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(元)駐妻のぼやき②

駐在妻だった頃のぼやきや小話色々

色々な日本人妻

駐妻さんの他、留学生妻、研究妻とも知り合う機会があったが、どの立場も何がどのくらい大変かは大体「それぞれの会社(所属先)に寄る」。
なので、駐在だの社費留学、自費留学というカテゴリはあまり頼りにならない。

※昔の記事なので加筆修正しています

昔の記事にも書いたが本当に所属先からの待遇は様々である。

例えば日本とアメリカ間の引越時だけでも
・引越会社の海外赴任パック
・EMS(国際スピード郵便、最速で安全)
・航空便
・船便
色々な選択肢が会社によって違い、さらにそれが
・全額会社負担
・一定の額まで会社負担
・全額自費
だったりするのだ。蛇足だが、ここまで他所の家庭の引越費用に詳しくなってしまった自分も相当日本人村に毒されていたと思う。

我が家は上記の選択肢で下の下だったので、例えば上の上の待遇で来た人たちに
「EMS ○箱までしか会社負担じゃなくて。うちの会社ってケチだよね」と言われてよく心の中で白目を向いていた。

「かわいそう星人」

子供を産んでみて、初めて、世の中には何かにつけて他人の子供を「かわいそう」「かわいそう」と言って、母親の自信をぶち壊しに来る人種がいることを知った。

それはこちらが「駐在員の家庭」になっても変わらず、そのターゲットへの執着心と発想力に、むしろ脱帽である。
「大人の都合で海外に住むことになってかわいそう」
「祖父母となかなか会えなくてかわいそう」
なんにでも湧くのだ。いちいち本気にして悲しむのにも飽きるくらいには言われた覚えがある。

ただ、話していて相当不愉快になるので、このような人種とも疎遠にすることにした。それだけの話である。

日本人村を経て

散々合わない人と無理して一緒にいたり、ハブられたりいきがってみたりした結果、
「『こういう行動するからこの人嫌い』じゃなくて、
「『こいつがやるから何やっても気にくわない』ことがある」と気がついた。
「嫌い」を自覚してからの方が、相手の行動を許容できたり流せたりできるようになった。
不要な期待をしない。相手がいつでも自分に良いように動くと思わない。

日本人村の経験は全くの無駄ではなかったのかもしれない、と抜け出せた後にふと思うことがあった。

ぼっちの心が騒めく時

それは親しくない人の家の前に見知った車が数台停まっている時。
(要は知人の家でホームパーティやプレイデートが行われている)

まだ「友達がいる・数が多い・誰とでも親しくなれる=良いこと」という価値観にとらわれていた頃、これがキツかった。

厳密には、本当にその人達の仲間に入りたいわけじゃないのに、寂しくてキツイ。自分がぼっちで、友達が少なくて、少なくともその人達とは仲良くなれなかったことを思い知らされる。
その集まりの全員が普段仲良くない人達だった時より、その中に仲良いと思ってた人がいた時のダメージはより大きい。
さらに、行き帰りの途中に出くわしてしまったこともある。相手に気まずそうな顔をされた時の心のざわざわはひどかった。

誰がどこで誰と集まって遊んでいるかもわかってしまう、そんな日本人村が本当に嫌いだった。



終わり


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