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許せないことに頑張らないで

嫌なことを我慢し続けた結果

大人は我慢するものだと思っていました。辛抱することこそ、我慢強くなれたと自分の自信につながるものだと思っていました。腹が立つことをひとつ我慢することが出来たときに、自分は成長することが出来たとも思えていました。

ですが、何かを我慢することで、自分を縛り付けてしまっているのは間違いのないものでした。いつも、何かから逃げられないような気がしていたんです。そして、いつもどこかでしんどさを感じずにはいられませんでした。

本当は逃げ出したかったのに、本当はもう少し楽になりたかったのにと、思うことが多かったのでした。

僕は一度、自分の肩にのしかかる重圧に耐えきれずに、人生を投げ出してしまったんです。嫌なことを我慢し続けた結果、結局は我慢することが出来なくなって、潰れてしまったのでした。

人は真面目でいいよねと言うのですが、真面目でいるために、嫌なことをいっぱい我慢しなくちゃいけないのです。いつも、自由で気ままな人が羨ましかった。

誰にでも、不安はあるはずなのです。人間関係のこと、将来のこと、今抱えている問題。でも、皆前に進んでいる。

僕は、自分だけが押しつぶされてしまった感覚でした。

腹が立つこと、不安なこと、後悔すること、理不尽なこと、全て受け止めようとすれば、たちまち立ち入らなくなることなんか、分かっていたはずなのに、なんとしてでも我慢しなくてはいけないと思ってしまったんです。

諦めてしまわないように

誰かが言っていました。どんなことでも勝ち続けるためには負けないことだって。人生は勝負ではないけれど、潰れてしまったら元も子もなくなるのは確かで、人生を歩み続けるためには、潰れないことが大事だと思うのでした。

また、誰かが言っていました。諦めたら、そこで終わりだって。それは、僕も実感したんです。自分の人生を諦めてしまったとき、これまでの何もかもを失ってしまったから。あいつは、昔からダメな奴だったと後ろ指を指されたこともあります。僕が、どれだけ必死で頑張ってきたのか、どれだけ辛抱して乗り越えてきたのか、どれだけ努力をしていたのか。そんなことも全部無碍にされたのです。それは、あまりにも悔しいじゃないですか。

人生と言うものが、何処まで続くかは分からないけれど、生きている限りは歩み続けたい。もう、後悔もしたくない。だから、自分自身が潰れないように諦めないように、もう少し、肩の荷を下ろす必要があると思うようになったんです。

これまでの僕は辛抱強くなるために、何でも正当化していたんです。正しさをいつも求めていたんです。正しさを理由にしないと、心が折れてしまうから。ですが、それ自体が自分を苦しめていたんです。いつの間にか正しくないことが、許せなくなっていたから。いつも、自分を奮起させないと、自分を保つことなんてできませんでした。

そうした自分の気持ちを楽にするために、「ま、いっか」と思う選択肢も必要で大事なことだと思うようになりました。時には、今の自分では抱えきれないと逃げ出したこともあります。現に今も逃げ続けていることもあります。それで、非難されることもありました。正しくないのかもしれません。でも、そうしないとすぐに自分が潰れてしまうと判断したからです。

これまで、自分が辛抱しなくてはいけないことだと思ってきたことは、ある意味、正しさに対しての執着心であったとも思えるのです。こうじゃないといけないと決めつけてしまっていることで、自分自身をも歪めてしまっていたんだと思うのです。そうやって、許せないことに、時間を費やし、エネルギーを注ぎこんでいたんです。もっと、好きなことに使っていきたい。自分を自由にしてあげたいのです。

楽観的な思考で生きていくには、まだまだ抵抗があるのは間違いありません。でも、ほんの少しでも自由に気持ちを楽にして生きていく方が楽しいとも思えています。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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