"愛"について考えてみようじゃないか
「カラオケ行こ!」を観てきた
先日姉と一緒に、「カラオケ行こ!」の映画を観てきた。
久々に映画館で映画を見たけれど、やっぱり大画面で綺麗な音と映像を観るのはいいなと思った。
「カラオケ行こ!」は簡単に言うと、ヤクザ・成田 狂児と中学生合唱部部長・岡 聡実くんの織り成す物語だ。
いろいろあって、狂児と聡実くんはカラオケに行くのだ。簡単には言えない。映画公式サイトをみてくれ。 マンガが原作だよ。
作中で聡実くんが「愛」について考える場面があった。
「愛とは与えること」だと言われた聡実くん。
その時はいまいちよく分からなかったようだが、夕食時お母さんがお父さんに「鮭の皮」を渡していたのをみて、何か思ったようなシーンがあった。
映画館の大きなスクリーンに、スローモーションで鮭の皮をはがし、お父さんのお椀に持っていくお母さん。なんだか不思議なシーンだったけど、そのとき私も「確かにこれは愛だなぁ」と思ったのであった。
映画を観終わってからも、どうも鮭の皮のシーンが印象に残っていた。数日経った今も。
ということで、「愛」について今一度考えてみることとした。
綺麗に包めたオムライスを渡すのが愛なのか
「綺麗に包めたオムライスを渡すのが愛」という言葉を、昔Twitterか本か雑誌か何かで読んだ気がするんだ‥。(曖昧すぎる)
そのときは、うんうん分かる~と思っていたのだが、よくよく考えてみると私は愛している人でなくても綺麗に包めたオムライスを渡すと思う。小心者だから。
例えば2つのオムライスを作って、2つとも大成功して、「強いて言えばこっちの方が綺麗かな」と思って渡すなら愛だと思う。
でも、オムライスを全て綺麗に包むっていうのは私には結構難しい。だいたい2つ目の方が上手くできる。どっちかは白身が多かったり、破れていたりする。
そうなった時、もしあまり上手でない方を渡したとしたら
『破れてる』『そっちの方が綺麗』『いやしいやつ』
なんて思われたくないので私は綺麗な方を渡す。自意識過剰じゃないかという話は置いておいて。
その点、鮭の皮は分かりやすかった。
でもオムライス自体が愛なのはわかる。
赤いご飯を黄色い卵で優しく包むなんて、それは愛の食べ物だろう。
愛はコンビニでも買えるのか
と、草野正宗さんは歌っている。
もっと深い意味があると思うけれど、最初に聞いたときホォ‥と思った。
突然だが🎬「あまくない砂糖の話」という映画がある。
砂糖を大量に含む食品を60日間食べ続け、体や心がどのように変化していくのかを記録するドキュメンタリー映画だ。
その映画の中で、砂糖を食べたときに感じた脳の刺激は、愛を感じた時と一緒だ‥みたいな話があった気がする。(これもまた曖昧)
ってことはコンビニで愛もどきは買えるってことになる。
スピッツはそういうことを言っているんじゃあない。
私の考える愛
愛についていろいろ考えていく中で、じゃあ私の中で愛を感じた瞬間はなんだろうと思った。
つい最近のことだけでもこんなにある。
こう書き出してみると、確かに「愛とは与えること」だなと思う。
私は何か与えられたときに愛を感じているらしい。
1人お茶を飲んだり、好きなゲーム実況を見ている時も同じような気持ちになるけれど、これは愛じゃなくてただ幸せなんだと思う。
幸せと愛は似ているし、時には一緒なのだろうけれど。
私と同じようなことを経験しても愛を感じない人はいるし、逆にもっと愛を感じる人もいるだろう。
私はこんな風に、日常から愛を汲み取れる人間でよかったと思っている。とりあえず人生幸せだ。
ああ、余計分からなくなってきた。
つまり愛とは与えることで、それは人によって鮭の皮だったり、オムライスだったり、ピクミングミだったりするってわけだ。
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