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ふつうの人には、気力と体力

  「鳶職人」と聞いて思い浮かべるのは、どんなイメージだろう。なんとなく「職人気質」とか「一匹狼」とか、そんな感じなのかなと思う。人によっては「アウトローがなるもの」って印象を持っている。
 
 建築現場で働いて思うのは、鳶の世界はチームワークがすべてだということ。だから上で書いたイメージはどれも違っていて、実際の鳶職人は仲間とルールを大事にする。ちなみに上下関係もきっちりしている。アウトローとか一匹狼では、きっとやっていけない。それは任侠の世界と同じ。
 
 という話をしてくれた課長が言う。

「……だから、世間の厳しいルールが嫌だーって言って鳶になっても仕方ないのよ。結局そこでも上下関係とか、仲間内の掟みたいなの絶対あるから。なんなら世間の普通より激しいからね」

「不良っていうのも、あれはわからんよね。規則でがんじがらめの世界に反抗しながら、もっと厳しいルールのあるとこ飛び込んでくんだから。堅気はいいよ。機嫌そこねても殴られないもん。不良グループはなんかあるとすぐ殴るけどね」
 
 よかった、普通の世界の人間で。

 自分たちがやっているのは、工事の品質や工程の管理なので、職人仕事とは一線を画す。職場には、もちろん課長とか職長とか先輩後輩はある。でもそれは中学校の部活の上下関係よりはるかにゆるい。必要なのは仕事が進むことであり協力であり、共同作業であって、誰かが誰かに力を誇示することじゃない。
 
 現場の作業はスピード感が命だから、速く動ける人間がリードを取る。たとえどんな立場であっても。そしてもちろん、どこで何が起きているか一番知っている人が、一番強い。
 
 だから先輩の中には、立場が上の人に向かって「あなたが現場のなにを知ってるって言うんです?なにも知らないのにどうやって指示を出すの?」と詰め寄る人もいる。時としてタメ口をきいても問題にならない。仕事が進んでさえいれば、すべてが許される。
 
 仕事ができる人はなぜできるのか、と言えば、知っていることの量が段違いだからだ。
 
 運ばれてくる材料の名前、どこの会社から取り寄せた物か。何日の何時に運ばれてくるのか、運ぶ車の大きさは。それはどこのルートを通ってどこに運び込まれるのか。これらをまず知っていないと、工事は管理できない。
 
 それから「いま誰が何をしているのか」「何がどこまでできているのか」。たとえば6階建ての建物をつくるとして、現在、6階までとりあえず床や天井や壁はできたとする。そうなれば、今度は電気や設備を入れる必要がある。誰がいつまでにそれをやるのか?エアコンを付けるのはどの業者で、水道管を配備する職人はどこの誰なのか?
 
 生産性とか効率とか考えるのは、これらを覚えたあとの話だ。まず最初の「覚えるべきこと」の山を気合とガッツと物量で乗り越えないと、そのあとがない。先輩たちはここをこなしているからすごい。
 
 自分は現場管理といっても仕事が事務方なので、細々とエクセルを使って時短作業を試みたり、現場で必要な物が切れないように絶えず発注をかける。実際のところ、いまの建物がどこまでできていて、全体の何割が達成されているのかは何も知らない。知らないと立場は弱い。だから何もかも聞いて回る。
 
 という作業はどれも、元気がないとできない。「仕事ができるようになるにはどうしたらいいか」と訊かれても何も答えられないけど、気力と体力はあるほうがいい。自分のほうに分があり知識もあると思えば、目上の人間にも喰ってかかれる元気。もしくは、何かがわからないときに、手当たり次第聞いて回れるフットワークの軽さ。
 
 そのへんからしか始まらないと思う。仕事って。無駄なこともたくさんするけど、それも含めて。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。