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音楽(クラシックとYMO)や鉄道・バスに関するあれこれを中心に。主に自分の考えをまとめ…

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音楽(クラシックとYMO)や鉄道・バスに関するあれこれを中心に。主に自分の考えをまとめたり、情報を記録するために使います。演奏会ノートも書いていこうかと思います。

マガジン

  • Youtubeで聴く"南"のオーケストラ

    最近話題の”グローバル・サウス”といわれる国々のオーケストラを、目についたものから国、地域別に紹介していきます。

最近の記事

Youtubeで聴く"南"のオーケストラ 3.タイ(その2)

 タイの続きです。ポップス・オーケストラ、大学オーケストラ、軍のオーケストラなどを取り上げます。前半はこちら。 ②ポップス・オーケストラタイ交響楽団 Thai Symphony Orchestra エグゼクティブ・プロデューサー รศ.ดร.สุกรี เจริญสุข 公式チャンネル 公式フェイスブック (泰)  時に民族楽器を交えて、歌謡曲や民謡らしい曲をとりまぜ多彩な演奏会を開いているようです。西洋クラシックの小品も加わることがあります。地方での文化イベントらしい

    • Youtubeで聴く"南"のオーケストラ 3.タイ(その1)

       バンコクにはオーケストラがいくつもあり、活発に活動しているようです。コンサートホールでの演奏会だけでなく、チャリティの野外コンサートでポップスを演奏しているところもあります。  ユニークなのは海軍のオーケストラで、フル・オーケストラで西洋クラシックからポップスまで多彩に演奏します。”ラプソディ・イン・ブルー”のマリンバ版は聴きものです。  なお、バンコクとチェンマイ以外のオーケストラは、最近の発信があまり見つかりません。自動翻訳でタイ文字の検索も試みましたが限界があるので、

      • Youtubeで聴く"南"のオーケストラ 2.フィリピン

         フィリピンは、カトリックの影響で早くから音楽教育が定着していたようです。1879年に、上海の租界で欧米からの植民者に娯楽を提供するために創設された、上海交響楽団の前身である上海公共楽隊も、フィリピンから音楽家を招いて発足しました。また、20世紀になるとアメリカに留学して作曲家になる方もあったようです。  現在もオーケストラへの需要はさかんなようで、マニラのオーケストラが各地を巡演しているほか、地方にもいくつかオーケストラがあります。また、カトリックと音楽の関係は現在も強く、

        • 「アメリカの大学に続け」でよいのか

           イスラエルのガザ侵攻に反対するとして行われたアメリカの大学でのキャンパス占拠が、イスラエル支持派の攻撃をうけたり、警察の強制排除にあうなどするなかで、日本でもアメリカに続いて大学を占拠したり、学生が街頭行動を起こしたりすべきだ、という意見を目にするようになってきた。  私はもちろん、イスラエルのガザ侵攻に断固反対だし、自分にできることでその意思表示はしている。  しかし、こうした「アメリカの大学に続け」的な意見には、違和感を覚える。それは単に、流行を追っているだけではないの

        Youtubeで聴く"南"のオーケストラ 3.タイ(その2)

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        • Youtubeで聴く"南"のオーケストラ
          5本

        記事

          Youtubeで聴く"南"のオーケストラ 1.ベトナム

           ベトナムというと、1993年にフジテレビが放送した番組を思い出します。指揮者の福村芳一さんが、ベトナム国立交響楽団でチャイコフスキーの交響曲第5番を演奏するまでの悪戦苦闘を描いたドキュメンタリーです。番組タイトルの「ウォッチ・ミー」は、なかなか自分のほうを見てくれない楽団員に福村さんが叫ぶ言葉からとられたものでした。  その後ベトナム国立交響楽団は、福村さん、ついで本名徹次さんという日本人指揮者の尽力によって発展しました。番組で描かれた困難は今や過去のものとなり、ベトナムで

          Youtubeで聴く"南"のオーケストラ 1.ベトナム

          Youtubeで聴く"南"のオーケストラ(再構成) 0. はじめに

          はじめに  最近注目される「グローバル・サウス」の国々。西洋クラシック音楽の楽器編成を使いながら、多様な音楽を演奏するオーケストラが、それらの国々でも活躍しています。  伝統的な西洋クラシック音楽、たとえばベートーヴェンやチャイコフスキーはもちろん、それぞれの国の作曲家の作品を演奏する芸術音楽中心のオーケストラもありますが、ポップスがメインだけどクラシックも演奏するオーケストラ、さらに民族楽器を交えて地元の民謡などを中心に演奏するオーケストラもあり、それぞれに魅力があります

          Youtubeで聴く"南"のオーケストラ(再構成) 0. はじめに

          「南のオーケストラ」は、もう一度構成を考え直すことにしました。イイネをいただいた皆さんには申し訳ありません。

          「南のオーケストラ」は、もう一度構成を考え直すことにしました。イイネをいただいた皆さんには申し訳ありません。

          自分で調べました。スターリンの粛正が猖獗を極めていた1938年、ムラヴィンスキーはレニングラードでバッハの組曲とヴァイオリン協奏曲を演奏しています。また、まだジダーノフ批判の影響が強い1950年に東独で開かれたバッハ200年祭に、ショスタコーヴィチは政府の指示で派遣されています。

          自分で調べました。スターリンの粛正が猖獗を極めていた1938年、ムラヴィンスキーはレニングラードでバッハの組曲とヴァイオリン協奏曲を演奏しています。また、まだジダーノフ批判の影響が強い1950年に東独で開かれたバッハ200年祭に、ショスタコーヴィチは政府の指示で派遣されています。

          「『雪解け』の象徴となったのが、(中略)ソ連において、『宗教音楽』として長らく演奏を禁止されていたバッハをアイザック・スターンがレニングラードで演奏したこと」という文章を見かけて、「えぇぇ・・・」となっています。バッハ全般がソ連で禁止されてたことがあるのでしょうか?

          「『雪解け』の象徴となったのが、(中略)ソ連において、『宗教音楽』として長らく演奏を禁止されていたバッハをアイザック・スターンがレニングラードで演奏したこと」という文章を見かけて、「えぇぇ・・・」となっています。バッハ全般がソ連で禁止されてたことがあるのでしょうか?

          ショスタコーヴィチの交響曲第12番〜二月革命によせて

          はじめに  ショスタコーヴィチの交響曲第12番は、十月革命を主題としているうえ、共産党大会で演奏するために作曲されたこともあり、保身のために体制におもねった曲として語られることが多い。  しかし、まともな楽曲紹介には書いてある通り、ショスタコーヴィチはレーニンに思い入れがあり、第二次大戦前からレーニンの交響曲を構想していた。彼が常々、自分はフィンランド駅に封鎖列車で到着したレーニンを多くの人々と共に迎えに行き、そこでの演説を聞いたと語っていたのが真実かどうかは定かでない

          ショスタコーヴィチの交響曲第12番〜二月革命によせて

          ショスタコーヴィチの交響曲第7番~レニングラード解放80周年によせて

           一昨日、2024年1月27日は、レニングラードがドイツ軍の包囲から解放されてから80周年の記念日だった。  ショスタコーヴィチの交響曲第7番は、レニングラード包囲戦のなか作曲されたことで知られている。このため一昨日は、解放80周年を記念してサンクトペテルブルクなどでこの曲の演奏会が開かれた。  この曲は大好きなので、いろいろ書きたいことはあるのだが、とりあえずYoutubeにある音源をいくつか紹介したい。特に最初の3つは貴重。 ショスタコーヴィチ自作自演  戦時中の映

          ショスタコーヴィチの交響曲第7番~レニングラード解放80周年によせて

          「ウクライナ批判派」の立場(未定稿)

           10月半ばの「毎日」電子版に、「左翼」のウクライナ批判派と親露派を批判する作家の見解が紹介され、「嫌韓」と似たような意識ではないかという見出しが示された。  しかし、少なくとも広い意味で「左翼」的立場からウクライナの状況に対して批判的にみるグループや、ロシアの立場に理解を示すグループは、いわゆるネトウヨのような民族憎悪の立場に立っているわけではない。  ではなぜ「ウクライナ批判派」が形成されるのか。これについて私見をまとめてみたい。  なお、本稿は未定稿であり、今後も修正さ

          「ウクライナ批判派」の立場(未定稿)

          大阪における文化芸術政策と市民の文化意識についての仮説メモ

          はじめに  庁舎地下駐車場に大阪府が所有している芸術作品が放置されていることが明らかとなり、問題となっている中、大阪府特別顧問の上山氏が会合で、作品の画像などをデジタル保存することで、実物は破棄してもよいという趣旨の発言をしたことが報じられた。  上山氏は慶應の教授だが、橋下氏らと親しいことで知られるので、「良識ある」人々のあいだでは、「また維新が」という受け止めが強いと思われる。しかし、この問題は根深く、維新支持が大阪で広がった一つの背景ともかかわっていると感じている。

          大阪における文化芸術政策と市民の文化意識についての仮説メモ