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毒親から解放された方法

30年近く付き合ってきた心のわだかまりを解消した。
今までの私の全ての嫌な癖は、私の心に親が巣食っていたからだと知った。
方法なんて簡単だった。
ただ今までの嫌なこと、されてきたことなどをまとめてラインで送って、絶縁。それで終わり。

ものすごくスッキリした。
おそらく中途半端に実家へ帰ったりしていたことが足枷となったのだろう。

自分と向き合って、毒親専門のカウンセリングに行くしかないか…などと途方に暮れていた時に、ふと思った。
私はやるべきことを全てしたのか?と。
金を払ってカウンセリングに行くなら、やるべきことを全てやってからの方がいい。

我慢してきたことをぶつける。
そんな簡単なことすらやっていなかった。

言いたいのに言えなかったことは言う。
欲しいのに我慢しているものは買う。
ずっとやろうと思ってたのにやってなかったことはやる。
殺したいほど憎いのに我慢して正常な関係を続けてたら、殺したいほど憎んでいることを伝えよう。
伝えなきゃならないと思ってることは伝えよう。

今、まさに"清算"した状態だ。

何が治ったか箇条書きにして書いていく。
もう、今までどうやって生きていたの?というくらい大きな違いだ。

・朝起きた時の希死念慮と耐えられない絶望感
これがなくなった。
私にとって「死にたい」はあまりに慢性的すぎて、おかしいことにすら気づかなかった。だって、自分の胃が例え緑色だったとして、気づくだろうか?それと同じようなもんだ。内部の事情は、他人にはわからない。精神科は実はすごいことをやってのけている。口などいくらでも嘘をつけるのだから、正しい判断って本当に難しいはずだ。
とにかく、起きた時に人生に絶望することがなくなった。

・不眠が治った
実は、最近気づいたことがある。
つい最近解毒する前は、毎日のようにうなされ悪夢を見ていた。
親の夢だ。
親が関係して私が辛い思いをする夢や、恥ずかしい思いをする夢、同級生の前で恥ずかしい思いをする夢、嫌な思いをする夢。または過去のフラッシュバック。

ずっと自分のことを発達障害や愛着障害だと称して、たまには自己愛性パーソナリティだから辛いんだと、見当違いの判断をしてきた。
もっと早くに、きちんと精神科で自身と向き合うべきだった。
私は、おそらく、PTSDだった。
毎晩悪夢にうなされ、すごくちょっとしたことや、どうでもいいことで毒親からされたことを思い出して脳内で激昂し、理論的(と自分で思っている)文章を書き連ねてTwitterで憂さ晴らしをする。
常に脳内に、"いた"のだ。

書いているの戻ってきそうになって嫌だから割愛する。
とにかく私は、それと決別できた。

・自責思考、追い詰め思考からの脱却
心に余裕ができて安定したことにより、割と何もかもいーやー、って思えるようになった。
寛容になったのだ。
前は何か嫌なことがあるとどうしてどうしてどうして、私の何を治せばこの精神から脱却できる、治す方法治す方法治す方法たすけてたすけて助けて
こう言う連鎖思考だった。
これを生まれてこの方繰り返してきたのだ。
毎日毎日。毎秒。明くる日も。常に。
自問自答を繰り返していた。
そりゃ狂うだろ。
そりゃおかしくなる。
心身ともに安定して、もうそんな思考は浮かばなくなった。
てかそこまで考えるのめんどくね?と思うようになった。だって、もう、意味がないからだ。
精神不安の原因と解決法を自身でどうしてどうしてと問い詰めて解決しようとするうちにそれこそが精神不安の原因となっていたのだ。最悪なループに陥っていた。
今はもう精神不安ではない。
私に、不安神経症的な慢性的な不安と孤独はもうない。
ただ、凪。
落ち着いている。安定している。あるがまま。
凪なのに何を考えることがあるだろう?
もう治すものなどない。「どうして?」と思うことがないから、考えなくて済んでいる。
ADHDだからと自動思考が止まらないと悩んでいる諸君、きっと私のようなパターンもあるだろう。
キツイよな。
あまりにもキツかった。
今はただ「凪」を初めて実感して世界の正常さに恐れ慄くばかりだ。

・自己中心主義なテイカーからの脱却
親はテイカーだった。間違えない。究極のテイカーだ。
テイカーによる搾取を受け続けて、私の心のエネルギーは空っぽになってしまった。そうなると精神はどうなるか?エネルギーがないと生きていけない。
自然とテイカーになっていた。

クソ恐ろしいのは、その事実に今まで自分が気づけていなかったことだ。
男友達や女友達が多く払ってくれていたら、それでいいと思っていた。デートなどで会計の時に奢られるのは当たり前だと思っていた。私に有利な選択をしれっとすることに、罪悪感はあれどためらいがなかった。すれ違う時に必ず自分が譲られる側だった。
些細なことだ。だが、気付かぬうちに私もテイカーになっていたのだ。
エンターテイメントへの向き合い方もテイカーだった。「搾取できるものがないと見る気がしない」から、「やってみよう」になった。
しかしこの考え方は私のスキルに多く影響していたのも事実で、私は曲を聴く時に「食う」気持ちで聴いていた。いや、聴くと言うよりは喰っていたと言っても過言ではない。その曲から得られる微々たる精神的安寧を、それこそ何ヶ月も常に聴いて「喰って」いた。
うつ病患者が同じ曲ばかり聞く、と言う研究結果がある。
私もその傾向が多分にあり、気に入った曲は数千回聴いて「喰って」いた。特定の気に入ったコード進行や旋律の与える本当に微弱な快楽を、貪っていた。
それが仕事に生きて、今の立場がある。

テイカーであったことを恥と思わなくもない。
悪いことをしたかもしれない。
でも、気づけてよかった。今から少しずつ、変えていく。
だって、変える余裕が、気づく余裕があるから。

・世界の見え方が違う
明るくなった。
色彩が違う。
些細なことにも興味を示せる。
道端の花なんて見たことがなかった。
昨晩の月が綺麗だ、なんて思ったこともなかった。
ゴミ出しの時にゴミを受け取ってくれたゴミ処理のおじさんに感謝を表したことなんてなかった。
明日が楽しみなんて思ったこともなかった。
いい朝だ、なんて思ったことも。
何もかもが違う。まるで別世界だ。劇的、というよりかは今まで指紋や手垢で曇りに曇ったメガネを外した時のようだ。
クリアに見える。
精神不安という恐ろしいフィルターがかかっていない状態。
世界は美しい、と言うのは大袈裟だが、思っているほど全然悪くない。
空気が美味しい。
風が気持ちいい。
生って、こういうことだ。

・孤独感がなくなった
家に1人でいることがずっと苦痛だった。その気持ちはもうない。
苦痛を和らげるために心理系のyoutubeを見たり、馬鹿な他人を見て安心するためにコレコレを見たり、要するに常に何かを得ようとする行動しかしていなかった。
心にぽっかりと穴が空いていたから。
今は違う。何かやろうかな、と前向きに思える。
何かやることを楽しみに思える。
もう穴を埋めなくていいのだから。

・過緊張(体の強張り)からの解放
解毒する前、整体に行った。
信じられないほど身体がバキバキで、硬かった。
こんなに硬い人は珍しい、とも言われた。
むちゃくちゃ激痛ながらも体をほぐしてもらい、緊張のぬき方を教わった。
何度も、何度も緊張を抜こうとした。
不安でガチガチと固まっている肩にあえて力を入れて戻す。この作業を1日何回も繰り返した。
しかし、続かないのだ。
戻した状態が、体のリラックスした状態が不安すぎて、どんどん不安が積もって、耐えられない不安に体を硬くする。
それは体に悪いから、意識して戻す。
精神不安になる。硬くなる。
この繰り返し。体の正常状態が精神的にキツイのだ。
先月、いよいよ腰を壊して整体に通ったのだが、腰を壊したのも過緊張の状態で無理して毎日出勤していたのが祟ったのだろう。本来であれば腹筋を多く使うのに腹筋もなく過緊張のため変な筋肉の使い方をしていたのだと思う。
今は、リラックスした状態が、辛くない。
というか、寝る。すぐ寝る。よく眠れるから。今も寝る。
随分と楽になった。




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