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ラーメン屋である僕たちの物語2nd ⑩


「ロストマン」


中編







君を失ったこの世界で





僕は何を求め続ける










「癌、ということです」








カチ







カチ






僕たちの距離を、重い足取りで時間が歩いていく。





カチ






カチ








僕はTっさんの言葉を真正面に受け止めながらも、どこか夢と現実の狭間に彷徨い込んだような浮遊感の中にいた。







カチ







カチ










宇宙の隅々まで探しても、Tっさんにかけるべき言葉は見つけられなかった。







カチ






カチ








なにも見つけられないまま、途方のない時間をTっさんと視線だけで語り合った。




カチ




その均衡をTっさんが突き破った。






「いやー、参りましたよ!」



「おかんには泣かれるし、弟には『癌か…きついな…』ってドン引きされますし!」




「まだ死んでないっつーの!」






Tっさんは一気に捲し立てる。



「自分でもまだ現実感がないんですよ!」



「まあ、まだ可能性の話ですからね!」



「だ〜いじょ〜ぶだ〜、デデン、デン」



「うぇっ!うぁっ!うぉっ!」




不安を払拭するかのように、戯けて見せた。



「Tっさん…」



「あー言えてスッキリしました!さ!仕事!仕事!仕事しましょ!」



僕は声をかけようとしたが、Tっさんはそそくさとキッチンに入っていき、朝の仕込みを始めた。




僕の時間は、しばらく動かなかった。



一生懸命、気丈に振る舞うTっさんが切なかった。




「俺のせいだ…。あんな働き方させてたから…」




そして僕の中には、自責の念が大きな渦を作り始めていた。






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「ただいまー」



その日は夜の営業を取りやめ、ランチ営業後の片付けが終わると、僕はまっすぐに帰宅した。


実はこの頃、2年ほど住んだ善行から本鵠沼に引っ越ししていた。


母が仕事を辞めることを決め、社宅として利用していた善行の借家から出なくてはならなくなり、本鵠沼の店舗付き物件に引っ越してきたのだ。


元々、眼科の開業医が診療所兼住宅にしていた物件だったが、近隣トラブルにより売りに出していたものだった。

一階が店舗、二階、三階が住居スペースになっている。




『お母さん、仕事辞めようと思うの』




先日の僕のバイク事故をきっかけに、母は仕事を辞める決断をした。


その後、早期退職し、その退職金でこの物件を購入したのだった。



その時、母から念を押されたことがある。





『母も一緒に僕の店で働くこと』




僕はそれを約束した。




しかしこの約束が、僕と母の関係を変えていくことになることを、この時の僕はまだ知らない。






「兄貴、今日は早いな!」


「軽く飲みにいこうよ!」




そしてもう一つ、環境が変わったことがある。



弟の祐貴が実家に戻ってきたのだ。



めじろを辞めて、新聞配達の仕事をしながら一人暮らしをしていたが、新聞配達を辞めた後、善行の家に出戻った。


そして、本鵠沼に引っ越す頃に、ずっと好きだったアパレルの仕事に就き始め、しばらく一緒に暮らすことになった。





「ええ〜、今日はいろいろあって疲れてるんだよ〜」


「固いこと言うなよ!行こうよ!」


「うーん、じゃあ、一杯だけな!」



この日はあまり気は乗らなかったが、気晴らし程度に飲んでもいいかと思った。



この頃、祐貴とはよく飲みに行っていた。



善行に住んでいた頃は、僕たちと歳の近い、日系アルゼンチン3世のマスターがやっていたスポーツバー『A』でダーツをしながらよく遊んでいた。


そして、本鵠沼に引っ越してからは、本鵠沼駅前から鵠沼海岸まで、とにかく良く飲みに行った。


僕は本鵠沼でラーメン屋を開業するにあたり、顔を売っておく必要もあった。



そんな本鵠沼で2人でよく通っていた店は、本鵠沼の家から30Mほど駅寄りにあった焼き鳥屋『S太』だった。


寡黙で人見知りな店主のMさんの人柄と、本鵠沼の社交場のような、地元の人でいつも満席になる雰囲気が大好きだった。


荷物を置き、祐貴と一緒にS太に向かう。




『わははははははは!』



S太の引き戸の前に来ると、沢山の笑い声が聞こえた。


今日も大繁盛の様だ。



カララッ…



「こんばんはー!」


僕たちは引き戸を開けて店を覗き込んだ。



「おおー!大西兄弟!」



今夜も沢山の常連さんでいっぱいだったが、みんな席を詰めてくれて、なんとか二席作ってくれた。


店主のMさんはその様子を見てニコニコとしている。



「Mさん、生2つ!」


席に着くなり、祐貴がオーダーを通す。



僕と祐貴は、20代までは仲の良い兄弟ではなかったかもしれない。


小さい頃から兄弟喧嘩が絶えなかった。 


そのほとんどは僕が祐貴にちょっかいを出していたわけだが。


特に祐貴がグレてからは、お互いを否定し合っていた。


しかし、この頃はそんな青い季節を越えて、今までの時間を埋めるように、同じ時間を過ごしていた。


照れずに言うと、僕は祐貴とのこの時間が好きだった。


祐貴もきっとそうだと思う。


この頃の僕たちはサーフィンを齧っていたのだが



『いつか兄貴と、日本中をサーフトリップしたいんだよなあ』


部屋飲みしていた時に、祐貴が遠い目で語ったこともあった。


だから、きっと祐貴も僕とのこの時間を慈しんでいたはずだ。


僕はそう信じている。



「はい、生2つ!」



Mさんから生ビールを受け取り、祐貴や常連さんたちと乾杯をした。




「兄貴、店はどうなんだよ?」



お通しに口をつけながら祐貴が尋ねる。


「…いろいろあるけど、順調だよ」


「祐貴の方こそ、アパレルの仕事どうなんだ?」


「楽しいけど、まだまだだよ。この前、上司の前で屁したら怒られたけど笑」


こんな多愛ない話ばかりだが、僕は楽しかった。


この歳になって少しずつ、兄弟らしくなっていった。



「兄貴、あの一階で店やるんでしょ?屋号は?」



「まだ決まってないんだよなぁ」


そうなのだ。あの物件を母が購入したのは、僕と一緒に働く店を作るためだ。


でも、今は「ひなどり」も軌道に乗ってきた。
だから本鵠沼の店は2号店ということにしよう、そんな話を母としていた。


「オレも今はアパレルだけど、将来的には飲食やりたいんだよなぁ。Barとかさ」


「へえ、そうなのか!屋号はもう決めてるのか?」


意外な祐貴の夢を聞いて、僕は少し驚いた。


「屋号はシンプルにしたいんだよなぁ。…『サル』とかいいなって。」


「『サル』?」


「そう、『salud』ってたしかスペイン語かなんかで『乾杯』って意味なんだよ。まあ、とにかくシンプルな名前にしたいなって考えてる」



「ふーん、そうなんだ。俺もシンプルにしたいなあと思ってたよ。一文字とかさ。」


祐貴の話を聞いて、僕も少しずつ2号店の屋号イメージができてきた。


「一文字?例えば?」


「そうだなあ、海に近いから水にちなんだ名前がいいかな、例えば…」



「『渚』とかー」



「『澪』とかー」


「『渦』とか」






《『渦』いいじゃん!》




お互い顔を見合わせて叫んだ。


この瞬間、2号店の屋号は「渦」に決まったのだった。

決まったのは字面だけで、意味や願いは後から付けることになる。

願いや意味を名前に与えることで、その名前に命が吹き込まれると、僕は思っている。



「良かったな!兄貴!オレのおかげで屋号が決まったな!」





祐貴は僕の肩をポンと叩いて偉そうに言うと、




「オレが弟で良かったろ?」




これまた誇らしげに、いつも僕に言うのだ。



「はいはい笑」



しかし、僕はこの言葉にいつも生返事をした。



改めて言うこともないだろう。


そう思っていた。



その後、〈帰宅したらどちらが先に風呂に入るか〉で揉めるが決着はつかず、結局小学生時ぶりに一緒に風呂に入ったのだった。





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翌朝




「ピコーン」



出勤の準備をしていると、ケータイの通知が鳴った。


開いてみるとmixiにメッセージが一件届いている。





『芳実、久しぶり!先日の件だけど、お願いしたいと思います!一度お店に行くね!』





「お!マジか!」




送信相手は友人のKだった。


数ヶ月前、このKに「うちの店で一緒に働かない?」と誘いのメッセージを送っていたのだ。



何度か口説いても、うやむやにされていたのだが、話が進展したのだ。




『うん!いつでもいいから店で話そう!』






Kに返信して、ケータイを閉じた。



この時の僕には仲間が増える嬉しさと、もっと早かったら…という悔しさもあり、手放しで喜べなかった。



「Tっさんにも教えてあげなきゃな」




僕は支度を済ませ、複雑な気持ちのまま家を出た。



玄関を開けた先の目の前に、雲一つない大きな青が広がる。




しかし僕の上には、灰色の空が落ちたままだった。





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「おはよう!Tっさん!」



「店長、おはようございます」



Tっさんは昨日と変わらず、何事もなかったかの様な笑顔を僕に向ける。



お互いにテキパキと毎日の支度を始めながら、僕はTっさんに尋ねた。



「体調どう?」



「ポリープが沢山できてますよ笑」



「いや、それは知ってるんだけど!身体の調子はどうよ?」



「笑、すこぶる元気ですよ!」



冗談で返す余裕のあるTっさんと、冗談を返す余裕のない僕。





「途中で体調悪くなったら、すぐ教えてよ」



「はい、その時はすぐ言います」



明るく振る舞うTっさんと、心配で元気のない僕。



どっちが病人なんだろう。



「ああ、そうだ、Tっさん!」



「はい?」



僕は手を止めて、今朝のメッセージのことをTっさんに話した。




「おお!そうですか!それは良かったですな!」


「うん、これで少しずつ仕事の分担もできると思うんだ。もう少し早く動いていれば良かったよ」



僕は滲んだ後悔を口にした。



「ま、なにはともあれ、前進ですな!明るいニュースで良かったです!」



さっきからずっと僕が元気づけられてる気がする。


僕はダメだな。



「精密な検査結果はいつ出るの?」



「来週には出てるので、定休日に聞いてきますよ」


「早めに聞きに行ったほうがいいんじゃない?」


「大丈夫ですって!私がいないと店長は店休みたがるし!笑」


また人の心配をしている。


「本当に大丈夫なんだね?」


「はい、定休日に聞いてきます」


「わかったよ」



僕はTっさんからしない限り、これ以上この話はしないことにした。





怖かった。


最悪の未来が怖かった。



その未来から目を逸らすために、卑怯で臆病な僕は、この話題を避けた。





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数日後



ら〜めん専門ひなどり

PM16:00





「じゃあ、来月からよろしく!」




「うん、よろしくお願いします!」



この日、友人のKが店にやってきて、仕事の話を聞きにきたのだが、話は順調に進み、来月から一緒に働くことになった。



「なかなか良さそうな青年ですな!」



Kを見送った後、仕込みをしながらそのやりとりを見ていたTっさんが言った。



「うん、Kは素直だし、明るいし、きっといいスタッフになってくれると思うよ!」



僕は笑顔で返した。



「来月から仲間になるから、仕事もバンバン教えていこう!」



「そうですな!任せてください!」



笑顔でTっさんも返す。



未だ僕の上には灰色の空が広がっていたが、はるか遠くの方で一条の光が差した様な気がした。





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その数日後



定休日明けの火曜日


AM7:30





僕はいつもより少し早く店に着いた。


今日はTっさんの検査結果を教えてもらう日だ。


昨日、検査結果はわかっていたはずだが、Tっさんから連絡はなかった。





《癌、ということです》





まだ可能性の話と言っていたが、良い結果だったのなら連絡が来るはずだ。



…と、いうことは…




話を聞くのが怖くなった。



温もりのない、朝の冷たい空気が満ちた店内でTっさんを待った。



僕は落ち着かず、小さな店内をウロウロと歩いていると


「あ、店長、おはようございます」



いつの間にかTっさんが出勤してきていた。



「あ、ああ、おはよう!Tっさん」



「今日も寒いですな」



「そうだね。風邪ひかない様に気をつけないとだね」



明らかにTっさんの元気がない。



やっぱり検査結果は…変わらなかったのか。




「店長、ちょっといいですか?」



「…うん」



Tっさんに促され、テーブル席に向かい合った。



「………」




向かい合ったはいいが、僕は負い目からTっさんの顔をまともに見れなかった。



「………」




数秒の沈黙の後、Tっさんが口火を切った。




「…先日の検査結果なんですが」




怖い。




終わりが始まる。



「私は大腸にポリープができやすい体質らしくて」





Tっさんはゆっくりと、そして淡々と続ける。





「大きなポリープが沢山できてるそうなんです」




僕は黙って聞いていた。




「そのポリープから出血してKBになっているそうなんですが」





Tっさんが少しずつ核心に迫っていく。



怖い。




きっとTっさんは僕より怖いのに、勇気を振り絞って僕に伝えてくれてる。




そんなTっさんには申し訳なかったが、情けない僕はこの場から逃げ出したかった。





僕たちの最悪の未来が目の前に立っている。




あと一歩で僕に届く距離に。





「そのポリープは」








「良性ということでした」





「え?」






「悪性ではありませんでした!」






「え?…えええええ!?」




僕が驚いていると、Tっさんの顔にパッと花が咲いた。




「全く、医者の奴ら!人を不安にさせる様なこと無責任に言うもんじゃないですよ!」





「おかんたちにも話したら『わたしの涙を返せ!』と怒っていましたよ!笑」






「は、はは」


「ははははははは!」




僕は呆気に取られながら、口で笑うことしかできなかった。




そんな僕を見てTっさんはニヤリと笑った。




「ご心配をおかけしました」



ゆっくりと、深々と、頭を下げた。




そんなTっさんを見て、僕もやっと血が巡り、身体が温かくなってきた。




「はぁ〜…良かった…良かったよ、俺はてっきり…」




安心して脱力してしまった。




僕の上に居座り続けた灰色の空は、すっかり澄み渡る青に塗り変わっていった。





僕たちの旅はまだ続く。




これからTっさんと、Kとバイトちゃんとみんなでもっと楽しい旅になる。




そう確信した。




その瞬間





「店長」





僕を呼ぶTっさんの顔から、花が散った。




「まだお話があります」






23年間の付き合いの中、今まで見たこともない他人の顔をしたTっさんが、目の前にいた。









to be continued➡︎





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