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うたのアホ毛を抑える

いわゆるネット短歌は参入障壁が低いためなのか、歌集や結社誌、総合誌などの刊行物に見られないような作品を目にすることはよくある。私が最近気になっているのはこういった構造の短歌である

あなたとは違う人へと目が行って そんなのだめとわたし反省

(説明のために私が作った歌)

「あなた」「わたし」のような代名詞を使っているあたり如何にも初心者の作品といった感じがするが、それよりも深刻な違和感を感じずにはいられないのは私だけだろうか

最小限の推敲で、多少読める形にするならこんなのはどうだろう

あなたとは違う人へと目が行って そんなのだめとよぎる自転車

(説明用の歌の改作例)

眼前に自分の好きな人がいるにもかかわらず他の人へと目移りしてしまう。そこへ自転車が不意に横切る。おそらく良くないことを考えている自分をたしなめる自分もどこかに居て、その気持ちが自転車に投影されているのでしょう…という、少々こじつけにしてもこんな読みは成立しそうだ

こうして見るとき、この歌の太字で強調した部分は、自分の気持ちそのものではなく自分の気持ちを投影できそうな象徴的なエピソードであってほしいと考えるのが自然じゃないのかなと思う。私たちはこれが一種の謎掛けであることには気づいていて、とすれば考える猶予がほしいのに答えを先に言ってしまうようなことを「わたし反省」の部分はしてしまっている

このような部分は、歌の全体的なスタイリングをほんの一言で台無しにしている、言ってみれば『うたのアホ毛』なのではないか。もちろんアニメに象徴的に描かれるアホ毛もあるように、全体的なスタイリングの一部としてよい場合もあるだろう。一旦吟味した結果そうなったのであれば良い。けれど無意識なアホ毛は直す余地はあると思う。ちょっと直したくらいではすぐに元に戻ってしまうところも含めて『うたのアホ毛』は根が深い問題だと言えそうだ

(了)