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0円で幸せになる

 夢を見るのはタダだけど、見せてもらうには金がかかる。最近の詐欺事件を見ているとそんなことを思う。加害者が書いた「ターゲットになりそうな人」の項目には「夢を持ってない」などの内容があり……。
 
 自力で夢を見られず、ひとさまに見せていただこうと思えば、観覧料くらいは取られる。ということは、ここを自前でなんとかできれば、そのぶん節約になる。かもしれない。
 
 むかし岡田淳の児童向け文学で「夢見る力」っていう話があったな。それは別に「詐欺にひっかからないように、自力で夢を見よう」なんて内容ではなかったが、いまになってふと思い出す。
 
 それは人生を生き抜く上で、綺麗ごと抜きに必要なものらしい。なにせ自前の夢がないだけで、詐欺のターゲットになりかける、もしくは実際になってしまうんだから……。
 
 少し前に出産したとき、いろんな人がお祝いをくれた。それはお菓子だったり、カタログギフトだったり、ベビー服だったりした。もらいながら、いま一番もらって嬉しいものは何か考えるとき、自然と目をつぶって思い浮かべる光景がある。
 
 真っ白な部屋。現実逃避したいときによく思い描いていた、なにもない部屋。真っ白だ。どこにも影ができない。現実にない空間、頭の中の場所。そこにいて欲しいものを考えると、目の前に一本の百合がスッと出てきた。
 
 ああ、これが欲しかったな、と思う。出産を終えた自分のために、花が欲しかった。派手なものでなくていい、束になっていなくていい、一本でいい、シンプルで凜とした一輪がいい。
 
 夏目漱石の本のどこかに「一輪挿しの朝顔」ってフレーズがあった。朝顔のあっさりとした、仰々しくない美しさ。それは確かにいいなって思った記憶があって、でも自分があのとき欲しかったのは一輪の百合だった。
 
 そんなの出産祝いにくれる人はいないから、自分で自分に、それも頭の中で捧げるだけ。それで少し気持ちが安らぐなら、こんなことはいくらでもやっていい。「自分へのご褒美」とか言って、高い物を買わなくたっていい。
 
 そういう、架空の避難所のような場所。「夢」とは少し違うけど、いま目の前のないものを志向する点ではどちらも変わらない。目標としての夢がなくたって、夜みる夢を起きたまま見るような、そんな習慣があったっていい。
 
 避難所を現実に求める人もいるけど、いかんせん現実でやると金がかかるんだよな。遊園地でストレス発散とかキャバクラで憂さ晴らしとか、なんでもいいけど、現実の中で現実逃避するのはお金がかかるんだよ。夢を「見せてもらう」側になればそうなる。
 
 高校の頃、知的障害を持った友達が

「妄想っていいよ。お金がかからないし」

 と言っていて、ハリウッドスターと結婚する夢を語ってくれた。当時は少し痛い気がしたけど、いまなら賢いと思う。コストレスに幸せになれる方法。なにも頑張らなくてもその場でハッピーな気分になれる。なれればそれでいい。それが現実である必要はない。
 
 最近なにか逃避したい気分になるときは、白い部屋ではなく暖炉のある部屋に行くことにしている。そこにはロシア風のおばあさんがいて頭に布を巻いていて、ビクトリアンサンド(←イギリスのお菓子。美味)とあったかい紅茶を出してくれる。
 
 リアルでは、ロシアのおばあちゃんからイギリス菓子を振る舞われることはなかろう。このへんが架空の世界の、いい加減でいいところでもある。ビクトリアンサンドはおいしい。辛い時にあれを出されたらそれだけで、心に沁みて泣いてしまう。
 
 おばあちゃんは無口だが、こちらが訥々と話すことをなんでも受け止めてくれる。そうしてたまに的確なアドバイスをくれる。自力で見る夢なので、観覧料がタダなのがいい。

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。