの近くにいるためだけに、それまで無縁だったデモやストに参加し始めた。この3ヶ月続く年金改革反対デモには毎土曜日参加している。社長は何も言わないけれど、感心していないのは確か。アンヌ・ソフィーの突然の極左化(左傾化と言うよりも)を面白がっているのは、ニコラとその彼女のコリンヌだ。何度か姉に同行するうち、3人共通の友達ができた。今は毎日のように電話をかけ合うイザベルやトマたちにも、デモの後の飲み合いで出会った。アンヌ・ソフィーはこの3ヶ月を後悔していない。年金デモがなかったらなんて悲しい生活だったことだろう。

 昨日の土曜は、今日14時から予定されている行進のリハーサルだった。オペラ座前から出発し、イタリア人大通りを東へ。ボンヌ・ヌーヴェル、サン・ドニ門、アムロ通りと進むうち、群衆はどんどん膨らんだ。笑いながら、歌いながら、肩を組んで知らない人たちと歩くのは楽しかった。「あきらめない!撤回までは!」と誰かが叫ぶと、それはすぐに、サルタンバンクのサルサのリズムに乗ったレフレインになった。
 
      オン、ラッシュ、リヤン!
      オン、ラッシュ、リヤン!
      オン、ラッシュ・ラッシュ・ラッシュ・ラッシュ、リヤン!
 
 普段は生真面目なニコラも楽しんでいた。コリンヌも途中でいなくなったりしなかった。レピュブリック広場では、ホットドッグやビールを売る出店が並んでいて、完全にお祭りだった。近隣のビストロやカフェも、デモ隊への連帯のしるしとして、無料で、あるいは破格の値段で賄いを出してくれた。CGTのトップに近い場所にいたアンヌ・ソフィーは、数千人の群衆がパブロのためにパレードをしているような気持ちになって、うっとりした。レピュブリックからブールヴァール・ヴォルテールへ、オーベルカンフの駅の周りでは、その頃ようやくオフィスを抜け出てきた、あるいは地方から着いたばかりの若者たちが、土曜の夜のパーティーのためにその身を飾り立てて、道に溢れ出していた。おそすぎ!アンヌ・ソフィーの優越感はさらに高まった。メトロ・シャロンヌからルドリュ・ロラン通りへ、群衆を離脱した3人は、アリーグル通りの突き当たりの小さな袋小路に隠れ家的ビストロを見つけて、夕闇が迫るのを眺めつつ、夕食を取った。
 23時のバスチーユでは、祭りは頂点だった。CGTのバッジつけた3人は、ロケットとシャロンヌの間にあるどのカフェでも待つことなくすぐに通され、テラスに座ることができた。普段だったら深夜を過ぎてのボワソン・ショーのサービスは破格の税率だ。でも今日は、飲食業界の自己犠牲に支えられて、通常価格でのサービスが続いていた。彼ら「連帯」を感じて、ニコラはほとんど涙ぐむ思いだった。

 それから随分経った。今、何時だろう。2時半、3時か?
 ロケットのカフェにはマリファナの匂いがぷんぷんとしている。周辺の小路人が人が減り、電灯が消えつつある。円柱広場で爆竹が鳴っている。真っ当な政治デモには持ち込んではならない小道具だ。広場にいるのは、もうほとんどデモ参加者ではなくなっているのだろう。ニコラはアンヌ・ソフィーに「帰ろう」と言った。アンヌ・ソフィーは唇を噛んだ。
 4つ年下のニコラはアンヌ・ソフィーにとって、逆らえない存在だ。ずっと家族一、学校一、いや地方一の優等生だったニコラ。楽々とシュペレックに合格し(一方、アンヌ・ソフィーはバカロレアSも難しいと言われていた)、電気公社のエリートエンジニアになった。全てに生産性を追求するニコラがこんなに時間を費やしてくれるなんて、今でもアンヌ・ソフィーは信じられない。
 ニコラはコリンヌを突っついて立ち上がらせようとしていた。一方、イザベルたちと何かに熱中しているコリンヌは、ニコラの説得などどこ吹く風だ。いつものことだ。コリンヌはパリにあまたいる女優の卵の一人。朗らかで、子供っぽくて、どこでも誰にでも奢ってもらうという特技がある。アンヌ・ソフィーの周りでは、彼女はニコラを怒らせて平気な唯一の人物だ。ニコラがどこでコリンヌみたいな正反対の娘に出会ったのか分からないが、一つだけ確かなのは、争いごとで折れるのは必ずニコラだということ。
 アンヌ・ソフィーはもう少しパブロの近くにいられるかもしれないという希望に胸が膨らんだ。今日は、デモもパブロもこれっきりと思ってやってきたのだ。何事も自分で決められない彼女にとって、それは大きな決意だった。なのに今、根が生えたように立ち上がれない。そんな決意はすっかり霧の彼方だ。
 パブロはまだそこにいる。ほんの数メートルのところに。彼の前にはセシルがいる。熱心にしゃべっているのはセシルの方で、彼は静かな笑顔で頷いている。セシルはパブロの趣味じゃない。アンヌ・ソフィーは本能的に知っている。いつものパブロの教育癖だ。そう思いながら、アンヌ・ソフィーの心は嫉妬に苦しんでいる。
 セシルはオルレアンから参加した大学生。褐色の髪、少年のような手足。濃い眉の下の小動物のような緑の目で、真っ直ぐに人を見る。怜悧で、本能的で、透明で、傷つきやすく、忘れっぽい。彼女もまた、仲間や共同体が欲しくて、あらゆるアンチの集団行動に参加している若者の一人だ。2016年の「スタンディング・ナイト」にはぶっ続けで1ヶ月参加した。レピュブリック広場が使えなくなって、集団も散り散りになると、今度は西部のノートル・ダム・デ・ランドの「防衛ゾーン」擁護運動に身を投じた。今この瞬間は、パリ11区、ロケット通りで、CGTの大先輩と明日の大事なデモの予習をしている。
 セシルもまた、ここにいる全員と同じように、逃げている。セシルの傍らには、オルレアンからついてきた「地元のボーイフレンド」チボーが、一歩も離れずに突っ立っている。セシルが誰かと話し始めるたび、セシルと相手の間に顔を出す。相槌を打つでもなく、話に加わるでもない。彼女の横顔を凝視するだけで。パブロはチボーの不安がよくわかる。だから、セシルとの距離をわざと空けて、上体を少し後ろに倒した姿勢をとっているのだ。セシルの隣の場所を奪うつもりはないと伝えるために。同時に、話に割り込む方法すら自分で見つけることができない男のためにそこを立ち去るつもりはない。
 ところで、パブロの「賢者の微笑み」の下では密かな視線の冒険が始まっている。彼は退屈とジレンマを紛らわせようと、あちらこちらに目を走らせる。しばらく前から応える視線を見つけた。それは、テラスと舗道の薄暗い一角から来る。凍える人のように身をすくませているシャルロットだ。裏切った男(レミ)と裏切らせた男(トマ)の間に放置され、男の勝手な恨み言と高慢な無関心をぶつけられるままになっている大きな人形。彼女の真っ黒に染めた長い髪、白い喉と首の周りのデコルテ、弓を描く眉、真っ赤な唇が、奇妙にパブロを高揚させる。思い出した、彼女はアルジェリア・ハーフだ。アラブの女は快楽に貪欲で、かつ背徳的だと言うが、本当だろうか。

 要するに、午前3時の街路では、誰もが一日分の興奮を消費してしまったのだ。目の前の現実は、繰り返されすぎて意味を失った政治言説と、興味のない女、フレイバーを無くしたチューインガムのようにますます薄れていく日中の映像の寄せ集め。残るのは疲れ切ってハイになった脳を鞭打って新たな幻影を作り出すことだけだ。


                ✻

 最初にその外国人に気がついたのはイザベルだった。
 ブロンドで古典的な顔立ちのイザベルは、自分より美しい人間(男女問わず)に対して超感覚的なレーダーを持っている。どこにいても彼らの存在を誰より早く察知する。
 またそれは、彼女のジレンマでもある。イザベルがどれほど難しい本を読もうと、レトリックの技術を磨いて政治的議論を展開しようと、家族も世間も男たちも、彼女をインテリとか興味深い存在であるとは見做さない。守るべき可憐なプリンセス、イザベルは誰にとってもそれ以外のものではあり得ない。まずいことに、彼女自身がそれはお伽噺だと察知している。ヴァンヴの一介の高校教師の家に生まれた彼女には、一生かけてもパリのエリート家庭の娘たちと同列に並ぶことはできないと。彼女の周りの人々はレベルが低すぎて、そんなこともわからないのだ。
 例えばクリストフ。彼は高校一年生の時からイザベルに忠誠を誓ってきた。恋人になれなくても、親友として彼女の側にいたいと。しかし、クリストフみたいな騎士は自慢できるだろうか。中学生止まりの価値観。無教養な出自。生まれた郊外を出ることはない未来。とは言え、彼の賞賛なしでどうやって生きていけよう。イザベルのジレンマは、外へ向かってさまよい出るその視線に凝縮されている。安全の保証と破壊のリスクを同時に探し求める視線に。

 その男は、多くのフランス人の中年の色男のように、前髪を長く伸ばして額に垂らすようなことはしていなかった。濃い色の豊かな髪を短くカットして、四角い生え際をクリアに見せていた。曇ったような灰色の目は、深い哀愁を漂わせているようにも見えるし、全てを揶揄っているようにも見える。でも高慢さはない。年齢は額と眼差しと眉に重厚な影を加えているが、顔全体の造作は驚くほどにシャープだ。細い頬に四角い顎、そして子供っぽい柔らかな口元。パーツの間に不協和音はない。フランス人にこれほど上背があれば、ほぼ例外なく、額と顎が大きく迫り出している(そのイカツイ印象を和らげるために前髪を長く垂らすのだ)。アングロサクソンにはそれがない。190センチ超えの逞しい肉体と少年の顔という夢のバランス。女ならフランス人がドーバーの向こうの民族に負けるはずがない。でも、男ではどうあってもかなわない。
 まるで荒野を一人で歩く測量士ね、とイザベルは思った。着実で、決意を秘めた足取り。測量士と言えば、カフカの『城』の主人公のKがそうだ。知り合いのいない土地にやってきて、訳のわからない排斥と追跡を受ける。絶望的に逃げ回るうち、ある夜バーに閉じこもる羽目になる。カウンターの下で、Kはたった一人の味方と出会った。運命の女。生涯たった一つの愛。
 バスチーユ広場で誰かが爆竹を破裂させていた。クラクションと歓声が聞こえた。まばらになっていたテラスの関心も広場に向かった。
 男は何も聞かなかったかのようにバーテンダーに話しかけていた。バーテンダーは両手でバツの形に宙を切った。今日はデモ隊のための貸し切りなんだ、観光客には売らないよ、と言っているに違いない。男はコートの内ポケットからカードのようなものを取り出した。バーテンダーはそれを何度も裏返し、しげしげと眺めたあげく、唇をへの字に歪めて相手を見直した。軽く頷くと、コースターを男の方に投げた。まだ止まっていないコースターを手で押さえ、男はテラスを指差した。こっちに来るつもり。バーテンダーは「どうぞ」と言わんばかりに片手を振った。

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