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4月21日の日記📒

4月21日
今日は、待ちに待った友人二人と会う日。
なんと前回会えたのは2020年3月。一人の友人の結婚式が最後だった。
結婚式の時はどこにも存在していなかった可愛い命が、はっきりと自分の意見を言葉で主張するようになっている。本当に地上っていうのは思いがけない場所だよね、谷川俊太郎さん。と思いながら幼児の話を聞いていた。幼児の言葉というのは幼児に慣れている人でないと聞き取れないこともあるらしい。私の子ども達はもうしっかり話せる年齢になっているけど、私の幼児の言葉を聞く耳は衰えていなかったようだ。安心した。ぜんぶはっきり聞こえたよ。上手だね。

眠る以外ずっと話していて発狂しそうになるだとか、全然眠らなくて発狂しそうになるだとか、大人げなく苛立ってしまうだとか、本当にわかる。他者から見たら子ども相手に、と思うことも毎日やっていると本当にいっぱいいっぱいなのだ。これは同居の家族だとしても、一番子どもと接している人でなくては理解できないことだと思う。
本当にあっという間に大きくなってしまうということはわかっているけど、今たくさんのできることが増えた状態でここにいるということはわかっているけど、苛立ちを抑えることは不可能だ。だって、今、辛いのだから。過ぎるということは、過ぎた後にしか感じられないのだ。

実際に過ぎてしまった今、ほとんどのことを慌ただしい毎日で上書きしてしまった今、私は「過去の私もそうだったよ」という言葉でしか共感できなかった。そこにはうっすらとした記憶しかなくて、熱が込もっていない共感で、上滑りしていただろうなと思う。

たくさんの後悔もあるけど、今の精一杯が発揮できる100%だ。もっと頑張れたのでは?というのは仮定でしかないし、もっと頑張る必要なんてなかったのかもしれない。だから、そうやって進んでいこうね。大丈夫だよ。向き合って育てているんだなあってわかるよ。毎日毎日おつかれさま。って思っていた。親しい友人相手にそんなに強く励ますのも気恥ずかしくて、あんまり熱く言えなかったけど、本当に大丈夫だよって思っている「大丈夫」だからね。伝わるといいな。伝わらなくても、少しでも気が楽になってくれたらいいなって思いながら話をしていた。

西武池袋線に揺られながら、やっぱりこの沿線が好きだなと思った。
どこにでも住めるのなら、やっぱりここらへんに住みたい。実家には興味がないけど、地元のことは好きだ。
この気持ちをどう消化すればいいのかわからなくて、そのまま切り離して胸の奥に落とした。

電車を乗り換えて銀座に向かった。
池袋にはマルジェラはあるけど、マルニがない。新宿という手もあるけど、いつも行く銀座三越に行きたかった。

結果、20分でMARNI、マルジェラ、フェラガモのバッグを見せてもらって写真を撮ることができた。

驚いたことに一番良かったのはフェラガモのhugだった。それも三越限定のグリーン。店員さんが「ナチュラルな雰囲気なのでグリーンがお似合いになりそうです」と言ってくれた時は「???」と思った。どう考えても奇抜に見える。持ってみるとさすがグリーン。キャメルの靴にもよく似合うし、黒のカーディガンとも合う。黒のバッグよりもしっくりきた。

色はとても良かったけれど、スモールだと少し大きく、マイクロだと長財布を入れるとHugできなかった。

実店舗での試着はこういう楽しさがあるんだなあと思いながらお礼を言ってお店を後にした。

帰りの電車で試着時の写真を見返しながらハイブランドバッグを買うことについて考えていた。

正直、今日見た中でこれだ!というものはなかった。だからかもしれないけど、私は演歌バッグに逃げていないか。と考えていた。

私は田舎で同居をしている。家を建て替えようという話が出ている。とうとうここに永住することになるのでは、という雰囲気になってきた。(私以外は元々そのつもりだろうけど、私の覚悟が決まっていない)

ここの暮らしで一番良いのは経済面だろう。だけど、家で思いきり寛ぐことができない、親しい友人ともなかなか会えない。どこかに行く用事ができる度に運転したくなくて動悸がする。

その暮らしの代償としてハイブランドのバッグを手に入れようとしていないだろうか?

こういうものが買えるから我慢できるとか、私はここで頑張っているからこれを手に入れることができたんだ、とか、そういう無理なポジティブシンキングのために買おうとしていないだろうか。

そんな戦利品みたいなバッグを持って、私はどう思うんだろう。頑張る世界が続いていくだけなんじゃないだろうか。

ひとまず試してみたいバッグの試着は終えた。
持っていたバッグが一番似合っているというのが今日の結論だ。


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