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それはきっと最高の一年

 16歳のときの一年は、まちがいなく特別だった。いままでの人生で一番印象に残っている一年は、と訊かれたらきっとそう答える。
 
 なにもかもが新しい年だった。親元を離れて女子寮で暮らすようになった。初めての、知り合いのひとりもいない街は、あらゆるヘマをするのに最適だった。
 
 ひどく似合わない髪型にして、寮にいる年上のおねえさんに嗤われた。同級生の路上ライブに「これも経験かな」と思って付き合ったけど、結局都合のいいパシリになっただけだった。休日は部屋にいるか、ご飯を買いにコンビニまで歩くか、ふたつしかしなかった。
 
 他人とほとんど話さない日があった。声を出すことすらメンドくさいと思った。自分が垢抜けないのがよくわかっていたから、駅のホームで制服姿の、ちょっときれいにした子を見ると、自分と比べて消え入りそうだった。
 
 動画ばっかり見て、一日が終わることがあった。人とうまく話せなかった。よく舐められた。電車の中で、男子高校生の二人組が「あの子どう」「俺タイプじゃない」とか言っていた。駅で、後ろから顔を覗きこみに来た男に「(顔が)普通」とコメントされた。
 
 障害者の人に声をかけられて、言われるままに手伝っていたら、最終的にホステスの真似事を要求された。道端にいるおばさんに「足が悪くて歩けないから、ポストに手紙を出して来てくれ」と言われて預かった瞬間、早く行けというようにシッシと手を振られた。
 
 いろんなことがあったけど、そのすべてが新鮮だった。
 
 寮の個室は広い畑に面していて、ときどき隣りの人が出す大声が響き渡った。進路の話で親と揉めていたらしい彼女は、一年でいなくなった。反対隣りの人はピアノの調律師をめざしていて、歌いながら掃除機をかける人だった。寝転がりながらよくその歌を聞いた。
 
 垢抜けなかったけど、擦れてはいない。それが自分の幸福だった。父親が心配したように、都会に染まってやさぐれることはなかった。父が心配したように、ミニスカ姿の金髪ギャルになるようなことはなく、相変わらず母親の買ってくれた服を着ていた。
 
 学校までは、舗装されていない土の一本道を歩いて行った。片道1時間。いい運動になった。道の途中で、目の前にぶら下がる毛虫や、走っていくネズミやうねっていくヘビを見た。ネコに襲われたあとのハトの残骸も。
 
 16歳の誕生日には、学校近くの大きな公園でこもれびを見ていた。無数の影と光が地面で交錯するのを見るのは好きだった。とても死にたかった。
 
 16歳なんて、だれでも若く美しい。自分もそうだった。当時はそれが理解できなかっただけで。
 
 当時、書きつけていた手帖やノートはすべて捨ててしまった。だけどそこに何を書いたかは覚えてる。大人になったら、いまの痛みが消えるんじゃなくて麻痺するだけで、そんなの救いにはならない。そんなことを書いた。
 
 そこから少し成長して、道で声をかけてくる怪しい人をガン無視するようになり、髪型も変えた。今度は、いろんな人が「ボブ?かわいいね」「似合ってる~」と言ってくれるようになった。路上ライブをしていた同級生とは、連絡を取るのをやめた。
 
 そんなのは、全部16よりあとの話だ。
 
 自分になんの自信も持てない人間だったけど、いま振り返れば、確かに輝いていた。大人になった自分が、少しうらやましいと思うくらい、若くて美しくて世間知らずで、無防備だった。自分の価値にまるで気づいていなかったのが、余計に価値あることだった。
 
 あんなにすべてが初めての一年は、もう来ないんじゃないかな。もう来ないだろう。思春期の頃と同じように世界を受けとめるなんてこと、そうそうできやしない。そういう意味では、いまはもう余生みたいなもの。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。