見出し画像

顔にホクロを描いて出勤する理由


 学生の頃、ありの〜ままの〜とエルサが歌っていたのを見てたくせに。ありのままで生きることを決意したエルサの勇気を真似したいとも思っていたはずなのに。自分のありのままの姿を、会社で見せることは絶対にしてはいけないと、誰かに言われたわけでもないのに身に染み付いている。

 わたしは出勤時には毎日必ず(忘れたこともたまにあるけれど)、顔にホクロを描いて出勤している。これは前職から始めてきた習慣だ。前職の最終出勤日「このホクロはフェイクだったんです」と暴露した際には、戸惑う後輩とノリノリで笑ってくれた先輩に背を向け「本来のわたしはこんなもんじゃないぜ、ざまあ」と、心の中で笑った。
オープニングテーマの「Dani California」が頭の中で流れた。


就業期間中は、エピソード0でしかなかった。

最終出社日でわたしのエピソード1がようやく始まったのだ(笑)かっこいいぜー!!


 ひとつ前のブログで、30歳になったら口の中に「偽」と、尻の穴に「真」のタトゥーを入れたいと乱文で書き綴ったが、それと今回のホクロには大きな関係がある。

 わたしは社会人になって気づいたことがある。口から出る言葉は所詮「まやかし」でしかないということだ。営業職、人事職を経験してきたが、口から出る言葉はほとんど真実ではない。会社では口をおべっかや商売道具として活用していた。それに気がついて以降、こんな汚い口から出てくる甘い言葉に騙されて(そして時には騙され)お金が動くこの世界がバカタレにしか見えなくなった。気持ち悪い世の中じゃん、と社会人になって間もない頃はよく感じていたものだ。

 しかし時間が経つにつれ、わたしも歳をとったせいか、そんな世界も悪くない、一周回ってちょっとオモシロイとも思うことができるようになった。本来の自分から出てくる言葉じゃないのに言葉を言葉通りに受け取られるなんて(受け取ればいいだけなんて)、なんて簡単で愛おしい世界なんだと思うようになった。
 愛おしいという表現には皮肉もある。ジョークも込めて「この口から出てくる言葉は本来のわたしから出てくる言葉じゃないぜ」という意味で「偽」を口の中に彫る。その汚い口から出る言葉で社会を騙し「バカめ!ザマアミロ!」と、どんどん嘘をついていきたい。そういう思いがあった。それが口に「偽」を彫りたい理由だった。

 一方、尻の穴に「真」を彫りたいという理由は、結局のところ、汚いものが体に出てくる瞬間こそ人として何ひとつ嘘がない状態だと思ったからだ。口から出る言葉がまやかしであるならば、うんちは真実なのだ。
 東洋医学では、医者が便見ることが多いそうだ。便は嘘をつかない。身体の(その人自体の)「お便り」なのだ。

 ここまでタトゥーの話を読んだ方は、これから書き綴る本題のホクロの話題をいちいち読まなくとも、わたしが出勤時にホクロを描いている理由に予想がついたのではなかろうか。要は「会社に行くわたしは本来のわたしじゃないぜ」「わたしこんなもんじゃないぜ、アホめ!」という思いが形になったのが、眉ペンとアイライナーで口元に描いた「ホクロ」なのだ。これがホクロを描く理由なのだ。

 本当のわたしは、口元にホクロはないし、キビキビと動かない。上司にはタメ口で話すし、朝は弱いから寝坊をする。ジャケットは肩が凝るから嫌いなので、スウェットで出勤するし、机の上に足を乗せて膝の上でパソコンを叩く。それがホクロのない本来のわたし姿なのである。
 しかしそんな本来の姿を社会に晒すことは絶対にできない。なんてったってわたしは大人なので、お金を稼がないといけないのである。お金を稼ぐためには、社会にある程度馴染まなければならない。しょうがないのだ。平日の早朝、JR新宿駅でサラリーマンの人混みを耐えなければならない。会社の人には敬語を、挨拶を。できるだけ気の利いた動きを気に掛け、電話対応では知らない相手でも「お世話になっております」と対応する。わたしのホクロは、そんなバカタレ社会に対する「反発精神」と適応しなければならないという思いのこもった「けじめ」の証拠なのである。口元にホクロがあるわたしは、社会で生きるわたしなのだ。

 なんて面倒臭い性格なのだろう、自分は。本当に苦労する。本日も自分語りで終わってしまうのか、この回も。ごめんなさい、読者さん。

 ホクロのない本来のわたしとして、プライベートの時間を過ごせるのも、ホクロを描いて頑張ってお金を稼いだわたしのおかげだ。最近はそう思うようにして、仕事はきちんとこなし自分を褒めてあげている。

 本心を言うと、わたしだって「ありの〜ままの〜」と歌い踊るエルサの精神で会社に出勤したいよ。でもね、わたしの場合の「ありの〜ままの〜」は、会社ではきっと異端者なってしまうことをちゃんと理解してるんです。この葛藤が辛い!辛いけど、いつかわたしも会社でエルサになって、ホクロも描かずにリラックスした状態で「常識人」になりたいと思っている。30歳ではそれが難しそうなので、あと20年くらい経ったらそうなれるといいなと思っているよ。

 最近会社で「若者の離職」がテーマとなったセミナーを視聴した。最近の若者は、仕事とプライベートをきっちり分ける傾向があり、会社の飲み会や込み入った話題に触れてくることに対して嫌がる傾向にあるから上司は気をつけろ、と。そういった言動が若者の離職に繋がりかねないぞ、と。これは難しい問題である。では、会社では仕事の話以外はしてはいけないのか。会社として若者を守ることはいいことかもしれないけれど、多くの時間を過ごす会社の人に対して若者が興味を持たなさすぎるのも、どうなんだろうか。それも問題なんじゃないかな。

 会社とプライベートの分け方って色々ありますよね。いき過ぎた線引きは、会社では肩の力が向けないし、コミュニケーションも取りづらい。だからと言って、丸裸の状態で会社に行くことも難しい。プライベートでよくしてくださるわたしの周りの皆さんは、どんなふうに会社で仕事をしているんでしょうか。気になるところです。

 そんなこんな考えているうちに時計は24時を回り、あっという間に日曜日。日曜日が終わったら、また月曜日からホクロを描くことになるのです。
ホクロを胸に抱いてまた、つよく社会人として生きていくのです。



今日は終わりー!

 

 
 

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?