見出し画像

なぜ嘘をついてしまうのか?

先日の記事で、体調を崩していたがようやく復調してきたと書きましたがあれは嘘でした。まあ実際あのあと一度だけ仕事に出たんですが翌日からまた熱が出てしまってまだお休み中です。

そのときにも触れましたが、わたしの人生を振り返ってみると、よくないことが起きたりなにかの理由で調子を崩していたのはほとんど3月4月なんですよね。なんで? といっても分かりませんしわたしも知りたいところですが、もしかしたら誰しもそういう危ない季節というのがあるのかもしれません。

ところで本日は4月1日でエイプリルフールだそうです。ここ10年くらいでしょうか、この日に色んな企業がそのホームページで嘘のネタを掲載するという風潮が根付いていますが、個人的にはしょうもないと思っています。どうせなら、『嘘だと思ってたらガチだった!マジかよ!やりやがった!』というようなことをやればいいと思うのですが、それはそれで、どこかがやり出してそれに続くところが出てきたら、その後はもはや予定調和でしかありませんね。

©ゴールデンカムイ大好きです。推しは不敗の牛山さんです。

それはともかく、人はなんで嘘をついてしまうのでしょうか? 実際に嘘をつく際の動機というのは様々ですから、ここではそういう話ではなく、嘘とはなにかということについて意識レベルの観点から簡単に見ていこうと思います。

ホーキンズ博士が明らかにされた意識レベル(意識のスケール)の概念において、意識レベルが低いということはより分裂的、分離的であるとされています。また意識レベルが高いということは、より統合的、あるいは調和的であるということを示します。

分裂、分離というとき、なにから分裂ないしは分離しているのかというと、それは真実からです。では真実(真理)とはなにかというと、それは「すべてはひとつである」ということになります。

ですから、その人が世界をどれだけ一つのものとしてみているかという観点は、すなわちどれだけ統合的であるかということとイコールです。

意識レベルの低い領域で生きている人は自分自身のことを世界から独立(=分離)した存在であると考えています。自分自身のみならず、眼の前に広がる世界のすべてが個々バラバラになんの繋がりもなく存在する事物の集まりであるとみなしています。

この傾向は世界や自分についての見方だけでなく、物の考え方にもあてはまります。ある「こと」について考える――というとき、ある「こと」に含まれる要素の数やスケールは意識レベルに依存する(※)のですが、要するに意識レベルが低いと「こと」の中身が非常に小さくなります。それは事物の全体から分離したほんの一部分だけしかその人には問題として認識できないからです。

なぜ「こと」に含まれる要素の数やスケールが意識レベルに依存するかというと、それは上述のとおり意識レベルが低いと物事をより細かく分離したものとして知覚し、意識レベルが高いと物事全体のほうを知覚するようになるからです。

※注釈です

このように、「こと」の中身(コンテント)が少ないということは単に情報量が少ないということを意味していると同時に、全体の文脈(コンテクスト)を理解するために必要な情報を欠いているということでもあるのです。

つまり、なにが言えるかというと、意識レベルが低い人物の言動はそもそも真実性を著しく欠いているため、嘘をつこうと明確に意図しているかどうかに関わらず、虚偽である場合が多いということです。そのうえで、こういう人々はやはり物事の背景にあるコンテクスト(ここでは道理といってもよいです)が理解できないゆえ、その場しのぎの短絡的な嘘をつくことが自分にとってプラスに働くと誤解してもいます。

わたしの観点では、嘘はけっして悪いことではありません。というのも、嘘をつく人は嘘をつくしかできないのですから。そして、嘘が悪だと言ってしまったら、この世のほとんどの人が悪人だということにもなってしまいます。

もちろん、だからといって嘘をよいこととも思いません。ただ、意識レベルの観点でいうなら、ある程度の意識レベルに達した人にとって他人の嘘を見抜くことは簡単です。ここまでの話でわたしが言及した「低い意識レベルで生きている人」というのは意識レベルが200未満の人々のことを指しています。そして、これは博士ではなくわたしの個人的な経験や観察からの意見ですが、意識レベル300を超えている人はおおむね他者の嘘を見抜けるでしょう。

もちろん300どころか500台の人であっても、自分自身が嘘をついてしまうことはあります。嘘をついてしまうこともその肉体精神機構のカルマですから、そのカルマが燃やし尽くされるまでは嘘をつく癖は残るでしょう。ただ、このような領域の人たちは自分が嘘をついてしまったことをはっきりと自覚しているし、なんなら今後は嘘をつかずに生きていこうと常に思っているものです。それだけに、他者の嘘に気づいても被害を受けない範囲においてなら寛容になれますし、場合によっては本人に嘘をついたことを後悔させるようにうまく窘めることもできそうです。

200以上300未満(これはあくまで目安です)の人々も、嘘を見抜く能力そのものは持っています。ただ、この領域では自分自身もまだまだ欲望やプライドといった低い領域にあるアトラクターの影響を強く受けている可能性があり、他人の嘘を見て見ぬふりすることで自分の立場や利益を守ろうとしてしまいがちです。また、仮に嘘を見抜いてそれを本人につきつけようとしても、自分自身の物の見方がまだまだ分離的であるため正しい指摘をできず、トラブルを招く可能性も高いです。「お前は嘘つきだ!」「お前の方こそ嘘つきだろう!」とまあ、そういう喧嘩にしかならないです。

ざっと見てきましたが、ポイントとしては「意識レベルの低い領域では、明らかな嘘に限らずすべての言動において真実性を欠いていることが多い」ということと「嘘(虚言)は意識レベルの高まりとともに減っていく」ということです。

こうしたことを踏まえたうえで、嘘をなるべくつかないでいるために心に留めておくべきことがあります。それは

断定しない
(「◯◯は△△だ」と言わず「◯◯は△△だとわたしは思う」と言う)
沈黙は金
(嘘をついてしまうかもしれないなら黙っておいたほうがよい)

ということです。他にもあるでしょうが、これらは嘘をつくつもりはなかったのに結果的に嘘をついたことになった(嘘をついたとみなされた)、というケースを回避するためのポイントです。

また、物事をより大きいフレームで見て考える習慣を身に着けていくことで、嘘をつく必要がなくなっていくだけでなく、意識レベルそのものを向上させることができます。

今回はここまでになります。読んでいただいてありがとうございました。

記事へのリアクションや記事執筆への励ましのサポートありがたく頂戴します🙏 また、プロフィールにAmazonほしいものリストも掲載しています。こちらもぜひよろしくお願いします!