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特別な存在だから価値がある訳ではない

誰かにとって特別であるべきだと考えてきた

自分を認めてあげるには、誰かにとって特別な存在である必要があると考えてきました。この社会において、そう思わせるような言葉を沢山い言われ続けてきました。「個性を伸ばせ。」「好きな事で生きていこう。」「求められる人であれ。」「責任あることには価値がある」など、本当に様々なことを言われてきたんです。

そうした社会の目や世間の目というものを感じずにはいられません。無意識に感じる圧力によって、自分は価値を認められていないと言う気持ちが芽生えてしまうのです。承認欲求といったものも、こうしたことから沸いてくるものだと言えます。

子供の頃を思い出してみれば、かけっこで一位をとることにみんな価値を感じていたものです。学校のテストで一番を獲れば特別であるように感じていたんです。ただ、そこから外れてしまえば、自分には価値がないと感じてしまう訳です。

その気持ちは、痛いほどわかります。僕は、子供の頃から自分には価値がないと思い続けてきたから。悔しい思いをいっぱいしてきたし、多くのことを諦めてきたからです。苦手なことであっても、やるからには上を目指せと言われてきたし、僕自身も負けたくないと意気込んでいたものですから。

個性とは

特別な存在ではないことを個性がないと捉えてしまいがちではないかと思います。この悩みは、若いときには深刻に自分に伸し掛かっていました。歳を重ねるにつれて、その気持ちは薄れてきたというかどこか諦めて入っていた力が抜けてきたと感じる感覚です。

ですが、最近、個性とはどういうことなのかを考えるようになりました。自分を認めることが出来ずにいたから、余計に考えてしまったんだと思います。

個性がないとは、言えばいくらでも取り替えが利くということです。そんなことを考えたときに、思い出すことがあります。過去に、会社で言われたことです。「お前みたいな奴は、いくらでも替えがいる。」確かに、その当時の僕は、心を失くした機械のように働いていたんです。何でも言いなりになって、何でも言われたことを受け入れてしまっていたからでした。自分には個性がなく価値がないという気持ちが、そうさせてしまっていたんです。ですが、それは余りにも、憂うものだったのです。

機械といったものは、壊れてしまえばいくらでも取り替えることができます。ですが、人はそうじゃないと思うのです。

あの時は、言われたまま受け入れてしまったけれど、誰かが僕と言う存在をなり変われるものではありません。そのことに気が付いていれば、受け入れたりはしなかったんだと思います。

誰も自分の変わりが出来ないということは、個性というものが存在しているからこそであることを証明しているのです。

誰もが存在している地点で、個性を持ち合わせているのです。

かつて、自分は人とは違うことに悩んでいたことも、何か自分が特別な存在にならなければいけないと感じていたことも、その必要はなかったのかもしれません。

自分が自分であることを受け入れていく。

それだけで、十二分に自分を認めることが出来るものだったのです。

自分の中の個性を認められた話

料理の世界にいて、ほんの少しだけですが分かったことがあったんです。
どれだけ努力して真似ても、どれだけ熱心に習ったとしても、師匠と同じ料理を作ることが出来ないのです。同じようにやったつもりでも、どうしても出来ないのです。それは、本気になって追いかけてみたから分かったことでした。憧れて、あの人見たくなりたくて、なれないと感じた時に、初めて自分は自分の道を行こうと決意することができました。

人と自分との違いを認めることが出来たのは、こうしたことからじゃないかと思うのです。

だってそれは、何か特別な存在になったのではなく、自分の中に価値があると思えた瞬間でもあったからです。

人生はもがいてみるものですね。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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