見出し画像

【詩を紹介するマガジン】第16回、高村光太郎

「冬が来た」
 
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になった
 
きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た
 
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
 
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た

 息が白く、寒さに身を切られるような気持ちになってくると、この詩を思い出す。「刃物のような冬が来た」。容赦ない氷の季節を自分の力に変えていく、力強い言葉。
 
 日本列島は南北に長く、土地によって冬の意味は異なる。刺すような冷たさが印象的なのは、実は高村が生まれた東京の気候だ。東北や北海道だと雪の湿度があるので、もう少し寒さはマイルドになる。気温は北のほうが低いけれど、関東平野の乾いた風はより冷たく感じられる。
 
 日本、意外と広いんだよな。地域によって微妙に異なる冬への反応が、詩を通して浮かび上がってくるのもおもしろい。
 
 とはいえ暦の上ではどこも12月で、沖縄も北海道も冬であるのに変わりはない。誰もが師走を迎えていて、会社ではお歳暮を受けとり家には喪中のはがきが来ていて、そろそろ年賀状を書かないといけない。
 
 外は寒いし出たくないし、こういうときこそ内側を暖めるのだ。じゃないと家での作業がはかどらない。冬の記憶にまきをくべて、この時期の思い出を呼び起こしてみる。
 
 たとえば実家で過ごしていた頃。母がよくジンジャークッキーを焼いてくれた。クリスマスの定番のお菓子、スパイスの入ったちょっとピリッとするクッキー。一緒に食卓に上がるのは、だいたい熱い紅茶かチャイだった。
 
 チャイにはシナモンかカルダモンを入れる。冬とスパイスは相性がいい。本格的なチャイは茶葉を持ち出して作るものだけど、面倒なときはティーパックで済ませる。ミルクを火にかけ、ティーパックをたくさん放り込んでグツグツして、最後にスパイス。
 
 居間にはアドヴェントカレンダーが飾ってあった。クリスマスまで一日一日、日付の入った窓を開けていく、仕掛け絵本のようなカレンダーで、ひとり暮らしになってからは一度も買ってない。ちょっと手遅れな感はあるけれど、まだ25日までは余裕がある。仕方ないから自作しようと思う。
 
 絵のうまい人だったら、アドヴェントカレンダーの自作も楽しいだろう。毎日、カレンダーの中の小さな窓を開けると、ちょっと可愛い絵が出てくる。朝やると気分が上がって、そのまま学校に行くのが楽しかった。小学校では当然、雪合戦をした。そんな思い出。
 
 それから、地元には毎年キエフ・バレエ(現ウクライナ国立バレエ)が来て、クリスマスにふさわしい演目『くるみ割り人形』を踊っていった。作曲家はチャイコフスキー、クララという女の子が主人公で、クリスマスにくるみ割り人形をもらう話。クララは夢の中で、人形と一緒の旅に出る。
 
 少女の夢の中で繰り広げられるおとぎ話は、舞台で見ると華やかで明るく、年末を飾るのにぴったりで、子どもの来場者が多いのも特徴的だった。もっとも、今年に限っては演目が変更される。

例年は『白鳥の湖』など、チャイコフスキー作品を多く上演してきましたが、ウクライナ文化省からの要請により、今年はロシア人作曲家による作品の上演を控えることとなりました。

https://www.koransha.com/ballet/ukraine_ballet/

 残念。変更後の演目は『ドン・キホーテ』で、明るく華やかという点では負けていない。ダンサーの技巧が楽しめるので、観客は拍手のしがいがある。そんな作品。ただ特別、冬らしかったりクリスマスみがある話ではないから、季節を感じないのが惜しい。

『ドン・キホーテ』だったら、最高ダンサーはバリシニコフですね。

 拍手していれば、すこしは体もあったまるかもしれない。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。