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のっぽさんと、メザシの出る店

 職場であるプレハブ小屋が、最近ずいぶんにぎやかになってきた。建設中の公共施設の横に建つ現場事務所は、工期が近いのであわただしい。応援の人も入ってきて、もとから狭い小屋がさらに狭くなる。
 
 いつもなら課長しかいないところを、本社から部長や他の課の課長まで来て書類をつくっている。お役所仕事を請け負ったことのある人ならわかるだろう。提出する書類がとにかく多くて、かつ不備が許されないのだ。
 
 大量の紙とファイル、図面やテプラテープに囲まれながら、部長課長が談笑する。
 
「あいつら大阪はね、ひとり一回5万円の店にホイホイ入るからダメ。俺たちなら10回分だよなー?!」
「10回でも高い。我々は1回3千円ですよ」
「変なババアしかいないところでな」
「そこがいいんでしょ?」
「そこがいいんだよ、落 ち 着 く !メザシとか出るようなところ」
 
 変なババアしかいないメザシの出るお店。話を聞いていたら行きたくなって、行きたいあまり半泣きになってしまう。疲れているのかもしれない。事務である自分もまた、紙ファイルとキングファイル、A4A3の紙の山に埋もれている。
 
 紙のサイズはときどきA1。A1はA3×4枚分の大きさで、図面を出すときはほぼこれを使う。そういう決まりになっている。

画像引用元:https://bd.ta-ma.biz/002/2004/


 メザシを出すおばあさんの店は、おっさんの行くところである。これも同じくらい常識だ。自分の中ではそういうことになっている。そもそもそんな店がどこにあるのかも知らないし、「変なババア メザシ」で検索をかけたって、検索結果に店は出てこないだろう。
 
 ああいう場所はおじさんたちのものであり、縄張りをおかしてはいけない。焼き魚を食べながらおばあさんとお話してみたい気持ちはあるけど、実際にやろうというガッツはない。

 体験したことがないので想像をものを言えば、しっとりしたおばあさんと和食はよく似合うのであり、やさしく話を聞いてくれでもしたら、おじさんたちが「落ち着く」のも想像がつく。一回3千円ではきかない気がするけど。
 
 お酒を呑む人っていうのは、ホイホイ紙幣を使うからすごい。自分が通っている喫茶店は、外食といえばほぼここだけなのだけど、いまだにランチが千円しない。二回値上がりしているけど、それでも4桁にならない。おばあさんと食べるメザシ、わたしのランチ3回強ですよ部長。
 
 心の中で話しかけていたら、部長が声を張り上げた。のっぽさん死んだってよ。「でっきるっかな♪」の。
 
 急に懐かしい人の名前が降ってきた。ノッポさん、画面の向こうから算数を教えてくれた人じゃないか……。
 

 右側がのっぽさん

 「秋山仁の算数大すき」は小さい頃よく見ていた。おかげで小学校の算数ってつまずかなかった。ノッポさんはこの番組の中で、決してしゃべることなくパフォーマンスだけで意思表示する、なんとも言えない存在だった。高い背丈、ひと癖ありそうな人相。感情のよくわからない顔。
 
 どこか不気味ではあるけれど、しかし嫌いではないような。そういう存在だったノッポさん。職場で訃報を聞くことになるとは思ってなかったし、「算数だいすき」を見ていた頃の自分は、いつか建築現場で働くとは思ってなかった。
 
 建設中の施設は、竣工が近い。電動ドリルの音も、職人さんたちが息を合わせるためにかけあう「オゥライッ!」「ヘーイッ!」「セーイッ!」みたいな声も聞こえてこない。最終仕上げの段階であり、書類ができれば自分もいなくなる。プレハブは、施設が出来上がるときには消えるだろう。
 
 人はいつか死ぬし、形あるものはいつか寿命がくる。人や物のたくさんの寿命が重なり合う中で毎日を生きる。いつかメザシの出る店に行くかは知らない。検査書類の山を見ながら、ノッポさんの訃報を聞いている。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。