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深夜のすべて

むかしラジオか何かで、ある声優が話していた。その世界ではかなりのキャリアがある人らしかった。

「深夜アニメをやったとき、『あなたはすごくうまいので、これから絶対売れると思います!頑張ってください!』ってお便りが届いたんです。深夜アニメやってる奴の、全員が新人じゃねーぞ!」

もう売れている人に対する、なかなかのお便り。

アニメはあまり見ないから事情は知らない。でもそんな勘違いをしてしまうくらい、深夜アニメっていうのは新人率が高いのかな。ベテランも新人も入り乱れる時間。

地球上の大半の生き物は夜行性であり、日中活動的になる人間は少数派に属する。私たちは基本的に夜が怖い。暗いところはなんとなく不穏で、わけもなく恐怖を感じたりする。

でも同時に、深い暗闇は、昼間とは違う豊かさを見せる。突拍子もない夢を見るのは夜。空想や妄想が似合うのも夜。まして深夜は丑三つ時、百鬼夜行の背景はやはり、まったくの闇じゃなきゃしっくり来ない。

夜は懐が深い。昼間の論理の光のもとでは許されない、あらゆる空想の翼が飛んでいく。

誰でも小さい頃には自分だけの空想の館があって、そこでいろんな人と会いはしなかっただろうか。例えば歴史上の偉人、例えば憧れの人。例えば小説や映画の中の人物。昼間の光の下では出会えないすべての人。

秘め事や祭りというのも夜の闇に紛れて行われるもので、深夜はいつもカオスを内包している。

大学の頃お世話になった教授いわく、昔話というのは夜に語らないといけないらしい。
「昼むかしをすると(日中に昔話をすると)ネズミに笑われる」
という言葉を、そのとき聞いた。東北のどこかで使われる言い回しだと言う。詳しいことは忘れてしまったし、それをメモしたプリントは、紙ゴミに紛れてどこかに行ってしまった。

昼には語れないことがある。それをやると──意味はよく理解できないけれど、恐らくは掟破りというニュアンスだろう──「ネズミに笑われる」。

ネズミに笑われるなんていう、あり得ないことが起こる。そんな意味合いなのか。それとも自分には想像もつかない、もっと別の話なのか。あるいは、論理的に理解できるような、理屈の世界の話じゃないのか。

最後の考えが一番近い気がする。先生、元気かな。

昔話の中では、人が龍になったり男の子が桃から出てきたり、いろいろあるからね。そんなのは闇に紛れて語ることであって、昼の世界を侵食するのは掟破りである。そんな倒錯はネズミに笑われる。

空想の豊かな生き物たちは、だいたい朝が来ると消える。民話でよく聞くあらすじだ。「明け方を告げる鶏の声が聞こえた途端、鬼は消えてしまいました」とか。太陽がのぼった途端、姿を消していく幽霊や妖怪たち。

太陽がのぼる前の漆黒の闇は、それほど彩り豊かにカオスに、どんなものの存在も許している。

だから(話を戻せば)ベテランが新人と取り違えられるくらいは仕方ない。深夜なんだもん。ひょっとしたら件のお便りをくれた人は、同じ業界の大ベテランだったかもしれない。君もいつか僕くらい売れる日がくるよ、頑張ってねって意味の。

そんなわけないか。

今日もまた日没のあとには夜が来て、それから深い夜になる。深夜を「深」夜と表現した人は、闇の中に奥行を感じていたんだろうか。それとも時間とともに、夜の底へ沈んでいく気持ちがしたんだろうか。暗闇は怖くなかったんだろうか。それともその豊かさを楽しめる人だったのだろうか。

むかしむかしの夜っていうのは、電気もなく火だけを頼りに暮らすんだろうけど、そこでされる昔話っていうのはどんなに趣きがあっただろう。そばに深い闇があれば、お話に出てくる鬼も妖怪もリアリティがあって、いまにも出てきそうな気がしたのかもしれない。深夜の豊かな暗闇。

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。