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何者になりたいのかしらわたし

突然だが、世の中に「仕事が好きな人ピラミッド」なるものがあったとしたら、多分上から数えたほうが早い位置には属していると思う。そんなもの無いけど。
決して「上位数パーセントに入る」ほどの強いものではない。そんな人は世の中に掃いて捨てるほどいる。でも自分なりに、今の仕事が好きだと思っている。

言語聴覚士という仕事を知ってから実際にそれを生業にするまで、10年かかった。伝統工芸品の職人のように積み重ねたというわけではない。中学生の頃に存在を知って「わたしはこれになるのだ」と憧れ、大学に4年間通い、国家試験に合格するまでのあいだに月日が10年分流れたというだけにすぎない。けれど26歳のわたしにとって10年は結構大きいものだった。

こんなふうにつらつらと文を書くと、まるで仕事を嫌いになってしまったみたい。決してそんなことはない。
コスパの良い体をしているのか、ひさびさに2連休を取ったらもう何日も仕事をしていないような気がしてソワソワしている。一昨日あの話をしたあの方はお元気かしら。あの方はお食事が召し上がれているかしら。そんなふうに考えるくらいにはわたしはこの仕事が好きで、患者さんのことが好きだ。

けれど、ふとした時にいつも頭をよぎることがある。

「わたし、いつまでこの職場にいるんだろう」

「わたしがやりたいことって、本当に今ここにいること?」

「わたし、一体これからどうなりたいのかしら」



🪿


心理学の用語に「クォーターライフクライシス」というものがある。

人生の4分の1(クォーター)が過ぎる20代後半から30代にかけて訪れる、漠然とした不安や焦りを抱える時期のこと

下記noteより引用

現在26歳、まさしくクォーターライフクライシスのど真ん中世代( そんな言葉ある? )である。

仕事が好きだ。紆余曲折あったものの、元のフロアに戻ってからは悩むことも格段に減った。体調も良くなったし、「連勤〜〜〜いやだ〜〜」と嘆きつつもなんだかんだ毎日私服から着替えた瞬間に背すじが伸びる。そんな自分は、きらいじゃない。

けれど、ふとした時に立ち止まってしまう。
わたしは10年後、どこで何をしているのかまったく想像ができない。
今とは違う職場で働いたり、違う街に移り住んだりするイメージが持てないのはまだ分かる。経験したことがないからだ。けれど日々はひと続きになっているはずなのに、現状維持で、このままこの職場で働いていることも想像ができない。

本当はやりたいこと、興味のあることって、なんだろう?


話は変わるけれど、最近、「ケーキの切れない非行少年たち」を読んだ。

万引きや傷害、放火や性犯罪などといった非行に走ってしまう子どもたちの中には、軽度知的障害と健常域の間、いわゆる「グレーゾーン」にあたる子たちが多く存在するのだという。米国精神医学会で定められている判断基準の数値では障害とされずとも、もともとの特性として持ちうる認知の歪みや思考の乏しさが悲しい事件を生んでいるのだと。

著書の中に出てくる臨床心理の分野の話は、仕事柄よく分かった。実際、著書に登場するReyの複雑図形やBADS、WAIS( 小児版はWISC。こちらは学生時代に触ったきりであまり記憶にない )などの検査は幾度となく臨床場面で扱ってきた。わたしが関わる方々の多くは脳の病気ゆえにそれらの生きづらさを抱えてしまった方々だけど、生まれつきの特性として困難さを感じている人が存在する。それを掬い上げる最後の場所が少年院なのだとしたら、教育は、福祉は、医療は、どこを向いたらいいんだろう。


そうして思いを馳せながら、ふと気付く。
元々、心理学の分野が好きだったこと。大学で勉強した幾つもの専門科目の中でも心理学、特に認知心理学や臨床心理学が好きだったこと。
今でも関わる方々のうち、言語と頭の中の後遺症に関わる分野( ざっくりと括れば、記憶や思考など )に興味があること。
そして、「自分の持ちうる知識で」「誰かが社会で生きやすくなるために隣を一緒に走る」人でありたいのだということ。


と、ここで「だから、こうしてああしてこうすると決めた!」みたいな続きが書ければいいのだけれど、そうはいかない。
書き綴ったことそのままを仕事にすることは難しい。物事には良い面悪い面それぞれがある。賃金や立地、時間や労力。働くために生きている訳ではないのだから、「やりたいことならオッケーです!」と請け負える訳でもない。それに、やりたいこと/お金になること/適性のあることが綺麗なベン図で重なることばかりとも限らない。そもそもまだ知識も経験も足りていない。


けれど、関わった方々の中にも「きっと、支援の手がもっと早く必要だったのだろうな」と思い返せば心当たりがある。
ご病気になる前から、「話しているその人が何を言いたいのか分からなくて、それを考えてるうちに聞き逃すから怒られてばかりだった」と話してくださった方。自分で書いたメモが整理できず、メモをメモとして使うことができず、ベッドが埋まるほどの紙の山の中で毎日のように狼狽なさっていた方。「肉親より頼りになるのだ」と心を寄せている相手が、ハタから見れば明らかに社会の仄暗い場所にいる存在で、気付かず喜んで搾取されていた方。
彼らにわたしは何が出来たのだろうか。何も出来なかった。今もきっとそうだし、これからもそう。
けれどそんな風に、彼らのことを思い出す。


だからこそ今は、種まきの時期なのかしらとも思う。とはいえ結論が出たとも言えないし、何ひとつ進んでもいない。少し経って読み返したら「あのときはこう思ってたのね〜今はこういう道を選んだよ〜」と思うのかもしれない。人の感情は流動的なのだから。

結局明日も変わらずわたしは同じ職場に通うのだ。それはそれで、ある種ひとつの幸福なこととして。


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