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すくいくん

高校の頃、草彅剛に似ているというだけで
「つよしくん」というあだ名で呼ばれていた英語の先生がいた。
本気の読み聞かせが楽しかったな。

ちなみにこのあだ名で顔が思い浮かぶ人は、同じ学校出身でも、私と同じクラスだった子限定だと思う。

つよしくんのお子さんのお名前は「すくい」らしい。由来は「人を救えるように」だった気がする。キリスト教の学校で、つよしくん自身もプロテスタントだったので、おそらくそのような名前になったのだろう。

「信仰心ってなんかすごいな…」と感じた気持ちと共に、未だに記憶に残っている。

今日は、上司たちに文章をダメ出しされた。
「保守サポート 終了 案内文」で調べた上で、書いたとはいえ、シャットダウンした雰囲気ではあったことは分かっていた。

「この文章だと客先への印象が悪くなると思います。」と一言 +α 上司がChat GPTに書かせた文章を返信のメールに貼られた。

うん😄
じゃあ最初から全部、Chat GPTで上司が書けばいいじゃん✨

そもそも私が生まれた頃くらい始まって、私が入社するころに販売終了したシステムだから、ぶっちゃけ関係ない。
仕事だからやるけど、本音は「あなたたちがやってきたサポートだよね…。」である。

心がブチっと切れたが、怒るのもエネルギーの無駄。ちゃんと読むとムカつくので、メールをすぐ閉じた。

今これを書いてるなか、岩本町から真新しいスーツに身を包んだ新入社員らしき集団が入ってきたよ。テンションの上がり具合を見るに、歓迎会終わりか、新入社員同士で飲んだのかな?
私はコロナ禍で入社して、同期もいないなか
3年間よく耐えてきたね。

上司はショックを与えてやろうとかじゃなくて
事実をただ並べただけなんだろうと思うのだが、もうちょっと伝え方、どうにかならんかね。
同調する人もどうなんだろう。
よくこれで70代までやってこれたね。

それとも、私が気にしすぎなだけかな?

思い出したら、立ち上がる気がなくなって、
とりあえず、電車のホームにしゃがみながら、
今スマホを打っている。

まあ、そんな感じで暗くなっていたところに、
声をかけてくださった技術の方がいた。

「作成いただいた文章はシャットダウン感を醸し出していますが、確かに保守終了っていう内容の文章難しいですよね。自分もこういうの書けって言われたら相当悩むと思います…。」

「一般の家電だったら言い切る文体でもOKだと思いますが、お客さまと一対一で販売するシステムで、これがないと業務が出来ないというものではあるので、今後の相談にも対応しますという姿勢をみせたうまい文章を作りたいところではありますよね…。」

「上司たちの伝え方はちょっとアレですけど、Chat GPTは検索の仕方によっては、日本語でも英語でも、かなりいい文章出てきますよ。Explorer→Bing→検索窓のすぐ下チャットアイコン→Microsoftアカウントへのログインで使えますよ。」

放映されているGoogleのCMのように、
私がMicro softソフトアカウントのパスワードが分からず焦っていると…。
「ブラウザに保存させると、かえって思い出せませんよね。」とイライラもせず、受け流してくださった。

救われたのである。気持ちが。

「救われた」なんていうのは大袈裟かなと思うけど、やっぱり思い浮かぶ言葉としては「救われた」なのだ。

声をかけられなかったら、私は多分、メールで上司に喧嘩と嫌味をふっかけたと思う。
(そういうやり方もありなのかな?)

その方は、いつもフォローしてくださるのである。

私の知識レベルに合うコネクタの資料を見つけてくださったり。
技術的な質問した後、メーカーサイトのリンクも添付してメールで回答を補足してくださったり。

必要な時に、さりげなく、舟を出してくださるのである。

何より「やってあげたよ感」は一切出さないのである。むしろ、お礼をお伝えしたら「あぁー、あれですね。」みたいな感じで、忘れているみたいなのだ。

どういうご家族と過ごしたら、
どんな育てられ方をしたら、
こんな風になれるのだろう。

一人っ子・一人娘な上に、お嬢様気質、人からどう見られるか自意識過剰な自覚があるので、絶妙な距離感で、このレベルのフォローができる人への道のりは遠そうである。

だが、ここまではいかなくとも、相手の気を軽くさせられる雰囲気や、言葉、ちょっとした行動を、躊躇なく&さりげなく、できる人になれれば嬉しい。

「ポーカーフェイス保った感じで、お礼をお伝えしましたが、内心めちゃめちゃ救われていました。」

今後、お会いする機会がなくなった場合、最後にお伝えしたい言葉まで既に決まっている。

人間が文章を書くことがなくなって、
Chat GPTみたいなAIに書かせたとしても、
きっと同じような文章が出てくるんだよねぇ?
うまく利用しつつも「この文章、多分AIに書かせたよね。」と感じられる人間の感性が死んでしまわない未来を願ってる。

人間から発された言葉で、ブルーになったり、救われたり…。真逆の気持ちになるのは事実。

ふと思いついたのだが、デリカシーなさすぎな場合や傷つけることを発する人は人間じゃなくて、AIだと思えば気が楽だ。
同等の人間だという前提があるから「なんで相手の気持ちを想像できないんだろう?」と感情も乱れる。

しかし、救われる言葉のほうに耳をダンボにしすぎると、やばい何かにハマったり、騙されるのだろう。さじ加減がね、難しいね。

でも、今だけはいいよね。
この気持ちを反芻しても。








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