家庭を持つ。メンタルの安定

 霧雨の降る日に、旦那さんが傘を差し、自分が赤ちゃんを抱いて3人で歩いた。そこで味わったのは、かつてないメンタルの安定だった。幸福感とは違う。なにかとても安定した気持ち。パズルのピースがきちんとはまって落ち着くような。
 
 こういうものを味わえるということは、やっぱり人間、結婚して子どもを産むことが幸せに違いない。なんてことは言わない。
 
 メンタルが不安定な時期に結婚・出産していたら、どうなっていたかわからん。社会人になって「おっ、これならどうにか一人でもやっていけそう」と思った上でやったからよかった。相手がとんでもない人だったら、結婚で撃沈した可能性だってある。
 
 やってみないとわからないのだ、なにもかも。そして「やってみる」機会にもし恵まれたなら、それはやったほうがいい。できたら早いほうがいい。コケるにしても若いうちがいい。
 
 自分は幸い、家庭を持つ機会に恵まれた。そうしたら悪くなかった。子どもを連れて外を歩くだけで、どうしてメンタルが安定するかは知らない。社会的にまともになれた気がするから?
 
 こんなことはやってみないとわからない。それならやってみたほうがいい。
 
 母親がかつて「子どもを産んだとき『何者かになりたい/ならねばならない』って気持ちから解放された。だって『お母さん』になったから」というようなことを言っていた。何者かになりたい人は、親になるととりあえず「親」になれる。あたり前。
 
 ついでに書くと、出産は結婚よりもはるかに祝われるイベントだった。皆さんのお祝いの圧が違う。そうして自分は、産後すこしの間は特に「出産という大仕事を終えた人」として手厚い待遇を受けた。産院や産後ケア施設で。
 
 これはなかなか「主人公感」ある経験だったから、機会がある人はやってみてほしい。楽しいから。もちろん、ちゃんとした施設を選ぶという前提付きで。

 産後は赤ちゃんがメインになっていくけど、それまではお母さんが中心に立つイベント、出産。
 
 担当した助産師は、むかし付き合って絶交した友達と同じ名前だった。友達は精神疾患をわずらっていて家にこもりがちだけど、家事はそれなりに得意。いまもむかしも推し活に精を出している。
 
 あのエネルギー、結婚生活と子育てに振り向けたら、たぶん私より向いてるんだよな。そういう人は何人か思いつく。その何人かのひとには、マジで結婚出産したほうがいいよって言いたい。きっと私以上にメンタルが安定するから。
 
 この人がお父さんになったら、お母さんになれたら、きっと「すごくいい」のに。そういう人が独り身でいるのは、なんだか社会全体の損だよなあと漠然と思っている。わたしにはその状況を、どうすることもできないけど。
 
 できないけど、先例を示すことはできる。まともで普通になりたいって悩みは、家庭を持つとほぼ消える。何者かになりたいと悩むなら、とりあえず親になるといい。なんか世の中、そういうもんらしいよ。
 
 「それができないから苦労してるんだよ」って言われるかな。「だったら私と結婚して、子ども育ててくれる人を連れてきてよ」って言われるだろうな。
 
 そういうときは周りに「結婚したいです。相手探してます」ってアピールすると、結構なんとかなったりするよ。あとは自治体を頼るのも手。いまはどこも、適齢期の人の結婚を応援する仕組みができてきてる。あとは、やるかやらないか。
 
 「他人の人生に口出しするな」ってスタンスの人には怒られそうな提言だけど、「口出ししないで放置」も残酷だ。だからちょっとずつ何か言っていきたいな、と思う。
 
 家庭を持って「絶対に」幸せになれるとは言わないけど、機会があるならやってみて。きっと、意外と悪くないから。

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