続・言語化の話

昨日、Twitterをみていたらグラフィックを1日1枚つくった、という投稿が流れてきた。シンプルでおしゃれな感じのグラフィックが30枚。すごいなと思って、ちょうど5月1日だから自分もやってみようと思った。
テーマはいくつか思いついたけどイラレを開いて固まってしまった。イラレを使いこなせていないなと思って、いくつかYouTubeを見て見たけれど、理想のイメージに近づくかんじが全くしなかった。ああ、やっぱりできないやと思って一旦諦めた。
今日、ドラッグストアの化粧品コーナーを何の気なしにぶらぶらしていた。化粧品の販売什器ってどれもかわいい。KATEも好きだし、Viseeも好き。韓国の化粧品パッケージが一番華美でかわいいけれど、韓国の什器はシンプルポップなものが多い。什器は日本のものの方が好きだなあとか思いながら見てたら気付いた。日本の什器は人の写真があるものが多い。人が写っているものに無意識に視線がいっていた。かわいいなと思ったものを見ると、写真・文字・少しの図形・装飾という感じのレイアウトが多かった。あ、そんなに図形だけのグラフィック、好きじゃないのかもと思った。
じゃあなんで昨日の投稿を見てすごいないいなって思ったんだろう、と。
もう一度1枚ずつ拡大してみたけど、これといって気に入ったものは別にない。(すべて個人の好みであって決して悪いといっているわけではありません)
30枚並べられていたから綺麗に見えただけなんじゃないか。物量に圧倒されただけなんじゃないか。
そう思ったらちょっと楽になった。今まで撮った写真を使って広告っぽいものを作ってみようと思った。

言語化は確かに元の感情や考えを狭めてしまうこともあるけれど、言語化できずにぼんやりした憧れを持ってしんどくなってしまうこともある。理想がはっきりしてないのにそのふわふわっとした輪郭だけを掴もうとして、どこに惹かれたんだっけ、何が好きなんだったっけ、でも確かにいいなって思ったよな、、ってぐるぐるして、できないことにイライラしちゃうこともある。今回気付けなかったら、またデザインできないや、何がダメなんだろう、基礎的描画力?みたいな風に大迷走していたかもしれない。というか今年に入ってからそんな大迷走を繰り返してばっかりな気がする。感情だけに振り回されないように、わかりやすい言葉に飛びつかないように、なれたらいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?