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駐在員観察日記

駐在員だった頃の夫の発言集。
帯同している配偶者側も色々あったが、駐在員本人も何かこじらせていたのかもしれない。

「今の俺は帰国しても馴染めないかもしれない…」

「だって、日本だと皆同じ髪色と肌色なんだよ。怖くない?」

いかにも在米日本人っぽい発言だが、これを言ったのが職場にも近所にも日本人がたくさんいる日本人村に住んでいた頃なので違和感を覚えた。

平日どころか休日も日本人会で会ってるじゃん。

「日本人とだけ集まって何が楽しいんだか」

日本人村歴も長くなってきた頃の発言。
普段はそこまで親しくないのに、BBQや飲み会の時だけ誘ってくれる日本人グループがいた。そこには夫の会社関係の人が多く、誰も口にはしなかったが若輩者の夫が『肉焼き係』にならざるを得ないことが多かった。

夫が肉にかかりきりになっている間、他に任せられる相手がいないので子供の面倒は私が1人で見ていた。
夫婦共に満足に食事や会話を楽しんだ記憶も無いが、費用はきっちり人数分で割り勘で、ただただ疲れたという思い出しかない。

「海外にわざわざ来て(海外勤務希望してきたと言う人が多かった)
   日本人同士で固まって。何しに来たんだろうね」

当初は夫も日本人同士の集まりを楽しんでいるように見えたが、そのうち何かにつけて断るようになった。
立場上、誘われたその場では断れず、当日になって子供に「熱を出してもらった」ことが何回もあったのを覚えている。

「旅行先でまで知り合いに会いたくない」

同じく日本人村にて。
「次の長期休暇、誰がどこに旅行に行くか」も噂になるコミュニティだったので、夫が近所の日本人に人気の観光地を旅行先の候補から外すようになった。

特に人気だったイエローストーン国立公園やグランドキャニオン国立公園を諦めることになって悔しかった。

「俺は遊ぶためにアメリカ来たんじゃないんだよ」

日本人村で人間関係に失敗し、
「息が詰まりそうだから、休日だけでも村の外に連れて行ってほしい」と私が懇願した時の返事。

この言葉で衝動的に荷物と子供をつかんで外に飛び出し、気づいたら公共交通機関に乗って遠くの観光地にいた。

おそらく、この発言には毎週末遊びまくり出かけまくりの近所の他の日本人(主に先輩や上司)への対抗心もあったのかもしれない。
出かけたら出かけたで、遊びに行くような場所も限られていて知り合いの日本人に会うことも多かった。
(そしてそれも噂になる)(私はそれでも村から物理的に距離を置きたかった)

この発言以降、休日は家族揃って過ごしていたのが夫を置いても出かけるように。

日本人村を脱出してからは
夫「休日くらいお出かけしない?」
私「平日ずっと子供を遊びに連れて行っているから私は遠慮するよ。」
台詞と行動が逆になった。

「休日にまで会社関係の日本人に会いたくない」

日本人村脱出後の発言。頻繁な日本人会は無くなったが、休日知り合いの日本人がいるところに行くのをとにかく嫌がるようになった。

本帰国後の現在も、子供の学校の父兄に会社の人がいる時は最低限の行事しか参加したがらない。

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