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駐妻生活中に失った何か

以前「どうでもいい赤の他人」に対する感情を駐在帯同中に置いてきてしまった、と書いた。

似たような話になるが、他にも私の中で、駐在前でストップしてしまったモノがある。具体的に何を失ったのかは未だわからない。
しかし、本帰国後ずっと喪失感がある。

もちろんアメリカ駐在帯同生活を失って悲しんでいるのではない。母国で母語で慣れ親しんだ習慣に則って育児ができるのは、喜ばしいことだと思っている。何より子供の医療費がかからない。これは日本の素晴らしい点の1つだと信じている。

1人目の子を妊娠している時に海外赴任と言われてから、ずっとバタバタしていた。アメリカに渡った後も何回か引越したし、やっと落ち着いて2人目を授かったと思ったら出産直後に本帰国だった。

楽しいこともあったけれど、最初の頃はアメリカの生活スタイルに泣かされたり怒ってばかりの日々だった。慣れてからは、そうならないよう常に防衛を意識して暮らしていた。
他の日本人と出会っても、いつも全員が善人ではなかった。同じ異国で暮らす日本人同士だからと気が緩んだ分、攻撃を食らった時の衝撃が大きかったし、ますます自衛するようになった。

初めての専業主婦生活と育児も並行してやっていた。家族の前では取り繕って冷静なふりを保っていたが、だんだん元々の自分と乖離して取り残されてる部分ができてきた。
その部分の自分は日本を出る前で時が止まっている。長い悪い夢を見てる気分というか、そういう部分がある。

日本を出る前、つまり20代前半で時が止まってるところがある。駐妻生活後半、アラサーになってからは、それ自体にも焦っている。
数年間ずっと気を張って暮らしていた反動で、どうのんびりしたらいいのかもいまいちわかっていない。

日本に帰ったら治るかな、と思っていたけど、自分でも何を喪失しているか具体的にわからないので今でも「アメリカにいた間に失った、何年間分の何か」がわからない。


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