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#19 千年前のアングロサクソン様式の教会内部へ 中は意外と 30代からの英国語学留学記 2018年2月17日 その4

オヌールがキリスト教の教会で無事finish shittingできたため、晴れて週末オックスフォード観光へと本格的に繰り出すことができた。

早速修正した旅程を二人に示す。

だが二人とも完全に僕のプランを無視する。

何でイチイチ何処へ行くか事前に決めないといけないんだよ。
それにお前は日本人だろ?オックスフォードのことなんて何も知らないお前が作るプランなんて良くないだろ。
適当に歩いて面白そうな所に行こう

なんという暴言。
そもそもプランを作れと昨晩言ってきたのはお前ら二人ではないか。プラン無しで旅行なんぞ無駄足踏みまくりで非効率の極み。
そもそもこの1週間で適当にこのオックスフォードのシティーセンターはブラブラ十分に歩いたではないか。
そもそも今回の目的は、3人でなければ入るのに躊躇する有料の観光地や、学校からちょっと離れた名所を訪れるためではなかったか。そのために僕は必死で調べたのに。

だが何度も言うように2対1だと勝ち目がない。

結局二人がフラフラ何処かしこへ目的無くブラブラ歩くのを金魚の糞の如くついていく他なかった。昨晩の調査は全て無駄、そして2時間待たされている間に行った下見も完全に意味がなくなってしまった。
このクソ野郎共が!

まずは敬虔なカソリックであるカルロスが歴史ある教会に行きたい、と主張してきた。新大陸南米アルゼンチンよりもキリスト教が根付いたのが早い英国のキリスト教の教会がどんなものなのか、特にオックスフォードは中世の街並みが残っているため、母国には絶対に存在しない歴史あるキリスト教の教会を訪れることを楽しみにしているようであった。

イギリスはカソリックではなく、カソリック的には(歴史的にも)良い印象ではない、アングリカンチャーチ(聖公会)の教会だろうけど、それでも良いの?と一応口を挟むと

同じクリスチャニティーだ。アルゼンチンは歴史が浅い。だから歴史ある欧州の教会を訪れるのは南米人である私にとっては非常に重要なことなのだ。

真面目な顔をして答えるカルロス

では、先ほどまでオヌールがウンコをしており、授業でも使う教会ではダメなのか、と問うと

あの教会は新しすぎる。それにメソジストの教会だ。私が見たいのはイギリスがカソリックであった頃に建てられた古い教会を訪れたいのだ

とこれまた真面目な顔をして返答

キリスト教に限らず、ありとあらゆる信仰心がない自分にとっては彼の拘りはイマイチ理解はできなかったが、歴史的建造物には興味があるので彼のプランに乗る。
「オイオイ!俺はムスリムだぜ!なんでキリスト教の教会に俺が行かなきゃ行けないんだ!」
とオヌールは突っぱねてきたが、2対1の数の暴力で制圧。

哀れオヌール

カルロスは既にアテをつけているようで、彼の先導に従い、学校から徒歩数分にある古い教会St Mary Magdalen's Churchへ行く。

St Mary Magdalen's Churchの外観

Oxfordのシティーセンターはどこもかしこも歴史的建造物だらけであり、どれが教会なのかと意識すらしていなかったが、敬虔なカソリックである彼には一目瞭然のようであり、ずっと気になっていた所とのこと。

この教会はマグダラのマリア、イエスが十字架にかけられるのを見守った重要な女性、を祭った教会であり、創設はなんと11世紀。
1000年近く前に建てられた教会。イギリス政府から重要建造物のGrade I指定されている超一流の建造物でもある。元はカソリックの教会であったが、今はイギリス国教会こと聖公会の教会に鞍替えしている。

St Mary Magdalen's Church内部

カルロスは興奮を隠せない様子で中に入り、fenómeno!とスペイン語で感嘆の声を挙げていた。
キリスト教徒ではなく、かといって積極的な仏教徒でもない一般的な現代日本人の宗教観しか持ち合わせていない僕では理解できない感覚。
外観は確かにかなり歴史を感じるが、中は最近リストアされたのか、特に歴史の重みのようなものは感じられない。
そして土曜日なのに(土曜日だからか)訪問者が我々3人しかおらず、何とも寂しい気持ちにさせられる。外の大通りは観光客でごった返しているのに、1000年の歴史ある教会には誰も近寄らないとはこれいかに?

祭壇

だがカルロスのように素直な気持ちで、心の底からスピリチュアルに感動できる、というのは心底羨ましく思える。
南米のキリスト者の彼にとっては、欧州の歴史ある教会が何よりも羨ましいのであろう。

教会の前には自転車を止めるな!という張り紙が。
基本的に英国人は敬虔とは程遠い人種が多いので平気で歴史的な建造物の前を駐輪場にする


カルロスは大満足していたようであったが、オヌールは露骨に退屈にしていた。飲む打つ買うの三拍子そろった不良ムスリムとは言え、彼にとってキリスト教の教会は居心地の良い場所ではないのだろう。

中はそれほど広い場所ではなかったためか、10分ほどでカルロスも満足し、外に出る。
次の目的地もカルロスのごり押しでまた教会に。どうしても彼が気になっていた教会がもう一つあったらしい。

露骨に不満げな表情を浮かべるオヌールを尻目に別の教会へ行く。なんだか京都に観光旅行へ行き、神社仏閣巡りをしているような感覚に陥る。

St Michael at the North Gateと呼ばれる教会で大通りからすぐ側にある。古い建造物ばかりのオックスフォードでもこの教会は殊更古い教会のようで、紀元1000年頃建てられたモノらしい。オックスフォード最古の教会でもあり、イギリスでも代表的なアングロサクソン様式の建築らしい。

写真を取り忘れたのでグーグルストリートビューより
コーヒー屋が併設されているのが面白い。いいのか


外観は古めかしく、歴史を感じる無骨な造りではあるが、ここも内部は思いの外質素で、豪華絢爛な教会という感じはしない。

前の教会よりは調度品が多く、特にステンドグラスや石像が恭しく飾られているのは雰囲気があってよかったが、キリスト教徒でもない自分にはそこまで刺さるような所ではなかった。そしてやっぱりここも誰一人として観光客がおらず、信徒すらいない。

2メートル以上はある石像。如何にも西洋中世という感じでテンション上がる

カルロスは、先ほどとは打って変わり「アルゼンチンのカソリックの教会はもっとゴージャスなのにイギリスの教会は違う!disappointed!」と思わず本音が漏れる。

加えて歴史ある古い貴重な教会であるのに我々以外誰も人がいないことに憤りを感じているようであった。

確かに人が全くいないのは奇妙ではあるが、逆に落ち着いて中を見れるため、僕のような人間には却って都合が良い。

各々中を散策していると、カルロスが僕ら二人を呼びつけてきた。

講壇(pulpit)があるぞ!
普通はフェンスでバリアされているがここでは誰でも入れる。
こんな所は滅多にない!
どうか講壇に立っている私の写真を撮ってくれないか?
子供の頃の夢は神父になることだったんだ。講壇に立つのが憧れだったんだ。イギリスの歴史ある教会の講壇に立った写真を妻と子供に見せたい!

何とも無邪気なお願いである

しかし信心深いカルロスにとって、講壇に気軽に立つのは問題ないのか、しかもここはカソリックではなくアングリカンチャーチであるが良いのか、と嫌な質問をする

ノープロブレムだ。アングリカンチャーチだからこそ、講壇に立っても問題はないのだ。カソリックの教会ならそんなお願いはしないよ。

その辺の感覚は僕には一生分からないのだろうが、カルロスが良い、というのなら良いのであろう。情熱溢れるラテンアメリカ人らしい感覚。

これまで終始不愉快な顔をしていたオヌールであったが、カルロスの無邪気な発言に大喜び。文字通り神妙な面持ちで講壇に立つカルロスの写真を二人で撮る。1000年前の教会、しかも現役の教会でこんなことしてよいのだろうか、果たして。誰も咎める人はいないからよいのだろうが

神妙な顔つきのカルロス

記念写真撮影が終わると、オヌールも突如というか予想通りというか、「俺の写真を撮ってくれ」と要求してきた。
「お前はムスリムなのに良いのか」と神妙な顔を維持しながらオヌールに問うカルロス。「気にしないよ。こんな素晴らしい経験中々できないからね」と普通に回答するオヌール

ということで今度はオヌールの記念写真撮影になる。
何だか長々と講壇に居座り、したり顔で周囲を見回す。

謎の含み笑いでオックスフォードの講壇に立つムスリムのオヌール


彼の撮影が終わり降壇するや否や、「俺はオックスフォードのウラマーだ(注:イスラム教に於ける聖職者のような存在)ムスリムがオックスフォードのキリスト教を征服したぜ」と不穏な発言を大声でする。

予想通りカルロスは激怒し「キリスト教に経緯を払え!」と彼を怒鳴りつける。それを受けて「イッツジョーク、イッツジョーク、テイクイットイージー」とヘラヘラしながら返すオヌール。

いつもの流れである。こんな所でやらんでも、と思うのだが。

彼も一応はムスリムのトルコ人であるため、キリスト教については思う所が色々あるのだろう。

その後、流れで何故か僕も登壇することになり、二人に写真を撮られる。
宗教的な情熱が全くない、しかもキリスト教に関しては良くも悪くも完全フラットな立場である僕にとっては、ただ教会入口を見渡せるちょっと高い台としかどうしても思えなかった。だが敬虔なキリスト教徒のカルロスと、敬虔とは程遠いが歴史的にもキリスト教を意識せざるを得ないムスリムであるオヌールのような心ではなく魂を揺さぶる経験を自然と出来ないのは何だか残念で悔しく思えた。

その後、二人はさっさと退散する気満々であったが、事前にオックスフォードの主要観光地を調べた僕は二人を止める。
この教会には塔が併設されており、ここの塔から美しすぎる夢見る尖塔の町、City of Dreaming Spiresを一望できる名所であると知っていたため、塔に昇るよう二人を提案。
二人ともオックスフォードの尋常じゃない程の美しさは十二分に分かっていたため、「よく調べてくれた!この町を高い所から見れるなんてすばらしい!well done!」と珍しく賛辞を呈され、いざ塔に昇ろうとしたのだが、問題発生。

塔に昇るには入場料(10ポンド、1500円程度)を取られる、とのこと。
カルロスは教会への喜捨にもなるからか、全く不満ではないようだったが、ムスリムであり、そして何よりケチであるオヌールはこれに大反対。
「何でムスリムの俺がキリスト教の教会に金を払わなければいけないんだよ」と大声で不平不満をぶちまける。
それを受け、完全に乗り気になっているカルロスも興奮して何やら言い返している。
世捨て人然としたチケットもぎりの白人お婆さんを尻目に、トルコ人の青年とアルゼンチン人の中年が訛りある英語により大声で喧嘩をしている。1000年前の教会の塔にお金を払って昇ることの是非についてである。

僕は折角来たし、一人で昇るのは寂しいから3人で昇り感動を分かち合いたい、としか思っていなかったのだが、ちょっとしたキリスト教対イスラム教の宗教対立を誘発してしまったことに若干の罪悪感がある。

結局はカルロスが勝ち、オヌールも渋々ながら10ポンドを払い塔に昇ることを同意してくれた。

古めかしい急な螺旋階段をせっせと昇る。
50代近く肥満体系のカルロスにとってはかなり難儀である。だが20代前半のオヌールにとっては造作もない模様。30代とは言え、運動不足の僕にとっても、この螺旋階段はかなりキツイ。
そしてあれだけ文句を言っていたにも関わらず、一度中に入ってしまうと、誰よりも楽しそうにしていたのがオヌールである。

塔を昇る途中。この鐘も1000年近い歴史があるらしい
あれだけ文句を言っていたににすっかり満面の笑みのオヌール

中世欧州を舞台にしたゲームに出てくる古めかしい塔に、実際に自分が昇っているのだから、そりゃ楽しいに決まっている。
スマホでムービーを取りながら、友人に自慢するためなのかトルコ語で何やら大声で喋りながら、心の底からエンジョイしている様子で螺旋階段を昇るオヌール。

あんだけ文句を言っていたのに何とも勝手な奴ではあるが、精神的な感動よりも肉体的な負担にやられているオッサンの僕とカルロスからすれば、若さによる無限の体力がとにかく羨ましく思えた。

塔の上に昇りオックスフォードのシティーセンターを一望。
想像以上に美しいオックスフォード。なんだこの町は。存在自体がずるいぞ。テーマパークでも何でもない普通の町なのに、ここまで厳かな雰囲気を漂わせている所が地上にあるなんて信じられない。

3人でやたらめったら写真を撮る。特にSNS世代であるオヌールは尋常じゃないまでの写真を撮っていた。所謂映えスポットという奴なのだろうか。この場所を提案した俺と、説得したカルロスに対して少しは感謝しろよな!


トイカメラ機能でも思わず撮ってしまった

3人とも大満足で塔を降りる。さて次はどうするのか。どうせ僕のプランを見せても二人とも否定するに決まっている。まだまだ行きたい所は何か所かあるのだが。

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