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ジョセフ・ベナー著『地上天国への道Ⅰ』の紹介

数日前にとある有名 YouTuber の方がヴァジム・ゼランドの『リアリティ・トランサーフィン』を動画で取り上げられたそうで、それからわたしのトランサーフィンの記事の閲覧数が急増しています。

一連の記事はヴァジム・ゼランドの著作を持っていなくてもその内容を網羅・理解できるようにと思って書いていますので、すでに絶版されていてしかも古書価格が高騰している状況においては、新たにトランサーフィンに関心を持たれた方々の期待にも応えられるのではないかと思います。お役に立てたら幸いです。

さて、本日は最近出版されたジョセフ・ベナーの『地上天国への道Ⅰ』を紹介したいと思います。すでにジョセフ・ベナーの主著である『インパーソナル・ライフ』については in SPIRE の方で紹介しておりますが、この『地上天国への道Ⅰ』はその続編というか、インパーソナル・ライフのガイドブックのような内容になっています。ジョセフ・ベナーについてご存じない方はまずは下の記事からご覧ください。


そして書籍『インパーソナル・ライフ』はこちらのリンクから。

『インパーソナル・ライフ』はキリスト意識がジョセフ・ベナーの体を通して直接的に語りかける啓示の書です。奇跡講座も情報のソースは同じく啓示によるものですが、情報を降ろしたベナー自身が著者としてこれを綴っているという点ではインパーソナル・ライフのほうがより純度の高い霊的書物といえるかもしれません。

今回の『地上天国への道Ⅰ』は、ベナー自身がインパーソナル・ライフの内容を丁寧に解説していく内容になっています。といってもインパーソナル・ライフの本文を逐次引用して説明するものではなく、インパーソナル・ライフで語られていることを人間の理性に理解しやすいような言葉を選んで噛み砕いていくというような趣です。

インパーソナル・ライフのような啓示は理性を貫通して直接的にその人の内なる神(真我あるいは神我)へと届くのですが、残念ながら、一読しただけで意識が大きく目覚める人もいれば、エゴ(理性)にほんの小さな亀裂が走って、そこからかすかに光が射し込んできたというのがせいぜいという人も少なからずいることでしょう。もっとも、それでも決して小さなことではありません。

問題は、そのままにしておくと多くの場合、その亀裂はいつのまにか塞がってしまうところにあります。一瞥体験と呼ばれるものがなぜ一瞥でしかないのかというと、エゴにはホメオスタシス(恒常性)があるからです。エゴにとって超常的(パラノーマル)な経験は文字通り正常ではないため、その経験によって生じた知覚や感覚、印象といったものをエゴは顕在意識から追い出そうとするのです。この働きによって亀裂はふさがり、光明は見失われます。

本書『地上天国への道Ⅰ』はインパーソナル・ライフの読者がそのようにして光を見失うことなく、生きたまま天国へとたどり着くために必携のガイドブックであり地図であるといえるでしょう。『Ⅰ』と銘打たれている通り、来年にはこの続きとなる『Ⅱ』も刊行の予定だそうですが、それまではインパーソナル・ライフとこの「地上天国への道Ⅰ』を時間の許すかぎり何度も繰り返して読まれることをおすすめします。

真理は一つしかありません。それは「すべては一つである」ということです。これは「分離はない(分離は幻想である)」と言いかえることもできますが、非二元(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)でも奇跡講座でも、そしてインパーソナル・ライフでも、伝えていることはこのことだけです。

人によってはアドヴァイタ(=ジュニャーナヨーガ)が理解しやすいという人もいれば奇跡講座に従って明け渡しの練習を積んでいくことで理解を得られる人もいますし、インパーソナル・ライフでキリスト意識の言葉を直接体験するのが一番高まるという人もいることでしょう。真理を教えてくれる教えは他にもありますが、すべて言い方伝え方教え方が異なるだけで、言っていることはどれも同じです。同じではないというのなら、その教えは真理とは関係がないことになります。

わたし自身が書いているものを分類すればアドヴァイタ・ヴェーダーンタに属するものとなるでしょうが、わたし自身は言ってみれば窮地のどん底で強制的に「明け渡された」人間です。アドヴァイタを学んだのは単に他の人に教え伝えるための言葉が必要だったからで、たまたまタイミングが違っていたら奇跡講座やインパーソナル・ライフの教えを借りて自分の言葉としていたかもしれません。

言いたいのはつまり、「すべては一つ」であることを知覚できるようになるためのものであれば、教えはなんでもかまわないということです。

すこし前の質問箱への回答の中で月と月を指し示す指先の例え話をしました。真理を月にたとえるならば、どんな教えもすべて月に向けて伸ばした指先でしかありません。わたしが見る限り、教える側も学んでいる側も、月よりも指のことを気にしている人ばかりです。この指はすらっと長くて、爪はツヤツヤしていて綺麗で云々とか、いやいやこっちの指なんかネイルまでしてあるんだぞ、とか、やっぱ節くれだった無骨な指が一番よ、とか。

大事なのはその指の先にいかにして月を見出すかです。月さえ見えてしまえば、指はもう捨てても構わないのです。昔、マッサージの仕事をしていたとき常連客に凶悪な人相をした一卵性双生児のヤクザ屋さんがいましたが、この双子は双子のなかでもとびきり似ていてほとんど区別がつきませんでした。ところがある時気がついたんですが、兄貴のほうは右手の小指がありませんでした。弟は5本とも生えています。これで以降、どっちが兄でどっちが弟か分かるようになりました。

このケースでは指の違いでしか見分けることができないので指にはとても意味がありますが、指の違いに意味があるのはこういう場合だけです。

冗談はさておき、大切なのは「月はどっちに出ている?」ということを常に問わなくてはいけないということです。それさえ忘れなければ、非二元であれ、奇跡講座であれ、インパーソナル・ライフであれ、いずれ実を結ぶことでしょう。時間的に可能であれば三つとも頑張って学ぶとよいと思いますが、普通は難しいと思います。そう考えるなら、インパーソナル・ライフに的を絞って学んでみるのもよいと思いますよ。ベターなのは、いずれもバクティ・ヨーガ(帰依、明け渡しの道)の要素をもったインパーソナル・ライフと奇跡講座を並行して学ぶというものです。

最後になりますが、翻訳者の大湾洋乃さんの精力的な翻訳活動に敬意と感謝を表明いたします。続刊も楽しみにしております。


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