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ニュー・メタフィジックス by BASHAR の考察①「自由意志について」

2月の終わり頃から体調を崩してしまって微熱が続いていて、ずっと仕事を休んでいました。どういうわけか毎年この3月頃は調子を崩すのがお決まりのパターンなのですが、ここ最近はずっと体調がよかっただけに今回はちょっとショックでした。とはいえ、こうして記事を書いているようにようやく回復しつつあり明日か明後日くらいには仕事に復帰できそうな様子です。

そんな近況ですが、先日「ニュー・メタフィジックス by BASHAR 世界を創る意識の力学」という古い本を入手しました。1991年刊行となっているので約30年前に出た本ということになりますね。バシャールはおそらく日本ではもっともよく知られているチャネリング存在ではないかと思いますが、ミーディアム媒介者であるダリル・アンカ氏を通じて宇宙の秘密や霊的な情報に加え、幅広い話題について長年にわたって人類に語りかけています。

バシャールが初期に日本人向けに語った情報としては、現在はバシャール・ペーパーバックシリーズとして新書版で出ているものの元になるハードカバーシリーズがあるのですが、こちらの第1巻の初出が1987年です。それでいくと「ニュー・メタフィジックス」が刊行されたのは日本でバシャールが一定の認知を獲得して間もない頃ということになるかと思います。

わたしが知る限り、バシャールの他の本というのは基本的にすべてバシャールをチャネルしている状態のダリル・アンカ氏とインタビュアー(は講演会の聴衆の誰かである場合と、特定の人物の場合があります)による対話・対談の形式をとっています。しかしこの「ニュー・メタフィジックス」はバシャールの方から聞き手として故マーゴ・チャンドリー博士を指名し、最初から一冊の本の原稿となる内容を順に口述していったものを編集した体裁になっています。

これは同じくチャネリング情報として名高いジェーン・ロバーツの「セスは語る」と同様の形式ですが、内容が高度であることはもちろん、情報が体系的にまとめられている点で、インタビュー形式のチャネリング情報よりも貴重であるといえるでしょう。実は、わたしはバシャールがこのような形式の本、つまり「ニュー・メタフィジックス」を出していることを昨年まで知りませんでした。最近のものは除いて、ある時期までに出版されたものはだいたい目を通しているくらいバシャールを愛好していたのですが、どういうわけかこの本はわたしの目に留まらなかったのです。知るに至った経緯はあまり覚えていませんが、昨年後半からセスの本を再読していたので、Amazonでセスに関する書籍を掘ったりしているときにおそらく見つけたのでしょう。こんな風に意外なかたちで出現してくるものは本にせよなんにせよ、気にしてみる価値があるとわたしは思っているので、しばらくリストに入れておいたのち、やっぱり気になるので先日購入することにしました。

さて、読みはじめてすぐに気がつきましたが、この本は先述した通り、形式がほかのバシャール本とは一線を画するだけでなく、その内容もまた、ほかのバシャールとはかなり違うもののようです。バシャールといえば「ワクワクすることをしなさい」というメッセージに代表されるように比較的カジュアルで誰の頭にもすんなり入ってくるような語り口が特徴であると、すくなくともわたしは思っているのですが、この本での語り口は格調が高く、出てくる言葉もより抽象的なものが多いです。これは形式の違いからいっても当然そうなるであろうことは理解できるのですが、直観的にこれは情報のソースそのものが他の本とは違うようだと感じました。

そもそもバシャールとは、ある個別の人格をもった存在のことではなく、バシャールという名前において一つのゲシュタルト的なものを構成している霊的な存在の一グループのことを指しています。バシャール自身、そうはいってもバシャールを一個の人格とみなしてくれてもよいとは言っていますが、実際には比較的少数で構成された集合的な意識であるようです。ですから、あるときには太陽系の近傍の宇宙界隈の歴史に詳しい存在が、またあるときにはスピリチュアルな真実を語ることに長けた存在が、というように語り手が入れ替わっていますが、地球人からみるとそれらは一個の人格に統合されているように受け取れるということになりますね。バシャールとは本来そういう概念です。

ところが、この「ニュー・メタフィジックス」においては語り手であるバシャール自身が、この本においてはバシャールという名称を用いないほうがよいと言っているのです。まあ実際にはそれでは掴みどころがないからでしょうか、本には「by BASHAR」と銘打たれてはいます。しかし本のまえがきのところでは、バシャールの名称を用いないほうがよいという理由として、この本の内容は地球人が想像するところの「宇宙連合」がもたらす情報であり、ただバシャールを通して語られるだけであってこれはバシャールの本ではないからだという趣旨のことを述べています。

宇宙連合が実際にどのようなものであるのかについては、全体の3分の1ちょっと読み進めた時点ではまったく触れられていません。これについてはほかのバシャール本で言及があったように思いますが、わたしはちょっと覚えていません。しかし、すくなくともこの本を読むうえで、それについて知る必要はなさそうです。まあ、宇宙連合といったら宇宙連合ですからね。

さて、前置きが長くなりました。わたしの記事はだいたい前置きが長いのですが、これはわざとです。

この「ニュー・メタフィジックス」という本の内容はバシャールを知る人にとっても、知らない人にとっても非常に面白く、かつ有益です。本自体はすでに絶版となっており、電子書籍化もされていないようなのですが、このような情報がこのまま埋もれてしまうのは惜しいと思います。そこで、トランサーフィンの考察のときほど詳細にわたって書くつもりはありません(大変なので)が、興味深い箇所をピックアップして、いくつかの記事にまとめてみたいと思います。

今回は本のまえがきに続いて収録されている用語集の中から興味深い項目を取り上げてみます。

Free Will 自由意志
自由意志とは単に、高次意識や肉体意識が選択した目的を実践することです。

「ニュー・メタフィジックス by BASHAR」用語集より

Destiny 運命
運命とは単に、皆さんのオーバーソウルまたはより高次な意識部分がその自由意志によって、みなさんが人生の中でどのような出来事を体験するかを選択したことの反映なのです。皆さんの肉体レベルにおける性格は人工的なもので、高次の意識の自由意志の選択には従うものです。この肉体レベルの性格にとっては、高次の意識の自由意志は変更できないものと映り、起こるしかない運命的なものと見えます。ここで理解してほしいのは、運命は高次の意識の自由意志だということです。そして、その運命をどのように満たしていくかという方法論を決めるのが、この肉体レベルにおける意識の自由意志に任された特権なのです。

「ニュー・メタフィジックス by BASHAR」用語集より

自由意志については note ではこの記事で言及しています。

この記事では要するに「物質次元で人生を送っている肉体精神機構とそこに備わる自我(エゴ)に自由意志はない」ということを説明しています。自由意志がないとするなら、わたしたちのこの思考はなんなのだ? これはどこから来ているのだ? ということになりますが、それについては

エゴが幻想であるのなら、その肉体精神機構に思考を与え、行為をさせているのは誰なのでしょう? それはハイヤーセルフと呼ばれる高次の自己(魂=コーザル体)なのですが、このハイヤーセルフもロウワーセルフであるエゴと同様、幻想の一部です。ハイヤーセルフを含む自己の構造については in SPIRE に書いていますが、無限に連なる自己の多次元構造に果てはなく、ただそのすべてが神(全体性)であるところの一なる意識に包摂されています。

質問箱への回答⑫『わたしたちに選択は可能なのか? 自由意志の有無について』

と説明しています。

この記事ではここまでしか述べていませんが、これを読むかぎりでは「ハイヤーセルフも幻想なのだとしたら、ハイヤーセルフにも自由意志はないのでは???」という疑問が生じる余地があったかと思います。ここでバシャールの説明をみていきましょう。

自由意志とは単に、高次意識や肉体意識が選択した目的を実践することです。

この文章が意味するのはこういうことです。すなわち、ハイヤーセルフ(高次意識)にせよ、ロウワーセルフ(肉体意識)にせよ、それが選択した目的を実行することを自由意志と呼びます、ということです。これを単純に読んでしまうと、なんだよ自由意志あるじゃんと思ってしまいますね。しかしこれはそのように読むのではなく、「高次意識や肉体意識が選択した目的を実践することを、あなたがた地球人は自由意志と呼んでいる」という意味なのです。しかし、ここだけではちょっとよく分かりませんね。続きます。

運命とは単に、皆さんのオーバーソウルまたはより高次な意識部分がその自由意志によって、みなさんが人生の中でどのような出来事を体験するかを選択したことの反映なのです。

この文章は「ハイヤーセルフの自由意志がロウワーセルフ(=みなさん)の人生における体験を選択した結果の反映されたものを運命と呼ぶ」という意味です。運命なのですから、それは避けたり拒否したりすることはできません。つまり、ロウワーセルフである肉体精神機構の意識には運命に逆らうことが許されていないということです。すなわち、ロウワーセルフには自由意志はないということです。ただし、この説明でいけば、運命の範囲内であれば選択の自由はあると考えることもできます。

皆さんの肉体レベルにおける性格は人工的なもので、高次の意識の自由意志の選択には従うものです。

肉体レベルにおける性格とは、いわゆる自我(エゴ)をもった人格のことです。この自我が人工的なものであるとはどういう意味でしょうか? これについては in SPIRE の記事で詳しく説明しているのでぜひお読みください。

いずれにせよ、ここで言われているのはエゴ(肉体レベルにおける性格)は本質的な自己ではなく、それはより高次の意識の自由意志に従っているということです。ここでもエゴであるロウワーセルフには自由意志はないということが示唆されています。

この肉体レベルの性格にとっては、高次の意識の自由意志は変更できないものと映り、起こるしかない運命的なものと見えます。

これは今しがたの文章とほとんど同じことを言っていますが、ポイントとしては「ハイヤーセルフの自由意志はロウワーセルフにとっては運命的ななにかとして感じ取られる」というところですね。これをカルマと言ってもよいでしょう。ロウワーセルフに本当の自由意志があるのなら、カルマと呼ぶしかないような同じ過ちの繰り返しや、反射的な言動を改めることは容易なはずです。しかし、分かっているのにやめられない、止められない、それが運命でありカルマであり、自由意志のなさです。

ここで理解してほしいのは、運命は高次の意識の自由意志だということです。そして、その運命をどのように満たしていくかという方法論を決めるのが、この肉体レベルにおける意識の自由意志に任された特権なのです。

先程のところで、ロウワーセルフにも運命の範囲内であれば選択の自由があると書きましたが、ここで言われているのはそれこそがロウワーセルフの自由意志だということです。ほれみろ、やっぱり自由意志あるじゃんよ! と思った自由意志存在派の方もいらっしゃるかもしれませんね。おめでとうございます。

ただ、よく考えてみれば分かることですが、この自由意志というのはあくまで「見かけ上の自由意志」でしかないのです。というのも、ハイヤーセルフが用意した運命の中身には「さまざまに考えて決断する」という要素が必ず含まれているからです。しかも、色々と考えたとしてもその決断は結局のところ運命の範疇を超えることを許されていません。つまり、自由意志(のように見えるもの)を行使することそれ自体もロウワーセルフの運命のコンテンツの一つなのです。これが見かけ上の自由意志ということの意味です。

それに、これもすでにお伝えしていますが、意識レベルが高まって(おそらく540以上)いくと、自分(ロウワーセルフ)が思考しているのではないことが知覚できるようになっていきます。この境地にある人にとっては自由意志のなさは問うまでもない自明のことです。意志というものは思考によってもたらされるわけですから、思考が自分のものではないとすれば、意志もまた自分のものではありません。すなわち、自由意志はありません。

では、思考はどこからやってくるかというと、それは上の方で引用した in SPIRE の記事でも書いている通り、ハイヤーセルフなのです。その文章ではハイヤーセルフをコーザル体だとしていますが、より細かく言えばロウワーセルフを構成するアストラル体(感情体)やメンタル体(思考体)にはそれ自体により高次の領域があるとされていますので、それもハイヤーセルフといってよいでしょう。また、コーザル体は魂と同義としてもよいですが、これは魂の個別性の最小単位ということで、より高次の魂(集合魂とか宇宙魂とか)へと無限の階層をなしています。

意識レベルの上昇にともなって自分が思考しているのではないことが知覚できると書きましたが、これは高次のアストラル体と高次のメンタル体の意識が顕在意識に浸透してくるからです。これによって、この人の顕在意識においてはハイヤーセルフ領域とロウワーセルフ領域の両方が存在しているのですが、このときハイヤーセルフ領域(いわゆる気づきの部分)にはロウワーセルフの思考にはまったく自由がないことが認識されています。

注釈

ここで言えることはこういうことです。すなわち、ハイヤーセルフにも低次から高次への階層があり、ある次元のハイヤーセルフにとっての自由意志は、より高次のハイヤーセルフ領域の自由意志が選択した運命の反映です。

そうすると、最終的な自由意志の持ち主は誰なのでしょうか? それはすべてであるもの、すべてであるひとつのものです。それは一なる意識のことであり、われわれが想定する創造主としての神であり、ワンネスと呼ばれているものであり、またの名を愛といいます。

よって、この世界のすべての人間の思考は神の思考であり、神だけが人間に思考させ、行為させているのです。これが自由意志と行為者の不在と呼ばれているテーマの真相となります。

今回はここまでです。続きはだいぶ先になるかもしれませんが楽しみにしていただけますと嬉しいです。お読みいただいてありがとうございました。

こちらの記事も参考としてお読みください。

トランサーフィンのように高騰はしていませんが、いつまで入手できるか分からないので気になった方はお早めに入手されるとよいでしょう。


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