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【詩を紹介するマガジン】第13回、三木卓

 早口で読みたい日本語。

「系図」
 
  ぼくがこの世にやって来た夜
  おふくろはめちゃくちゃにうれしがり
  おやじはうろたえて 質屋へ走り
  それから酒屋をたたきおこした
 
  その酒を呑みおわるやいなや
  おやじは いっしょうけんめい
  ねじりはちまき
  死ぬほどはたらいて その通りくたばった
 
  くたばってからというもの
  こんどは おふくろが いっしょうけんめい
  後家のはぎしり
  がんばって ぼくを東京の大学に入れて
  みんごと 卒業させた
 
  ひのえうまのおふくろは ことし六〇歳
  おやじをまいらせた 昔の美少女は
  すごくふとって元気がいいが じつは
  せんだって ぼくにも娘ができた
 
  女房はめちゃくちゃにうれしがり
  ぼくはうろたえて 質屋へ走り
  それから酒屋をたたきおこしたのだ 

 歴史は繰り返す。最近ある人から「お母さんに似てきたわね」と言われて、そうかなあと思っているうちにこの詩をおもいだした。
 
 「血筋」なんて言葉は、いけ好かないものとして知られている。人間は努力すればなんでもできると信じる人々にとって「遺伝が有利」とか「血筋がよい」なんて発想は受け入れられない。
 
 純血至上主義は自分もそれほど好きじゃない。一方で「でも親子って似るよな」とも思う。嫌なところもいいところも貰って、歴史を繰り返す。家族はいつでもどこかで似通ってしまう。
 
 両親は離婚していて、ひとりしかいなかった兄弟は自殺したような家庭だから、歴史は繰り返すと思うと溜息しかでてこない。お母さんに似てきたわね、は、あなたもお母さんと同じ人生を送るわよ、に聞こえてくる。言った側にそこまでの考えはない。
 
 どうせ繰り返されるなら、中身は美しいほうがいい。三木卓のこの詩の繰り返しはいい。「親父さんが途中で死んでるじゃないか、なにがいいんだ」と父なら言いそうなものだけど、悪い死に方には見えない。
 一生懸命ねじりはちまき、死ぬほど働いてそのとおりくたばった……。リズミカルに生きてリズミカルに死んでいる。詩人にこう形容された人は、単純にしあわせだと思ってしまう。
 
 もちろん本当は、そんな風に数行でどうこう言えてしまうほど簡単な人生はない。その簡単じゃないものを、数行におさめられてしまうから詩はいい。詩はよくて詩は残酷だ。
 
 むかし誰だったかの墓碑には「生きた、愛した、死んだ」とだけ書かれたと言う。言ってしまえば人生それだけなんだけど、そうは言ってもそうはいかないのが日常ってもので。
 
 やっぱりご飯は食べないと生きていけないし、人間関係はあるし、ささいな出来事でへこむときもあれば、逆に舞い上がるときもある。そんなあらゆるささいなことで人生は出来上がっていて、当然ながら墓碑には刻まれない。
 
 ある意味、歴史的に見ればどうでもいいことばかりで生活はなりたっている。大きな歴史も小さな歴史も繰り返しながら、人は生きるし生きてきた。人類がどんなに進歩しようが、人はいつでも親に似ていて、小さな歴史も大きな歴史も繰り返し繰り返す。
 
 死んだ兄の顔は父親にそっくりだった。父は電車に飛び込んで死んだりしなかったが、兄はやった。私は母に似てきた。どんなところがどう繰り返されているのかわからない。似ていると教えてくれた人は、お母さんはいつでも少女のような人よと言う。
 
 
 三木卓は、紫綬褒章まで受賞した作家なので、知っている人はすごくよく知っているかもしれない。自分はこの詩のインパクトが強かったので、ほとんどこれしか知らなくて、さっきようやく他の作品も読む気になった。週末の読書リストに入っている。
 
 今週は台風の影響でひろく雨が降る。人生で何度目の台風かわからないけど、こういうときはひきこもって読書と相場は決まっている。天気はよくないけど、こういう繰り返しは悪くない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。